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那須野が原が日本遺産に選ばれた記念にと歴史担当の担任が出した夏休みの宿題。実際にその場所に行って写真を撮り、調べ学習をして提出するという課題だった。
他の場所もあったのだが、じゃんけんで残ったのは旧塩原御用邸新御座所。
地元でありながら今まであまり興味も持ってこなかった場所だけに、ただただ、だるい気持ちだ。
道路を渡ると奥までポンポンと置かれた石階段。その上を飛び越えるように進んでいくと、建物がぽつんと建っていた。歴史あるものと聞いてきたのでもっと壮大かと思っていたが、木でできただけの簡素な見た目に肩を落とす。
「とりあえず写真撮って、あとはネットで調べてどうかしようぜ」
「それ賛成」
幼馴染の孝の意見に賛同し、僕はカメラのレンズを向けた。夏休み最後の日曜日、今の今まで先延ばしにしていた唯一の宿題。
なんとなくやる気が起きなくて、手をつけていなかった。
周りには誰もいないので好きな角度で写真が撮れる。カメラのシャッターを押す。
外観。木でできた小さな建物。なんの面白味もない。正直調べ学習なんてネットで写真も情報も手に入る。それでも担任からは
「ネットで拾ってきた写真か、自分で撮った写真かは見たらすぐにわかるからな。拾い画だとばれたら一からやり直しさせるからな」
と念を押されている。
そんな言葉にびびってしまって、バスで快適とはいえない旅をしてしまう自分の素直さは、まだまだ子どもだと思う。
何枚か写真を撮ってふと顔を上げると、建物の下に同じ年くらいの高校生がいた。どこの学校の制服だろう、見たことのない学校だった。こんなに暑いのに真っ黒い冬服の詰め襟をしっかり着込んで、そして、真夏の日差しを避けるためだろうか、制服にサングラスという不思議な組み合わせをした少年は、
「よっ」
まるで、以前からの知り合いだったかのように話しかけてきた。
「何してんの?」
「調べ学習」
人見知りしない孝が僕の代わりに答える。
「教えてあげようか?」
「詳しいのか?」
「君たちよりはね」
少年はこんな暑さだというのに汗ひとつかいていない。こっちは立っているだけでだらだらと汗が流れるのに。暑さなんか感じていないかのようにさわやかに歯を出して笑う。なんだかバカにされたような気がして、少しいらっとした。
「……どうする?」
「まあ、教えてくれるならいいんじゃね?調べる時間も減るだろ」
「……だな」
正直、孝のように人見知りしないわけでなかった。しかし、この少年、悪いやつではなさそうだ、そんなぼんやりとした勘を抱えて僕たちは少年についていくことにした。
紹介することが決まると、僕らを待たずにさっさと歩き出す彼の背を慌てて追う。建物の中に入るまでの道すがら尋ねた。
「名前は?」
「道夫」
「みちお?ずいぶん古臭い名前だな」
「おい、孝」
「たかし、だって古臭いんじゃないか?」
道夫は軽口にも動じず笑う。
閉口して立ち止まった孝を横目に、僕は道夫の後をまた追いかける。
「君は?」
「直也」
「なおや、か……。今っぽい名前だな」
「……そっかな?」
「うん」
道夫は後ろからついてくるのが僕だとどうして分かったのだろう。後ろに目でもついているのかと思った。
「直也たちは何でここにきたんだ?」
「夏休みの宿題で、ここについて調べなくちゃいけないんだよ」
「ふうん、夏休みの宿題ねえ……。そもそも、この場所のことどのくらい知ってるのか?」
「いや、ほとんど知らない」
「素直でいいな」
あははと道夫は声に出して笑った。
建物の中に入っていく。受付を通り抜けると見た目通りの和風の作りだ。畳の部屋にガラスケース。中にはきっと歴史あるものたちが並んでいる。
「ここは、三島通庸の別荘だったのを皇室に献上したものなんだ」
「みしま、みちつねって?」
「そこからかよ」
孝の疑問に
「三島通庸は薩摩出身でいろんな場所の県令を務めた、いわゆる政治家だ。栃木県令時代、この返を開発したときに別荘を作ったんだ。主に避暑地として使っていたみたいだが」
「へえ……」
「ちなみに県令っていうのは、今の知事みたいなもんな」
おそらく僕らがあまり理解していないことを察した道夫は言葉をつないだ。
「薩摩は今の鹿児島な」
「それはわかる」
西郷神社なるものも近くにあったな、と思い出す。
「そっか」
道夫に続いて次の部屋に入ると、そこには、天井から下がる洋式のシャンデリア。畳にシャンデリアというのはある意味いいとこ取りだ。部屋の中心には洋式のテーブルと背もたれが丸い椅子。白いテーブルクロスはシャンデリアの光を受けて、まぶしいくらいに輝いていた。床の間には、掛け軸と花瓶、障子と祖父の家で見たような昔の人の写真が天井近くに飾られていた。
