残照

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 桟橋へ向かう歩道を歩いていると、べたつくような湿った風が吹きつけてきた。風に押しとどめられながら、おぼつかない足取りで進む。次々に通り過ぎていく風は、どこへ行くのだろう。どこかで消えるのか、それともこの町からずっと遠いところまで流れていくのか。  身の回りの最低限の荷物だけ持って、電車に飛び乗って訪れたことのない、山間のこの町までやってきた。普段出不精なだけあって、知らない町の匂いで胸がざわざわする。時刻は夕方近く、一応観光地と言っても客足は遠のいている。周りに人はあまりおらず、数人と擦れ違っただけで桟橋にたどり着いた。夕日に照らされる水面に目を鋭く刺され、思わず瞼を閉じる。水の音と、風が耳元を吹き抜けるひゅっと言う音が交互に聞こえる。ゆっくりと目を開ける。見事な景色だった。川の水面は夕日を受けてまぶしい橙色に染まり、向こう岸にこちら側と同じ橋の手すりが見える。更にその向こうは深い緑の山が重なり、今にも太陽が沈もうとしている。昼間の日光で温まっている手すりにもたれて、自分の部屋を思い出した。こっそり抜け出してきた、かつて自分と彼のものだったあの場所。  違和感はあった。学生の時には気づかなかった側面が、小さな引っかき傷を重ねていき、その果てに友人から知らないアカウントの写真が送られてきた。顔はモザイクがかかっていたが、アップされた日付と、服装に嫌な予感がした。ピースをする手首に光る腕時計と、傍らのバッグで半ば確信を得た。時計もバッグも所詮は量産モノとはいえ、ここまで合致すれば可能性はかなり高いと計算する理性と、夕飯を作ることでそこから逃避しようとする感情が一緒くたになった。右手はテーブルの下で隣の女性とつながれているのか写真では見えず、ピースをする手に指輪は無かった。  理由の曖昧な残業。食事中も目を離さないスマートフォン。だから目が合わない。だから会話をしても続かない。その理由があの写真になるのだろうか。果たしてあれは、今までわたしと一緒にいた人なのだろうか。今は自分よりよほど若い、知らない女の子と手をつないで、テーブルの上で華々しくろうそくを立てたケーキを一緒に眺めて吹き消すくらい、親密な仲にあるのだろうか。  あれはいったい何なのかと返ってくるはずのない問いをばかみたいに頭の中で繰り返している。  貯金はわずか。一緒に貯めていた二人の口座の他に自分の口座がある。ただしそれは自分で稼いだものではなく、両親がわたしにくれたものだ。緊急の事態以外は手をつけないと決めている。口座があることは伝えていたが、管理者は自分だ。  今は、緊急事態に当てはまるだろうか。  全てが宙づりの中、頭を冷やしたくてここまで来た。自分が得た情報を本人に問いただすよりも先に、同じ空間にいることを身体が拒否した。勢いのままに逃げてきてしまった。  住むところ、食べるもの、着るもの。それらをそろえるには貯金と、仕事が必要だ。収入の6割以上を相手に頼っていたのも不安に拍車をかけた。
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