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第16話 悠衣の本音
状況はまるで改善しないまま、時間ばかりが過ぎて、あっという間に一週間が経った。
悠衣と男鹿の関係は相変わらずだ。口も利かなければ、目も合わせないという絶交状態が続いて、お互いに意地になっている感すらある。
(ああもう、どうすればいいんだ!? あと数日後には宿泊研修だってはじまるのに!)
私にとって頭の痛いことばかりだ。悠衣と男鹿、私と入江は同じ班なのに、どうなってしまうのだろう。こんな険悪な雰囲気のまま、宿泊研修を乗り越えられるのだろうか。
(このまま何もしなかったら絶対に後悔する! でも……悠衣や男鹿はお互いにどう思っているんだろう……)
悠衣や男鹿は本当は何を望んでいるのだろう。まずは本人たちの気持ちを確認しておきたかった。そこがあやふやなまま行動してしまうと、盛大に空振りするどころか、かえって事態をややこしくすることになりかねない。
そう思い立った私は、何とか頃合いを見計らっていたが、クラスメートの目がある教室の中では、なかなか悠衣と二人きりで話す機会が見つからない。
放課後の美術部が終わった帰り道、ようやくチャンスが訪れた。一緒に下駄箱で靴を履き替え、校門に向かう途中、思い切って悠衣に話かけてみた。
周囲には生徒の姿もほとんど無いから、誰かに話を聞かれる心配も無い。校舎の影が落ちた夕暮れのグラウンドから、運動部のかけ声が遠く聞こえるだけだ。
「悠衣、ちょっといいか? 話があるんだ」
そう切り出すと悠衣は足を止め、私を振り返った。その顔は、いつもと変わらないように見える。
「どうしたの、りっちゃん。急に改まって」
「悠衣にとっては聞かれたくないかもしれないけど……私が聞きたいのは男鹿のことだ」
「……」
じっと私を見つめる悠衣の瞳に気圧されそうになりながら、私はおもむろに口を開いた。
「悠衣が……噂話に敏感なのは分かってる。中学時代のこともあるし……当然だと思う」
そこで私は大きく息を吸うと、逃げ出しそうになる心を吹き飛ばすように、一気にまくし立てた。
「でも……ちょっと男鹿を避けすぎじゃないか? あんな態度を取られたら、どうして良いか分からないし……男鹿だって傷ついてる。悠衣は本当に……本当にこのまま男鹿と疎遠になってもいいのか?」
悠衣はというと、あまりこの話題に乗り気ではないようで、私から視線をそらすと、ポニーテールの先を指で弄(もてあそ)びながら、どこか他人事のように淡々とした声音で答える。
「仕方ないんじゃないかな……前も言った通り、あたしには男鹿のことをどうこう言うつもりはないし、そんな資格もないって思ってる。男鹿にとって、あたしはただのクラスメートなんだから」
そんなわけない。ただのクラスメイトなら、あんなに男鹿を心配したりしないし、入江に「つき合っちゃえよ」と言われて顔を真っ赤にしたりもしない。
「悠衣は……怒ってるのか? 男鹿のこと……だから、あんなに冷たく突き放すのか?」
けれど悠衣は、さっぱりした調子で否定するのだった。
「どうして? 怒るわけないじゃん。男鹿が誰と付き合おうが、あたしには関係が無いんだし、A組の女子と上手くいけばいいと思ってる。男鹿はいい奴だって知ってるから」
「悠衣が本心からそう思ってるなら、私は何も言わない。それが悠衣の本当の気持ちなら……。私には悠衣がやせ我慢して……強がっているように見えてならないんだ。手遅れになってから、自分の気持ちに気付いても遅いんだぞ。このまま男鹿が組の女子と付き合うことになっても……悠衣は後悔しないと言い切れるのか?」
一瞬、悠衣は言葉を詰まらせたように見えたが、すぐ何でも無いように言葉を続ける。
「それでもいいよ。どんな結末になっても、あたしは男鹿の意思を尊重したい。男鹿は中学時代、孤立していたあたしをずっと見守ってくれた……だから今度はあたしが恩返しをする番なんだ」
そう言ってこちらを見つめる悠衣は夕焼け色に染められて、見ている私が悲しくなるほど、綺麗な笑みを浮かべていた。
「りっちゃんには分かってるかもだけど……あたしは男鹿のことが好きだよ。でも……付き合うとかは考えてないの。だから、このままでいいって思ってるんだ」
「悠衣……」
そう言われてしまうと、これ以上、私は何も言えなくなってしまう。
「あ、でもね。りっちゃんはあたしを心配して言ってくれてるんだって、分かってるつもりだよ。ごめんね、心配させて。でも……本当に大丈夫だから」
悠衣はそう言って朗らかに笑った。そこには何のわだかまりも感じられない。男鹿への想いにも、森本杏奈との関係にも興味が無いと、そういうことだろうか。
(でも……私には悠衣が無理をしているように見える。うまく言えないけど……「男鹿を好きになっちゃいけない」って自分に言い聞かせているみたいな……そんな気がする)
だって私は、悠衣と男鹿の関係をずっと近くで見てきたのだ。悠衣がどんなに男鹿のことを気にしてるか、男鹿と話すときどんなに柔らかい表情をしているか。それがたった数日で心変わりするなんて、不自然さしか感じない。
悠衣の本音は世界でただ一人、悠衣自身しか知らないし、案外、自分の気持ちに自分でも気付いてないのかも知れないけど。
(これだから恋愛は苦手なんだ。面倒だしややこしいし、そもそも正解なんて存在しないんだから……自分のことでも手に余るのに、他人の恋愛なんてさっぱりだ……)
つい愚痴りたくもなるが、嘆いたところで私が恋愛上級者になれるわけでもない。たとえ恋愛スキルがゼロでも、友達がギスギスしているのを放ってはおけはしない。
(A組の女子に告白されてから、男鹿も悠衣と不自然に距離を取っているよな。男鹿はこの事態をどう思っているんだろう……?)
