第21話 不利な対決②

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第21話 不利な対決②

 悠衣は青ざめていたが、どうにか気丈に息をひとつ吐くと、震える声を押し殺しながら、森本杏奈たちへ静かに口を開く。悠衣も不利な立場を十分に理解しているけど、それでもこの理不尽な状況に負けたくないのだろう。 「……好きにしたら? 何度でも言うけど、あたしは男鹿が誰とつき合おうが邪魔するつもりは無いし、これまで邪魔した覚えもない。いくらあたしを悪者にしたって、男鹿との関係は好転したりしないよ」 「はあ!? この期に及んで、まだ言い逃れするつもり!?」 「……もう行ってもいいかな? あたしたち、これから部活動に行かなきゃだし、こんな公開処刑につき合ってなんかいられない」 「何よ、逃げるの!? 卑怯者!!」  悠衣はその言葉を無視して、森本杏奈たちから顔を背けると「行こ、りっちゃん」と小さく私に囁き、その場を立ち去ろうとした。  その瞬間、野次馬の間から「やっぱり噂は本当なんだ」とか、「そうでなきゃ逃げたりしないよねー」という言葉が漏れ聞こえてくる。それは悠衣の耳にも聞こえていたはずだが、それでも振り返ることはしなかった。  ところが森本杏奈たちは、悠衣を逃がしはしなかった。立ち去ろうとする悠衣に気づいた森本杏奈の友人たちは、悪鬼のような形相を浮かべると、二人がかりで悠衣の腕を乱暴に掴み、強く引っ張ったのだった。 「ちょっ……離して!」  その拍子に悠衣は大きく体勢を崩し、抱えていた鞄を落としてしまう。 「悠衣!」  悠衣は悲鳴を上げて、掴まれた手を振りほどこうとするが、彼女たちは獲物を逃がすまいと、目を爛々と光らせている。 「やめろお前ら! 暴力を振るうのか!?」  私は見かねてそう叫んだが、彼女たちはすっかり頭に血が上ってしまっているらしく、血走った目で噛みついてくるのだった。 「何よ!? だって、こうしないと分からないでしょ!?」 「そうよ! 卑怯なことをしてるのはそっちなんだから! 好き放題に杏奈と男鹿くんの関係を搔き回したくせに、このまま逃げ得だなんて絶対に認めないからね!!」  森本杏奈の友人たちはすっかり興奮しきっており、もはや冷静な会話が成立する段階ではない。 (このままじゃ悠衣が危ない……! 誰か助けてくれる人は―――)  私は周囲を見回すが、野次馬は高みの見物を決めこんで絶対に関わろうとしない。森本杏奈に至っては、まるで自分が被害者であるかのように怯えた素振りを見せている。 (いったい誰のせいでこんなことになったと思ってるんだ? すべてお前のどうでもいい見栄とプライドが招いた事態だろう!)  悠衣だって好きで逃げようとしたわけじゃない。どれだけひどい仕打ちを受けても、自ら身を引こうとしたのだ。こんな廊下で延々と争っていても、野次馬を喜ばせるだけで何の意味もない。それが分かっているからこそ、歯を食いしばって理不尽な扱いに耐え、森本杏奈との諍いを避けようとしたのだ。  そんなの、少し考えたら分かるだろうに。  それでも私が怒りを抑えたのは、悠衣の存在があったからだ。悠衣は青ざめた顔で震えながらも、最後まで冷静に対処しようとしている。そんな悠衣を差し置いて、私が先に切れるわけにはいかない。 「いい加減に悠衣から手を離せ!!」  「きゃっ……」  私は取っ組み合っている悠衣と友人たちの間に強引に体を割り込ませると、彼女たちの手から悠衣を引き剥がした。突然、手を引き離されたものだから、彼女たちは勢い余って尻もちをついたが、私の知ったことではない。 「痛ったあい! 何すんのよ!」 「暴力振るうなんて、サイテー」 「先にやってきたのは、お前たちだろ。そっちこそ言葉の暴力なら許されると思ってるんじゃないだろうな」  私は悠衣をかばうように自分の後ろに押しやると、森本杏奈たちの前に立ちはだかる。彼女たちは肩を上下させて悠衣をにらみつけているが、いつまた手を出してくるか、分かったものではない。  その時だった。周囲を取り囲む野次馬の向こうから、馴染みのある男子生徒の声が聞こえてきた。 「ちょっと悪い、通してくれ!」 (この声は……!)  人垣を掻き分けて現れたのは、松葉杖を突いた男鹿だった。そばには入江の姿もある。二人とも授業が終わったらすぐにサッカー部の部室棟へ向かうが、今日はまだ校舎の中にいたらしい。  男鹿は私たちの傍までやって来ると、呆気にとられたように、廊下でにらみあう悠衣と森本杏奈の顔を交互に見る。 「姫崎!? と森本さん……? 何やってんだ、こんなところで?」 「お……男鹿くん……!」  最初は困惑していた男鹿だが、ただならぬ気配を察したのか、たちまち表情が険しくなる。