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「さあ、お乱れよ。最後の夜だろう。富士子が乱れたのを一度だけ見た事がある。もう一度見てみたい。」
富士子は心臓が止まるかと思った。確かに富士子は一度だけ乱れた事がある。自分の身体が自分の物ではなくなったような感覚。信じられないくらいの快感に身を委ねて富士子は恐ろしさを感じた。そんな姿を直樹に見せるのが怖くて富士子はいつも気をつけていた。幼い頃から父親やその友達から乱暴されていた富士子はSEXが嫌いだった。一度だけ、5年も付き合って数え切れないほど交わったのに、ありのままに踊り狂ったのはたったの一度だけだ。
(それを直樹はわかってた。わかってたんだ。)
最後の手触りを心に身体に脳みそにしみつけようと必死だったのに今ではさっぱりと思い出せないのが不思議でたまらない。富士子は思い出したくない事は何でも覚えてるのに、確かにあの日あの時あの部屋に2人でいたのに。
未来は自分の思った通りになるのは本当だと富士子は知った。直樹との日々が幸せであればあるほど、それがいつの日か来る別れを育てていると富士子にはわかっていた。
思い出したって何だって悪いのは全部富士子だ。理由の無い暴力を両親から受けて育った富士子は理屈が通らない事が嫌いだった。理詰めの理系女の富士子にとって直樹は光の全てであり、あの日富士子は直樹を失った。
(否、直樹を失ったのはいつだったんだろう?)
今でもよくわからないのに若い富士子には、さっぱりとわからなかった。
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