外観はかなりの和風なのにところどころ洋風らしさもある不思議な空間だと思った。
誰の写真だろうと不思議に思い近づいて眺める。優しそうな顔をしていた。
「おしゃれな障子だろ?」
「ああ」
どうやら僕が写真の下の障子を見ていると思ったらしい。否定するのも面倒なのでそのまま聞くことにした。
「竪繁障子っていうんだ、縦に細かく組子があるんだ」
「たてしげ……」
「たてにしげってるって思えばいいよ」
「なるほどねえ」
納得したような顔の孝だったが、道夫は知らない。孝は漢字がとても苦手だ。「たて」と聞いて「竪」はもちろん「縦」も頭に浮かんでこないだろう。そういう僕も「縦」という漢字しか思い浮かばない。
そして耳をすませばなにやら音声が聞こえてくる。どうやら解説が流れているようだが、僕たちにとっては道夫の説明の方がよく理解できた。さらに引き続き、ぺらぺらと説明を述べる道夫の言葉に耳をすませる。
「本当はこんなもんじゃなかったんだぜ?これは一部しか移設できなかったんだけど、本当はもっと広くて和洋折衷の素晴らしい建物だったんだ」
まるで当時を偲ぶような言い方。懐かしさに目を細めている。そんな道夫をじっと見つめていると、僕の視線に気がついたのか、恥ずかしそうに笑ったあと、
「こいよ、まだ紹介してないところあるんだ」
僕らを部屋の外へと導いた。
「なあ」
道夫の背中を追いながら歩いていると、孝が僕の隣にさっとやってきた。
「不思議なやつだな」
道夫に聞こえないように囁く。僕も同じ意見だった。黙って頷いて返事をした。
「ああ、なんか雰囲気があるっていうか」
「なんか、ここのこと詳しいし、怪しくないか?」
「怪しいって?」
「……実は、おばけなんじゃね?三島なんとかだったりして」
「はあ?」
思わず大きな声が出てしまった。その声に道夫が振り返る。けげんな顔をされたので、何でもない、何でもないと首を横に振った。
「まあ、いいけど」
道夫は再び歩き出す。
「見ろよ!」
しばらくすると孝の声が響いた。僕たちのほかには誰もいなくて、その声は建物中に聞こえた。
「どうした?」
「おい!トイレが畳だぜ!」
畳の上に便器があった。
「おしゃれだろ?」
道夫は笑った。孝はそう言うのが好きなんだな、と続けて言ったので、孝の顔は真っ赤になってしまった。
そして、道夫が指さしたのは縁側。
「俺はここが、一番好きなんだよ」
赤いカーペットの縁側。その内側には畳の廊下が設けられていた。縁側には座布団があって、大きな庭が広がっていた。道夫が腰掛けたのを真似して僕たちも座る。手入れされた庭だった。しかし、木が何本もたっているのにも関わらず、じんじんと日差しが照ってきて、今年の暑さのすごさを思い知らされた。避暑地として建てられたこの別荘、今年は避暑になっていない。
「庭の木々は秋になると紅葉してきれいなんだよ、11月くらいかな、また見に来てくれよ」
道夫は庭を見たまま言った。
その視線は変わらずサングラスに隠されていて、一体どんな顔をしているのか見えない。
道夫はそれからもこの場所について、いろいろ教えてくれた。
例えばここは野鳥の餌付けをしていて、たくさんの鳥たちがやってくること。時々イベントもやっていて、運が良ければお茶も飲めること。
「だいぶ鳥とも仲良くなったからな。手に乗ってくるんだぜ」
「はっ、嘘だろ?」
「ほんとだよ、今日は暑くて鳥たち少ないけれど秋になって涼しくなればたくさん鳥が来るぜ」
「ふーん」
「涼しくなったらまたこいよ、待ってるから」
先ほどの言葉をまた繰り返す。僕たちは頷いて返事をした。
「役に立った?」
「ああ、もちろん」
ネットで調べなくていいくらいだ。メモを持ってきていなかったので、道夫が教えてくれたことをスマホにメモを取った。
「なあ、それなんだ?」
「これ、スマホだよ?知らないの?」
「……いや、名前は知ってるけど見たのは初めてだ」
今時そんなことがあるだろうか。
「なあ、どこの学校?」
「うーん、どこだったっけなあ……忘れちゃった」
「なんだよそれ」
こんな質問にも答えてくれなかった。やっぱり不思議な雰囲気をまとっている。
「なんでサングラスなんかかけてんだ?」
「んー?」
孝の質問に、道夫は少し上を向いて考える。しばらく考えた後
「おしゃれかな」
そう言って笑う道夫と別れて、僕たちは課題のまとめをすることにした。
僕の家で写真を印刷して、模造紙に調べたことを書く。道夫が教えてくれたことだけで模造紙1枚は余裕で埋められたし、ネットで調べる必要もなかった。
「なんか、よくわからないやつだったけどよかったよな」
描き終わった模造紙を丸める僕に向かって、孝は僕のベッドに横になってあくびをした。
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