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第18話 乱入者
男鹿は悠衣のことをどう思っているのだろう。それらしい気配はあっても、はっきりと本人の口から気持ちを聞いたことはない。そうじゃないかと、私が勝手に想像しているだけだ。
さすがに面と向かって尋ねるのはデリカシーに欠ける気がして、私は別の角度から質問をしてみることにした。
「じゃあ最後に、ひとつだけ教えてくれ」
「何だよ?」
「悠衣が言ってたんだ。中学生の時、周りからハブられても、男鹿は普通に話しかけてくれたって。それは……どうしてなんだ?」
男鹿はつと目をそらすと、気まずそうに後頭部を掻く。なんだか落ち着かない。そういう感じだ。
「どうしてって……俺は男だったから女子のトラブルには巻き込まれなかったし、姫崎に関する噂が本当だとも思えなかった……それだけだよ」
「……本当にそれだけか?」
「う、嘘を言ったってしょうがないだろ!」
私にジト目で詰め寄られて、男鹿は観念したのか、どこか吹っ切れたように話しはじめた。
「あの当時、男子の中でも噂を信じてる奴はいたし、姫崎にはあんま近づかないほうがいいってアドバイスしてくる奴もいたけど、俺はそんなこと関係ないって思ってた。姫崎は気が強いし、ツンケンした態度を取ることもあるけど……真面目ですごい優しいところもあるんだ。だから、あんな噂を流されても仕方がないなんて、俺には思えなかったんだ」
「悠衣のこと、かわいそうだと思ったわけか」
「それもあるけど……俺はあいつが少しでも明るい顔をしてくれると、ほっとした気持ちになるんだ。当時のあいつは孤立してて、いつも深刻な顔して塞ぎ込んでて、気がつくとどこか行っちまいそうで……すげえ怖かった。はっきりとした理由なんか無いけど……たぶん、姫崎を放って置けなかったんだ」
私は内心でびっくりしてしまった。だって、悠衣のことを話す時の男鹿の表情が、とても優しかったから。普段から落ち着いている男鹿が、ぐっと大人びて感じてしまう。男鹿がそんな顔をするのは、決まって悠衣がからんでいる時だ。男鹿は悠衣のことが本当に好きなのだ。その気持ちがひしひしと伝わってきて、私まで当てられそうになる。
「いや、よくわかったよ。ありがとう」
「わかったって、何がだよ?」
「気づいてないなら、いいんだ」
恋愛スキルがゼロの私でも分かりそうなものなのに、男鹿本人は自分の表情の変化に気づいていないらしい。
(男鹿の気持ちはよく分かった。……となると、この状況はやっぱり不味いんじゃないか?)
森本杏奈たちは、完全に私の中でお邪魔虫となっていた。私の推測が当たっているなら、森本杏奈はただ彼氏が欲しいだけで、相手は男鹿でなくてもいいのだ。これ以上、無駄に引っ掻きまわすような真似はやめて、別のお相手を探して欲しい。
(……あの様子だと、そう簡単には引き下がってくれそうにないよな、どう見ても)
森本杏奈が男鹿に振られた逆恨みで付きまとっているのだとしたら。悠衣に負けたくなくて意地になっているのだとしたら。感情的になっている人間に言葉が通じるはずもない。
かと言って真正面からやり合うにしては、相手が悪すぎる。森本杏奈は学年屈指の美少女で、見た目が可愛いだけでなく性格もいいと評判も高い。そんな相手に喧嘩を売ったとして、こちらが勝てるはずが無い。
悔しいが森本杏奈は『格上』で、私たちは『格下』なのだ。
(私一人が泥をかぶるならまだしも、悠衣を巻き添えになんて絶対にできない……。こういう場合、事を荒立てたら負けだ。悠衣もそれが分かってるから男鹿と距離を取ってるんだろうし……)
悠衣と男鹿の置かれた状況は理不尽だ。考えれば考えるほど納得がいかなくて、私はモヤモヤしてしまう。どうして互いに想い合っている二人が、周囲の視線を気にして距離を取らなければならないのか。
二人とも、悪いことは何一つしていないはずなのに。
しかし、私の思考は不意にぶつんと途切れた。突如、私のすぐ後ろにあった非常階段の扉が開き、何者かが顔を覗かせたからだ。
(いったい誰がこんなところに――――?)
