第20話 不利な対決

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第20話 不利な対決

 森本杏奈は欠片も信じていない様子で、かわいい顔を邪悪な妖精みたいに歪め、忌々しそうに悠衣と私をにらみつけた。それを見かねたのか、今度は森本杏奈の右隣に立つ眼鏡の友人が、悠衣に食ってかかった。 「ずいぶんと余裕じゃない? やっぱ場数を踏んでる人は違うよね。あんた、中学時代はかなりの遊び人だったそうじゃん? 男を手玉に取って、ふしだらな付き合いをしてきたんでしょ? 男鹿くんのことは騙せても、あたしたちのことは騙せないんだからね!!」 (こいつら……!!)  私は奥歯をギリギリと噛みしめた。森本杏奈たちは、悠衣が中学時代に流された噂を知っているのだ。  田舎は狭い。わざわざ悠衣の中学校へ足を運ばなくても、SNSを使えば、そういった情報は容易に手に入る。クラスの一部の女子は悠衣の噂を知っていたようだし、そこから森本杏奈に話が伝わってもおかしくはない。  ただ、大勢の生徒が行きかう廊下で、取り囲まれて注目されている場面で、わざわざ悠衣の過去を暴露するところに、許しがたい悪意を感じる。  だって悠衣と対決するのが目的であれば、べつに校舎の裏でも良かったはずだ。それなのに、わざわざ生徒の多い放課後の廊下を選んだのは、悠衣を貶めてやろうという悪意があるからとしか思えない。  一方の悠衣は青ざめた。鞄を抱える腕はカタカタと細かく震え、小さくなって俯いてしまう。本当はこんなところで森本杏奈を相手にするなんて嫌だったし、逃げ出したかったに違いない。それでも事を大きくしないために精一杯、平静を装っていたのだ。その虚勢も、いまは影も形もない。 (悠衣……!)  成り行きを面白そうに眺めている野次馬たちは、ひそひそと囁き交わしはじめた。  彼らの好奇の目は悠衣へと注がれており、「え、今の話、マジ?」とか、「真面目そうな子なのに……人は見かけによらないねー」などと無責任な言葉が漏れ聞こえてくる。  森本杏奈たちにも周囲の声が聞こえたのか、勝ち誇ったような表情になった。悠衣を窮地に立たせるため、わざと野次馬にも聞こえるよう大声を出したのだ。  こいつら絶対に許すものか。私は悠衣をかばうように身を乗り出すと、大きく息を吸って声を張りあげた。 「お前ら。証拠はあるのか?」 「はあ?」 「お前らの話を裏付ける根拠はちゃんとあるのかと聞いてんだ! 無いなら、今ここで撤回して悠衣に謝罪しろ! 今すぐ!!」  すると悠衣の噂を暴露した眼鏡の女子は、一転して挙動不審になり、口ごもった。 「な、何でよ!? あたしたちはただ他校の生徒から聞いたことを……!」 「その他校の生徒が、本当のことを言っているとは限らないだろ!! 高校生にもなって、そんな事も分からないのか!? 男鹿に交際を断られたからって、なんで悠衣に抗議する? 告白をはっきりと断られたのなら、男鹿は森本さんのことを好きじゃないってことだろ!! ……男鹿のことを想っているなら、その時点で大人しく諦めるべきじゃないのか!? お前ら、行動があまりにも自分本位すぎるぞ! 本当に男鹿のことを好きなら、これ以上しつこく付きまとうな!!」  私は周囲の野次馬にもよく聞こえるように、はきはきとした口調で大声を張り上げた。こちらの言い分もはっきり主張しておかないと、森本杏奈の情報だけが間違って伝わってしまう。森本杏奈から仕掛けてきたのだから、これくらい仕返したってバチは当たらないだろう。  それを聞いた野次馬たちの空気が少しだけ変わった。少数ではあるが、森本杏奈たちを責めるような視線や、疑うような言葉を向ける者が現れはじめたのだ。森本杏奈たちも、この展開は予想していなかったようで、慌てて言い返す。 「男鹿くんは……わたしのこと好きじゃないなんて、ひと言も言ってない! ただ他に好きな子がいるから、わたしとつき合うわけにはいかないって……そう言ったのよ!!  わたしだって……姫崎さんが普通の子なら諦めてたかもしれない。男鹿くんと姫崎さんがお似合いのカップルなら、わたしも身を引くことができた。でも、そうじゃないでしょ!? 姫崎さんは平気で男に媚びて、気に入られるように取り入って……汚らわしいことにも平然と手を染める……!!好きになった人が、そういう不潔な子を好きだって知ったら、何とかしてあげなきゃって思うのが普通でしょ!?」 「だからそれは、ただの言い掛かりだって……!!」  私はそう返すが、森本杏奈は私の声をさらに上回るようなキンキン声で喚き散らす。 「男鹿くんは姫崎さんの正体に気づいてない! 気づいてたら、絶対にわたしを選ぶはずよ!! だからわたしは、姫崎さんの正体を暴いて男鹿くんの目を覚まさせてあげるの! だって、どこからどう見てもわたしのほうが男鹿くんに相応しいんだから!!」  