男鹿本人に直接聞くのが手っ取り早いのだが、ここ最近、私は男鹿と接点がほとんどない。私は悠衣と一緒に行動しているのだが、男鹿は徹底的に悠衣を避けているため、私とも距離を取る形になっているのだ。
何とか男鹿に話しかけるタイミングをうかがってみるものの、機会が掴めないまま時間だけが過ぎてゆく。おまけに男鹿は松葉杖を使わなければ移動できないので、校舎の外に呼び出すわけにもいかない。
しかも休憩時間にはたいてい、A組女子が友達を引き連れて男鹿のところにやって来るので、余計に声をかける暇がない。
(ホンットに邪魔だな、あいつら!)
A組の女子たちは、今やお墨付きを得たとばかりに堂々とB組の教室に入って来ている。そして見せつけるように男鹿と楽しげに会話した後、お約束のように私と悠衣をにらみつけて帰っていくのだった。
悠衣は相変わらず無視しているけど、私はだんだん腹が立ってきて、三人組をにらみ返すようになった。だって、うっとおしいじゃないか。悠衣は男鹿とA組女子の恋路を邪魔しているわけでもないのに、にらまれる覚えは無い。不要な喧嘩は買わないが、不当な喧嘩には応じる主義だ。
宿泊研修まで残すところ数日となっていたが、肝心の男鹿と二人きりで話すチャンスはなかなか訪れない。
じりじりとしていたところ、ついにその時がやって来た。昼休憩あと二時間連続で行われる芸術選択教科は、大勢の生徒が一斉に教室を移動するので、男鹿にも声をかけやすいと踏んだのだ。
ちなみに私と悠衣は美術を選択しているけれど、男鹿と入江は書道を選択している。
私は悠衣と美術教室へ移動すると、適当な用事をでっち上げて男鹿を探しに向かった。書道教室は美術教室と芸術棟にあるが、美術教室は三階、書道教室は二階と別れている。
私が書道教室へ向かおうと階段を降りたところで、ちょうど男鹿に出くわした。ただ、間の悪いことに入江も一緒だ。私は少しだけ躊躇してしまう。
(どうしよう……入江がいるならまた機会を改めるか? いや……こんなチャンス二度とあるか分からない!)
宿泊研修は、もう目前だ。それまでに何とか二人の関係を改善したい私は、この場で男鹿に声をかけることに決めた。
「男鹿! ちょっと話があるんだ!」
この機を逃してはならないと意気込み過ぎたせいか、男鹿に詰め寄るような格好になってしまう。それに驚いたのか、男鹿はかすかに眉根を寄せた。
「話……? なんだよ急に?」
「それが……ここでは話しにくいというか……二人きりで話したいんだ」
私がちらりと目をやると、入江は邪魔者扱いされたと感じたらしく、不服そうに唇を尖らせた。
「はあ? 何だよ二人きりって。まさか結城まで男鹿に告白でもするつもりか?」
「何故そうなる! 男女が二人きりになったら告白って、どれだけ単細胞なんだ」
私は思わずジト目になってしまった。こっちは、せっかく手に入れたチャンスを絶対に無駄にしたくないのに。幸いにも男鹿は私の気持ちを察してくれたらしく、あっさりと私の頼みに応じてくれた。
「いいぞ、別に。話に付き合っても」
「本当か!?」
「ああ。入江、悪いけど先に書道教室へ向かっててくれ」
男鹿が決めたことなら、入江もそれ以上ごねる気はないらしい。
「りょーかい。あ、教科書と書道道具を貸せよ。ついでに持って行っててやるから」
「ああ、サンキュ」
入江が書道教室のほうへ立ち去ったあと、私と男鹿は芸術棟の非常階段へ向かった。
非常階段は芸術棟の出入口から少し離れており、窓からも死角になっている。さらに裏手は竹林になっているので、人目を気にする必要も無い。だから、人に聞かれたくない話をする時にはうってつけの場所なのだった。
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