私がぎょっとして振り向くと、そこには何故か蒼司が立っていた。
「蒼……? じゃない、月宮先生……!?」
あっけにとられる私を尻目に、蒼司はこれ以上ないほど完璧で端正な笑顔を、惜しげもなく披露するのだった。
「もうすぐ授業が始まるよ。二人とも、そろそろ教室に戻りなさい」
「もうそんな時間か……」
そういえば、男鹿とずいぶん話し込んでしまった。蒼司が呼びに来なかったら、五時限目に遅刻していたかもしれない。
一方、男鹿は蒼司のことを知らないらしく、突然こんな校舎のはずれに乱入してきた見慣れぬ教師に、すっかり混乱している。
「えっと……?」
「ああ、月宮先生は美術の担当教師なんだ。美術は水無瀬先生が受け持っていたんだけど、産休に入ったから、今はかわりに月宮先生が指導しているんだ」
私が慌ててそう説明すると、男鹿も一応は納得したらしい。
「ああ、そうなのか。知らなかったな」
男鹿の選択科目は書道なので、知らないのも無理はない。高校は教師の数や授業の種類も多いので、そういった事も珍しくはないのだ。
私と男鹿のやり取りが終わるのを待ってから、今度は蒼司が口を開いた。
「君は男鹿くんっていうの?」
「あ、はい。そうです。1‐Bの男鹿清武といいます」
「……そう、結城さんのクラスメートなんだね。今度、美術室に遊びにおいでよ」
「は? 俺が美術室にっすか? でも……」
男鹿の困惑も、もっともだ。何故、美術とは何の関係も無い男鹿が、美術室に遊びに行かなければならないのか。美術室に行く目的も、誘われる理由も、さっぱり分からない。
しかし当の蒼司は自分の言動に一切の疑問を抱いていないらしく、笑顔で当然のように続ける。
「いいから遠慮しないで。君とは是非いろいろと語り合ってみたいんだ。そう……じっくりいろいろとね」
蒼司はポンと男鹿の肩に手を置いたが、その手の平には明らかに妙な力がこもっている。笑顔にもどこか険があり、かすかに口元が引き攣っている。ズゴゴゴゴと今にも不穏な効果音が聞こえてきそうだ。
(バカ蒼司! 教師が生徒に喧嘩を売ってどうするんだ!?)
私は慌てて蒼司の脇腹を肘で小突いた。もちろん男鹿には見えない角度でこっそりと。蒼司はにこにこと笑顔を崩さなかったが、私の怒気はしっかり伝わったらしく、それ以上は何も言わなかった。
何かボロが出る前に、一刻も早く蒼司と男鹿を引き離さなければ。私は男鹿と蒼司の間に割り込むと、さり気なく切り出した。
「男鹿、いろいろ話してくれてありがとう。月宮先生の言う通り、そろそろ書道教室に戻ったほうがいいと思う。途中まで送ろうか?」
「いや、一人で大丈夫だ。それじゃあな」
「ああ。気をつけて」
男鹿が松葉杖を突きながら芸術棟へと戻っていくのを、私と蒼司はそろって見送った。男鹿の姿が完全に見えなくなってから、私は改めて蒼司をにらむ。
「お前なあ、いったい何しにここへ来たんだ!?」
「何しにって……もちろん立夏の様子を見るために来たんだよ。決まってるでしょ」
「学校ではできるだけ話しかけないって約束じゃないか。誰が見てるか分からないんだぞ!」
こんなところを誰かに見られでもしたら。そして蒼司と私の関係をあれこれと邪推されたあげく、学校中に言い触らされでもしたら、どんな地獄が待っているか。その光景を想像するだけで、背筋がぞっとする。
ところが蒼司は緊張感など欠片も無く、悩ましげに溜め息をつくのだった。
「僕もそのつもりだったんだけどね。……知ってる? 美術準備室の窓からこの非常階段が見下ろせるんだ。授業の用意をしていたら立夏が男子生徒と二人きりで話しているのを偶然、見かけてね。おまけに立夏はすごく真剣で、積極的に男鹿くん?に詰め寄っているし。そんな現場を見てしまったらもう……居ても立っても居られないじゃない!!」
「いや、熱く同意を求められても困るんだが……」
蒼司は私と見知らぬ男子学生が非常階段で話しているのを見かけ、危機感を抱いて乗りこんできた。つまり、はやい話が蒼司はヤキモチを妬いたのだ。
(……アホか!)
