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妹と何度も手を振り合って別れたあと、私は彰の実家へ向かった。
あと2日でこの世が終わるのに、このままでいいはずがない。
目立って大きな門構えの家の前で車を止めた。
代々医者の家系だった彰の実家だ。
「こんにちは」と玄関へ入ると、すぐに彰が出てきた。
「玲、来てくれたんだね。ご両親は」
「うん。見送ってきた」
「そう」と彰は悲しそうな表情を浮かべた。
「昨日はごめんなさい」
「いいよ、俺も悪かったし。俺は玲と結婚できたこと、人生で一番幸せなことだと思ってるよ」
昨日とは別人のように明るく話す彰にふざけて言った。
「医学部に受かった時より?」
「もちろん。あれを一番喜んだのは俺じゃないから」
「あぁ、お母さん」
「うん。だけど昨日から変なんだよ、お袋。ごめんねごめんねって馬鹿みたいに俺に謝ってくるんだ。勉強しろってばかり言ってごめんね。サックスを辞めろって言ってごめんねって」
彰はそう言うと肩をすくめて見せた。
「もういいよって言っても聞かなくてさ。父さんに内緒でライブに来たこともあったって。自慢の息子だったのに、あの音好きだったのにって」
私と彰は同じ大学の薬学部と医学部で、ジャズサークルで出会ったのだった。
私はピアノ、彰はサックスでよく一緒に演奏した。
お母さんは彰には厳しい人だった。
いつもどこか寂しそうな彰の側に居てあげたいと思った気持ちに嘘はなかった。
その時
「彰?お客様?」
とお母さんがエプロン姿で出てきた。
いつもはうしろでまとめている髪を下して、若々しい姿に戸惑った。
「友達だよ。もう帰るから」
「えっ?!」
私のことがわからないのか、不思議そうな顔をしている。
「そうなの。あなたの好きなホットケーキが焼けたから手を洗っていらっしゃい」
「わかった」
そう返事をする彰の声もどこか子供っぽい。
あぁそうか…あなたももう…。
私は自分の身勝手さをわかっていながらも涙が止められなかった。
「泣かないで、玲。俺は幸せだよ。そして最期は母さんと一緒にいるって決めたんだ。玲は…行くんだろう?」
「…いいの?行っても」
「いいに決まってる。玲も誰かと一緒に…最期を…」
そこから先は言葉にならなかった。
彰の精いっぱいの優しさに私は最後のハグをした。
「ありがとう」
きつく抱きしめた私の腕をゆっくり解くと私のおでこにキスをして
「バイバイ」と背を向けた。
あの背中を一生見て暮らすんだと思っていたのに。
ごめんなさいと何度もつぶやきながら私は車へ戻った。
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