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その夜彰は帰って来なくて、私はほとんど眠ることができなかった。
午前中のまだ気温がピークになる前に車で実家へ向かった。
街は怖いぐらいの静寂に包まれていて、私は携帯から好きな音楽を選んで流した。
1年前からSNSで話題になっているシンガーで、語りかけるような声と綺麗な旋律が心を落ち着かせてくれる。ここのところ毎日聴いていた。
妹と待ち合わせをして実家へ行くと、母はいつも通りに出迎えてくれた。
妹の萌が抱いていた生後6か月の里奈を抱き上げて言う。
「里奈ちゃん、おばあちゃんですよ」
何度も見ている光景なのに涙が出てきてしまう。
母はリビングに行くと、父に里奈の顔を見せた。
いつもと変わらず片付いている室内に少しだけ安心する。
「里奈ちゃんごめんねぇ。せっかく生まれてきたのにね。ちゃんと最期までママに抱っこしてもらうのよ」
「お母さんっ」
「あら、萌はもうママなんだから泣いたりしないのよ」
「お母さんだって」
それで自分も泣いていることに気付いた母は
「駄目だわお父さん。次を飲みましょう」
と言った。
見るとテーブルの上には封が開いたシートが二つある。
あぁそうか。二人はもうホワイトを…。
「この薬、玲のチームが開発したんだろう?父さん誇らしいよ」
いつもの笑顔で言う父に、妹が「早すぎるよ。もっと話したい」と言った。
「あなたたちにももう時間がないでしょ。別れは一瞬だけでいいの。どうせまたすぐに会えるんだから」
ブルーを飲んだ両親は和室に敷いた布団に横たわって、たわいのない話をし始めた。
二人の出会いや結婚した時のこと、子供が生まれた日の話を…。
私と妹はただ泣きながらそれを聞いていた。両親の最後の姿を目に焼き付けるように。
「さぁ行こうか」
「うん。一緒に行こうね」
お互いにレッドを飲み込むのを確認すると、2人は繋いだ両手を上げて見せた。
「お前達のお蔭で楽しかったよ」
「私も幸せよ。玲、萌。二人とも一番好きな人と一緒に行くのよ。こうして手を握っていれば何も怖くないからね…幸せなままで…また…いつか…」
微笑んだ唇から最期の言葉が消えた時、父もまた微笑みながら目を閉じていた。
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