私は内心で突っ込んでしまった。そんなことで私と蒼司の関係がバレそうになるリスクを冒してしまえるなんて。私には愚の骨頂としか思えない。
「それで? 男鹿くんとはどういった関係なの?」
「どうって……ただのクラスメートだよ。それ以上でもそれ以下でもない」
「ふうん……? それじゃ二人で何を話していたのかな?」
「あのな……しつこい男は嫌われるぞ」
「なあんだ、話してくれないんだ? それじゃ男鹿くんから直接聞こうかな?」
「……好きにすればいい。そんなことしたら絵のモデルの話は金輪際お断りだからな!」
私が人差し指を突き付けると、さすがの蒼司もむむっと押し黙った。まるで喉に魚の骨が突き刺さったみたいな表情だ。私の放ったひと言は、蒼司の急所をうまいこと突いたらしい。その証拠に、蒼司はむくれて唇を尖らせた。
「それは……ちょっとひどくない? まるで弱みを握られてるみたいなんだけど」
「弱みを握られてるみたいじゃなくて、握ってるんだ。分かったら少しは自重しろ! お前の嫉妬に私の学校の友達を巻き込むな!」
「……分かったよ。立夏がそこまで言うなら慎むことにする」
そうは言ったものの、蒼司が不服や不満を抱いているのは一目瞭然だ。納得はしていないけれど、私が頼んだことだから言う事は聞く――そんな表情だ。
(今回は男鹿に私と蒼司の関係がバレなくて済んだけど、次も何事も無いとは限らないんだぞ……いつか大事にならないと良いんだが……)
私が溜め息をついたのも束の間、蒼司はすぐさま気を取り直し、いたずらっぽい笑みを浮かべるのだった。
「そのかわりにさ、今日の夜、さっそく絵のモデルを頼みたいんだけど、いいかな?」
そうはいくか。こうも好き勝手に振舞った上に、私から譲歩を引き出そうなんて。何でもかんでも思い通りになると思うなよ。そう思った私はニヤリと笑みを浮かべた。
「どうしようかなぁ~? 今日は疲れてるし、家に帰ったらそんな体力や気力なんて、一片も残ってないかもなぁ?」
私がこれでもかと意地の悪い笑み向けると、さすがに蒼司も私の魂胆に気づいたらしく、端正な笑みがぎこちなく引きつる。
「えっと……立夏。もしかしなくても僕のことをからかって楽しんでない?」
「……お前をからかったところで少しも楽しくない。お前は男鹿に余計なちょっかいをかけたから、これでおあいこだ」
私がフン、と鼻息荒く答えると、蒼司は一瞬、虚を突かれたような顔をした。まあ、蒼司にとって絵はセンシティブな問題でもあるから、この辺にしておいてやるけれど。私の反撃が止んだことを察し、蒼司はくすりと笑った。
「それじゃ今夜、つき合ってくれる?」
「その変態くさいセリフはどうかと思うけど……一応、考えとく。それより、さっさと美術教室に戻るぞ、月宮先生。もう授業開始のチャイムが鳴ってる」
私はそう言って話を切り上げ、蒼司を急かすと、別々の階段から美術室へ向かった。ギリギリで美術教室に到着し、慌ただしく席に着く。
悠衣が不思議そうな顔でどこへ行っていたのか尋ねてきたが、男鹿と話していたと正直に言うわけにもいかない。悠衣は男鹿との関係について、そっとして欲しいという態度を貫いている。自分の知らないところで私が勝手に動いていると知ったら、いい気はしないだろう。
だから悠衣には悪いと思ったけど、適当な話で誤魔化しておくことにした。「すまない、悠衣」と心の中で謝りながら。
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