瞳煌めく、そのワケは

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瞳煌めく、そのワケは

 山の向こうへと、ゆらゆら揺れる太陽が沈もうとしていた。  それを水面に映す煌きが、まるでペンで書く星のような形で瞬いて、思わずうっとりと見入ってしまう。  「いつ見ても綺麗ね」  「ああ」  両手で橋の欄干を掴み、私をその中に囲っている彼の優しい声が頭上から落ちてくる。  大学に入り、最初の一年は友人として、それからはずっと彼の恋人としてこの橋を渡ってきた。  あと半年で卒業。  共通の友人達からは、もしかしたらプロポーズもあるんじゃないかと揶揄(からか)われる日々。  それくらい私達は相思相愛で、飽きる事なくいつもいつも一緒だった。  「どうしてあんなにキラキラして見えるのかしら」  目映い。  そう感じる程に、空を映して揺れる光――――――。  「ん? 川か? 太陽が反射してるからだろ?」  軽く笑いを混ぜて応えてくれた彼へと、  「そうかしら?」  私は体を動かして正面に向き合う。  「どうした?」  オレンジの光を映した、静かな瞳。  穏やかに、私を映す、今の彼。  「キラキラして見えるのはね、――――――水面が動いているからだわ」  「え?」  彼から見る私の表情は、きっと逆光で判らないだろう。  私から見る彼の表情が、怪訝に揺れているのがその証。  「静かな水面は鏡なの。理解し合い、穏やかにお互いを映し合う…。私達、ずっとそうだった。そしてこれからも、きっとそうだろうと信じてた」  「…ぇ? ちょっと待って…」  困惑顔で私との距離を詰めて来ようとした彼の胸に、  「――――――ねぇ」  私は制するように両手を中てた。  「最近、あなたがキラキラして眩しいわ」  「…?」  「私がときめいてしまうくらい、あなたの心が揺らめいているの」  何かを予感したかのように、ハッと、彼の目が見開かれた。  「それは決まって」  ――――――私じゃないあの子を見てる時。  「…!」  声にしなくても、思い当たった事に思考を潰された彼は、今初めて、私を見ながらその瞳を揺らしている。  でもね、  私が欲しいのはそんな揺らめきじゃなかった。  もっと眩しいくらいに、私を見てその瞳を輝かせて欲しかった。  「心の整理をつけるのに、半年もかかっちゃった」  入学してきたあの子を映すあなたの目が、揺れる水面になってキラキラと輝く  それを見ながら、卑怯な私は、その心の動きが凪ぐのを待った。  輝きが消えるのを密かに待った。  「あなたと二人でこの橋を渡る度に、嫌いになりそうだったわ、この夕陽」  二人の時間が光を帯びる度に、逆光で消えているだろう私の表情と相まって、黒い何かが襲って来る。  毎日毎日、それと戦った私の心は、何もかもが凪ぐより先に、疲れて水を枯らしてしまった。  「…君が好きなんだ」  早口で告げられたその言葉に、  「分かってる」  私は目を僅かに伏せて頷く。  「絶対にそれは嘘じゃない」  「分かってるわ」  「嘘じゃないんだ…」  でも、  「あの子の事も、好きでしょう?」  再び見上げたその眼差しが、あの子を見つけては煌めくのを、悲しいかな、私は何度も目に入れた。  けれど私を映す時、あなたはまるで絶景の水面のように静かな愛を返してくれるから、最後までそれに縋りたかった。  ずっとずっと、見ない振りをしていたかった。  「――――――私達、一度距離を置きましょう?」  でももう、気持ちが何か突き抜けてしまった。  嫌いになったわけじゃないけれど、彼があの子に惹かれている事実を認める事が出来た時から、その煌きが何故か私の心にも灯り始めた。  心が動いた。  そんな感じ。  「このままじゃ、目が眩んで何も見えなくなりそう」  「…」  「これから先を、愚かな方向に間違えてしまう前に、お互いに離れて、違う場所に立ってみましょう?」  絞り出すように言って微笑んだ私の頬に、泣きそうな顔をした彼の指が、躊躇いがちに触れてくる。  「…ごめん」  その言葉で、二人の行くべき道が終わってしまったと実感した。  後から後から零れ落ちる涙を、彼もまた、何度も何度も拭ってくれて、  「ずっと…苦しめてたんだな」  「…」  「何を言っても、きっと言い訳にしかならない…。でも、君の心が揺れているのが、今の俺にはちゃんと見えているから…、これ以上、俺の我が儘で無理をさせて、傷つけたくない」  「ん、…ぅん」  彼の、こういうところが堪らなく好き。  そして、  「抱きしめて、いい?」  こういうところが、堪らなく嫌い。  「――――――馬鹿ね」  拒否をしたつもりだったのに、彼の両腕が私の背中に回された。  息遣いを近くに感じる。  いつもよりきつい程の力強さに、心までがギュッと掴まれたけれど、もう、別の未来(みち)に流れ始めた水は、そう簡単には元の場所に戻れない。  ここから、どこまでも交わる事なく違う世界へと流れていくのか。  それとも、どこかで溜まって、また逆流して戻って来るのか。  ゆっくりとオレンジを失くしていく景色の中、  煌きもまた、音を失くす。  「いつの日か、新しい水面がお互いの胸に溢れたら、その時はきっと、この橋の上で会いましょう」  彼の揺れる眼差しの中で、すっかりと凪いだ瞳を持つ私が、輪郭を震わせて映っていた。
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