私は今度こそ言葉を失った。森本杏奈は自分が口にした言葉を、心の底から真実だと信じて疑っていない。  彼女は自分の醜い本心に、怖ろしいほど気づいていない。男鹿に対し、信じられないほど傲慢で上から目線であることも。悠衣に対して、おぞましいほどの偏見と蔑視を抱いていることも。  だからこそ、大勢の生徒の前で悠衣を糾弾してやろうなどと考えついたのだ。自分たちは絶対的に正しい、何も間違ったところなど無いと信じているからこそ、この馬鹿げた『劇』を披露する気になったのだ。 (――何なんだ、こいつら)  私は怒りのあまり頭がグラグラと沸騰して、眩暈すら起こしそうだった。  彼女たちは不確実な噂を、よく調べることもせず鵜(う)飲みにし、自分に都合のいい物語(ストーリー)を作り上げ、それを振りかざして平気で攻撃の道具にしてしまえるのだ。  どうして、誰かを傷つけるかもしれないと想像できないんだろう。どうして、一歩でも立ち止まって、冷静に考え直せないのだろう。どうして自分が正義だと、疑うことなく確信できるんだろう。その正義を守るために誰かを踏みつけ、苦しめているのだと、どうして気づかないのだろう。  べつに難しいことじゃない。ちょっとだけ視線を変えたり、自分の足元に目を向ければいいだけだ。その気になれば、誰だってできることなのに。  ざわざわと周囲が騒ぎ出す。 「ねえ……これってつまり、どういうことなの?」 「よく分かんないけど……森本さんはフラれたのに告った男子に付きまとってるってのは、何か違うんじゃない? いくら可愛いくても許されないっていうか……」 「確かにねー。姫崎さんの噂にしても何も証拠が無いって自分でも認めてるし、最悪の場合、森本さんがでっち上げた可能性だってあるわけだしさー」  悠衣に同情してくれる声も無くはないが、森本杏奈に加勢する声が圧倒的に多い。 「森本さんが悪いってわけでもなくね? 森本さんは好きな男子のためを思って行動しているんだからさ」 「彼氏想いのいい子だよなー? 森本さんをふった男子もアホだろアホ! どう見ても森本さんの方が可愛いじゃねーか。なあ?」 「そーそー! 結局はカワイイが正義!」  私は無責任な野次馬のやり取りにイライラした。カワイイ女性やカッコイイ男性の主張が正しくて、そうでない人が間違ってるなら、この世は滅茶苦茶になってしまう。  悔しいけど、そういう価値観の人は結構いる。彼らにとって人間は外見が九割、容姿や見た目の印象が何よりも大事なのだ。  森本杏奈は可愛くて性格もいいと、うちのクラスでも評判だ。その評判はA組でも変わらないだろうし、他のクラスにも広がっているかもしれない。  森本杏奈の評判が圧倒的に勝っているから、私たちが彼女の評判を下げることを言ったところで痛くも痒くもないのだ。彼女は自分が圧倒的に優位なポジションに立っていることを自覚した上で、最大限に武器として利用している。  そう考えると、私は歯がゆくてならなかった。この勝負は、最初から私たちの負けだったのだ。事実なんて、どうでもいい。廊下で待ち伏せされて、大勢の生徒に囲まれた時点で、私たちが『悪役』にされるのは決まっていたのだ。  森本杏奈に好意的な野次馬の声を耳にし、今こそが攻め時だとでも思ったのか、友人のうち残る一人が大声を張り上げるのだった。 「とにかく! さっさと男鹿くんから離れてよ! 男鹿くんだってあなたみたいな尻軽ビッチより、杏奈みたいに性格も素行も良い子が彼女になった方が、幸せに決まってるじゃない! あなたがしつこく男鹿くんに付きまとっているせいで、杏奈はすっごく傷ついてるんだからね!!」  その言葉に感化されたのか、周囲の生徒たちは森本杏奈にひどく同情するような声を寄せる。中には悠衣に咎めるような眼差しや、軽蔑の色さえ見せている者もいる。彼らも何の証拠も無いのに、噂だけで悠衣が『尻軽ビッチ』だと思い込んでいるのだ。 (ここにいる生徒の大半は森本杏奈に肩入れしてる。ここで私たちが逃げ出したら、森本杏奈たちの主張が正しいから逃げたのだと思われてしまう……! 進むも地獄、引くも地獄、まさに万事休すじゃないか……!!)  そう考えると、初期対応の不味さが悔やまれる。どんなに腹が立っても、私たちは森本杏奈の喧嘩を買うべきではなかった。彼女たち三人が行く手を塞いだとしても、足を止めず、無視して立ち去れば良かったのだ。今となっては、どれだけ後悔してもあとの祭りだ。  森本杏奈は最初から悠衣を傷つけるつもりだったのだ。そして罠にかかった獲物をいたぶりたくてウズウズしている。この様子だと、傷つけられたプライドを埋め合わせ、お釣りがくるほどでなければ、とても満足しないだろう。   
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