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ネフィとギィが船に揺られているのとほぼ同時刻,レナートはキジルと再びあっていた.
「レナート,聞いたぜ.決めたんだってな,弟子を」
「いいや,正確にはまだ保留だよ」
煮え切らない様子のレナートにキジルは首を傾げる.保留とは一体どういうことなのか気になるのだろう,レナートは溜息を着いて口を開く.
「キジル,俺が弟子にしようとしている子の話はきいたのか」
「いいや,まだだ.不思議なくらい情報が洩れてきていない.お前がしているのだろう,どうせ」
レナートは頷く.ネフィの来た日,実は老ボガーダのもとを訪れ,ネフィの事を秘密裏に運ぶように頼んでいたのだ.さすがの効果にレナートは舌を巻く.魔女や魔法使いは噂が大好きだ.それこそ常に餓えている.特にだ,キジルのような優れた魔法使いから隠し通すのは至難の業であった.
「なあ,今日呼び出したってことは何か教えてくれるんだろうな」
期待に満ちた目で片手の指で机をたたき,キジルは催促する.それを焦らすかのようにレナートは黙って紅茶を飲む.実際,彼に焦らそうという気はなかったのだがどう言うべきか迷ってしまうのだ.紅茶の水面がカップの半分に達した時,レナートは目の前のキジルがそろそろ爆発しそうなのに気付く.キジルの机を指で叩く音が早まってきていた.慌てて口を開いた.
「ああ,その彼女の事なんだがな・・」
「ああ,君の弟子の事だろ」
被せてくるキジルにレナートは深呼吸をして口を開いた.
「ラージェの娘なんだ.ネフィって言う名前なんだ」
久しく聞いたその名前にキジルは瞠目し,息を呑みこんでしまう.
「ラージェか・・.ああ彼女の娘なのか」
レナートはキジルがどういった反応をするかが実は気になっていた.反対するかもしれないし,笑い飛ばすかもしれない.レナートが見つめる前でキジルは溜息を着いた.
「まさかな,彼女に子供ができるなんてな・・.」
予想していない,キジルの答えに少しレナートはガクッと来る.
「だってよ,あのラージェだぜ.気の強い事で知られた奴だ.まささかだぜ」
「他にないのか,他に.お前と彼女の仲が悪かったのは知っている.反対したりしないのか」
そう言われるとキジルは肩をすくめる.
「ああ,まあ仲は確かに良くは無かったな.だがそれを言うとお前と彼女の仲も同じだった.だが,実は俺は彼女の事を嫌いではなかった.それも君も同じだ.だから反対したりはしないぜ」
そう言われると,レナートは安心したように息を吐く.そんな様子を見ながらキジルは自分のコップに紅茶を注いでいく.
「その子はいい子だったのか.彼女の事だ,まともに子育てできているのか気になるな」
「ネフィか?いい子だったよ.食べっぷりの良さ以外は彼女とは似つかない年頃の少女さ」
そう言うと昔の事を思い出したのかキジルは苦笑した.レナートとしてはこのまま昔話に花を咲かせたかったのだが,もう一つ言うべきことがあった.
「ああ,それとだ.もう一つ言わなければならないことがあるんだ」
無言で続きを促すキジルにレナートは大きく息を吸い込む.
「ラージェの寿命はもう長くない」
さすがの事に険しい顔になってキジルは問いただす.
「おい本当なのか」
「ああ,手紙に書いてあった」
そう言うとキジルは理解しがたそうな顔になる.それもそうだろう,才媛として知られ彼女が寿命で死ぬとは思えないのだろう.だが,キジルには一つ思い当ることがあった.ハッとした顔でレナートに向き直る.
「まさかあいつ,杖を折ったのか」
「そうらしい」
レナートがそう言うとキジルは額に手を当ててしまう.
『杖を折る』とは魔女や魔法使いが魔法から足を洗ってしまうことを言う.手紙によるとラージェはもはや魔女ではなくなってしまったらしい.
「やはり,あの事件か」
キジルがポツリとそう漏らすとレナートは深く頷く.
「ああ,手紙の中でラージェはほとんど謝り続けていたよ.ボガーダ師に,師匠に,俺に,君にもだ.そしてあの事件の被害者に」
実際,あの日手紙を読んだレナートは愕然としてしまった.そこにはよく知る気の強いラージェを思わせる様子はなく,ただ罪を謝罪する一人の女性しかいなかった.
「そうか・・.あの事件は確かに許しがたい.だけどだな・・」
黙ってしまう,キジルの後をレナートが続ける.
「いや,彼女にとってはあの事件に突き進んだ自分が許せなかったんだろうね.破門され,魔法使いの座を俺にとられそれでも突き進んだ先があれだったんだ」
キジルは大きく息を吐いて,天を仰いだ.
「トリニティか」
キジルもレナートもその苦い記憶を思い出し,そのまま黙ってしまった.長く生きてきた二人だが,旧友が死ぬ,そのことを両者とも実感するのにはもう少し時間が必要だった.
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