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第15話 嫌な奴ら
それからというもの、悠衣と男鹿が会話をすることも、目すら合わせる事すらなくなってしまった。
悠衣は言うまでもなく男鹿を避けているし、男鹿のほうも悠衣とは極力関わらないようにしている。授業の合間のはもちろん昼休憩の時も、以前のように二人が楽しげに会話することはない。
数日前まであれほど仲睦まじげだったのに。その不自然すぎる事態に、さすがの入江も戸惑ったらしく、私にこっそり聞いてきた。
「なあ、最近の男鹿と姫崎、何かヘンじゃね? あいつら喧嘩でもしてんのか?」
私は溜め息をつきつつ、首を振る。
「喧嘩……とはちょっと違うな。それよりもっと事態は深刻なんだ」
「あいつら、すげえ仲良かったじゃん。もしかしてあれか? 男鹿が他のクラスの女子に告られたのが原因か?」
「まあ、直接の原因はそうなんだが……問題はもっと根深いんだ。男鹿が悪いわけじゃないし、かといって悠衣が悪いというわけでもないんだ」
その説明ではいまいちピンと来ないらしいく、入江は半眼になって肩を竦める。
「ふうん……? よく分かんねえけど、さっさと仲直りすればいいのにな。同じクラスで席も隣同士なのに、ギスギスしてるのって何か嫌じゃん?」
「……私もそう思うけど。どうしたらいいんだろうな……?」
何とかしたい。でも、どうしたらいいのか分からない。これは悠衣と男鹿の問題で、私や入江はどうしたって部外者なのだ。悠衣は過敏になっているだろうから、下手をすれば男鹿との仲を余計に裂くことにもなりかねない。
さらにややこしい事に、男鹿に告白したというA組の女子が、頻繁にB組の教室に姿を見せるようになったのだ。毎日のようにB組の教室にやって来ては、男鹿を呼び出すのだ。まるでB組のクラスメート全員に見せつけるかのように。
A組の女子の名は、森本杏奈。いつも二人の友達を連れており、B組にやって来る時も一緒だ。
森本杏奈はB組の教室の前で男鹿と楽しげにお喋りすると、私たち――とくに悠衣をにらみつけて帰っていく。男鹿が悠衣と仲が良かったことをどうやら噂で聞きつけたらしく、勝手に悠衣を恋のライバル認定しているのだ。もしかすると、悠衣が横から男鹿を奪い取ろうとしていると勘違いしているのかもしれない。
それでも一回や二回、にらまれるくらいなら無視もできるが、彼女たちがB組に来るたび悪意ある視線を向けられたら、さすがに私も不快感を隠せない。
「男鹿に告白したっていうA組の女子って、なんか態度悪くないか?」
私がつい悪態をつくと、悠衣はなだめるように小さく笑う。
「気にしちゃ駄目だよ。あたしたちとは何の関係も無いことなんだし」
「あいつら悠衣を目の敵にしているぞ。今はにらんでいるだけでも、そのうち何してくるか……」
「今は我慢しなくちゃだね。そのうちきっと飽きて、あたしのことなんて忘れちゃうと思うよ」
悠衣はA組の女子たちと関わり合いになるつもりはなさそうだ。敵対するのはもちろん、彼女たちの挑発に乗るつもりもない。このまま徹底的に無視をして、相手の気持ちが冷めるのを待つつもりなのだろう。しかし、私はそれが賢明な対応だとは思えないのだった。
(悠衣の言う通り、過剰な反応を辞めてくれればいいけど……)
森本杏奈は自分が男鹿に告白した状況や心情を、積極的にSNSに乗せて拡散するような相手なのだ。このまま放っておいたら、何か仕出かすんじゃないかという不安がどうも拭えない。
さらに不愉快なのは、A組の女子がB組の教室へ来るたび、クラスメートたちが騒ぎ立てることだ。
「あいつら、もうつき合ってんじゃね?」
「男鹿もまんざらじゃなさそうだよな」
「A組の女子、めっちゃカワイイし。俺もあんな彼女欲しー!」
「俺もマジでそう思うわー。男鹿のやつ、マジうらやま!」
確かに森本杏奈は可愛い顔立ちをしている。小動物系の顔立ちで、瞳はぱっちりと大きくてつぶらなのに、鼻や口はこじんまりとしている。背丈も小柄で、ブラウスの上から薄手のニットを羽織っているが、手の甲を覆い尽くしている袖が、ブカブカ感をうまい具合に演出している。