男鹿の表情を見て、森本杏奈たちは勢いを削がれたように私たちから視線を逸らすと、気まずそうに俯いている。 (森本杏奈を説得できるとしたら、きっと男鹿だけだ)  悠衣は私の後ろで縮こまっているし、森本杏奈たちはもじもじと視線を逸らしている。だから男鹿は私に尋ねることにしたのだろう。 「結城、これは一体どういうことなんだ?」  せっかくご指名を頂戴したのだ。私は包み隠さず事実を述べさせてもらうことにした。 「いいところへ来たな、男鹿。何とかしてくれ。森本さんが恋路を邪魔しているんじゃないかって、悠衣に怒っているんだ」 「……!」  男鹿はそれだけで、この騒ぎの原因と、騒ぎが発生した経緯を悟ったらしく、瞬く間に表情を曇らせた。男鹿は、この事態を招いた原因の一端が自分だとすぐに気づいたのだろう。  森本杏奈はさすがにバツが悪いのか、男鹿から視線を逸らせて小さくなった。悠衣も男鹿の顔を直視しようとせず、視線を俯けている。  男鹿に視線を向けているのは、この修羅場がどうなるのかと好奇心をたぎらせている周囲の野次馬ばかりだ。男鹿は周囲の無遠慮な視線には構わず、森本杏奈に声をかけた。 「森本さん……俺、何度も言ったよな? 俺は森本さんとつき合うつもりは無い。好意は嬉しいけど……付き合うには俺たち、お互いのことを知らなさすぎる」 「!! 男鹿くん……!」  森本杏奈は弾かれたように顔を上げた。男鹿の言葉にひどく傷ついた様子で、制服の袖からちょこんと出た小さな手を口元に当てて、つぶらな瞳を揺らす。必要以上に見る者の罪悪感を掻き立てる表情だ。  男鹿も一瞬だけ言葉を詰まらせたものの、己を奮い立たせるようにして言葉を続ける。 「まだ入学して一か月も経ってないんだし、恋愛よりは学校生活や勉強に集中したいから……悪いけど、君の告白には応えられない」  そう告げられた途端、森本杏奈は目元に大粒の涙を浮かべた。そしてヒックヒックと小さな肩を上下させながら、鼻声まじりの舌足らずな甘えた声で訴える。 「わ……わたしとつき合えないのは、姫崎さんがいるせい……? 男鹿くんは、姫崎さんのことが好きだから……!?」  男鹿は少しムッとしたように、突き放すような口調で言い返す。 「それは……森本さんには関係のない話だろ」 「そんな、ひどい……!」  自分から男鹿の不興を買うようなことを言ったくせに、森本杏奈は完全に悲劇のヒロイン気取りだ。びくりと体を震わせ、「ひうっ……!」とこれ見よがしにポロポロと涙を流す。言葉にはせずとも、全身で告白を拒む男鹿を責め立てているようだ。  男鹿も同じことを感じたのか、眉をひそめたものの、冷静に説得を続ける。 「ともかく、姫崎を巻き込むのだけはやめて欲しい。俺と姫崎は森本さんが想像しているような関係じゃないんだ。だから……」  だが、男鹿が最後まで言い終わらないうちに、二人の友人が金切り声を上げて遮ってしまう。 「何よ! 杏奈のことは突き放して、姫崎さんのことは庇うんだ? やっぱり男鹿くん、その子のことが好きなんじゃない!」 「杏奈が可哀想だよ! こんなに健気なのに!!」  二人の友人は肩を震わせ、ポロポロと涙を流す森本杏奈をかばうように両側から彼女を抱きしめ、その背中をさすっている。  男鹿は彼女たちの反応にひどく戸惑っているようだった。それはそうだろう。彼女たちの主張だと、男鹿には森本杏奈との交際を受け入れる以外の選択肢は無いことになってしまう。途方に暮れて当然だ。  けれど男鹿は、私の後ろで力なく佇んでいる悠衣へと視線を向けると、決然とした表情になった。 「……ごめん。でも、何と言われようと俺の気持ちは変わらないから。俺は森本さんのことを良く知ってるわけじゃない。それなのに告白されたからつき合うなんて無責任な真似、俺はしたくない。何ていうか……そんなに焦らなくてもいいんじゃないかな? 森本さんは十分魅力的だし、森本さんのことをよく理解した上でつき合いたいっていう奴が、絶対にこれから現れるよ」  男鹿は心から誠意をこめて、森本杏奈にお断りの言葉を告げる。私も呆れてしまうほど真剣でまっすぐな男鹿の言葉は、野次馬たちの心をも揺さぶったようだ。 「森本さんがフラれたって話、本当だったのかよ?」 「その腹いせに姫崎さんへ嫌がらせしたってワケ? うわ、サイテー」 「森本さんってカワイイから、何したって許されると思ってるんでしょ」 「姫崎さん、カワイソー」  森本杏奈に対する支持の声と不支持の声は、今のところ半々といったところだろうか。痛み分けだと考えると、とうてい納得がいかないが、今までの圧倒的に不利な状況を考えると、ずいぶん持ち直したほうだ。それもこれも男鹿の誠意に溢れる説得のおかげだ。
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