そのせいか仕草も可愛らしい。小さくくしゃみをする時の表情、耳にかかった髪をかき上げる時の首の角度、くすくすと笑う時に口元に当てる手。そして相手を見つめる時の上目遣い。女子から見ても森本杏奈は可愛いと思うのだ。男子なら胸がドキドキすること間違いない。
彼女が小動物っぽいから、そう見えるのかも知れないが、森本杏奈から悪意に満ちた眼差しを向けられていると、彼女の仕草から計算され尽くしたあざとさを感じてしまうのだった。
もっとも、森本杏奈にそんな印象を抱いているのは私だけらしい。聞けば森本杏奈は男鹿以外のクラスメートにも愛想が良いらしく、B組での彼女の評価はうなぎ登りだ。今では「森本杏奈は可愛い上に性格もいい」というのが、みなの共通認識だ。
中学時代の噂が暴露され、評判が駄々下がりな悠衣とは反対に、人気が上昇するばかりの森本杏奈。今やクラス全体が、男鹿の彼女には、悠衣より森本杏奈のほうがふさわしい。そういった雰囲気さえ漂っている。
男鹿といえば、そういった冷やかしの言葉を浴びるたびに「そんなんじゃねーよ」と軽く受け流し、あまり相手にはしていない。
告白された当初こそ混乱していたようだが、周囲の好奇心に溢れた視線や茶化しにもムキになることがなく、いつもの男鹿らしさを取り戻している。それをいい事に、クラスメートは完全に男鹿と森本杏奈をカップルとして扱っているのだった。
(みんな人の恋バナが好きなのは分かるし、SNSで告白を拡散するという話題性に騒ぎたくなるのも分かる。でも、ちょっと無責任じゃないか……?)
だって、誰も騒がれてる男鹿や悠衣の気持ちなんて考えていないのだ。クラスメートにとっては他人事だし、悪気は無いのだろう。だからといって、何をしても良いわけじゃないと私は思う。
その結果、男鹿は本人が望むと望まざるとに関わらず、クラスの中でちょっとした時の人になってしまった。
高校に入学したばかりの一年生は、異性に興味があっても声がかけられなかったり、恋愛に憧れていても相手が見つからない生徒が大半だ。そんな中、男鹿は早々に告白を受けた。しかも誰が見ても可愛いと評判の美少女から。そのため男鹿はクラス中から羨望と嫉妬を一身に受けることになってしまった。
おまけに毎日、森本杏奈の熱烈な訪問を受けるのだから、注目するなと言うほうが無理な話だ。
そして悠衣もある意味、注目の的となっていた。かつて苦しめられた中学時代の噂を暴露され、何も知らないクラスメートにまで過去の噂を知られてしまった悠衣は、何か下心があって男鹿に近づくのではないか。あの噂は本当で、森本杏奈から男鹿を奪い取ろうとしてるのでは。そんな好奇と非難の入り混じった視線にさらされていた。
恋愛沙汰で注目を浴びることを極端に嫌う悠衣は、ますます男鹿から遠ざかってしまい、二人の間の亀裂は広がるばかりだ。
(悠衣が男鹿のことが好きじゃ無いなら、それでもいい。問題はそうじゃないってことだ。悠衣は平気なふりをしてるけど、かなり無理をしてるのが私には分かる……)
そして男鹿も無理をしているように見えた。男鹿は悠衣に拒絶された日から徹頭徹尾、悠衣を避けている。でも、その素振りが何だかぎこちないように感じられるのだ。
男鹿はたぶん、冷たくされた当てつけで、悠衣を避けているわけじゃない。男鹿が悠衣と距離を取るのは、悠衣に気を遣ってるのだ。
男鹿は自分が置かれた状況を理解していて、自分が注目を浴びたばかりに悠衣を巻き込んでしまったこと。その結果として悠衣をひどく傷つけてしまったことに気づいているのだ。
(やっぱり駄目だ! このままじゃ悠衣も男鹿も苦しいだけじゃないか……!!)
しかし、具体的にどう動くかとなると、まるで妙案が浮かばない。
そもそも私は恋愛は得意じゃない。昔から浮いた話には無縁だったし、告白なんてしたことも、されたことも無い。けれど、こういった事があると、恋のひとつでもしておけば良かったと後悔してしまう。
泳げない人間が泳ぎ方を教えるなんて、どだい無理な話なのだ。身を焦がすような恋のひとつでも経験していれば、この状況も変えられたかもしれないのに。
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