第23話 悠衣の本心

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第23話 悠衣の本心

「はい、みんなも解散! 部活がある人は部活へ、そうでない人は下校しようね」  蒼司の号令で、廊下に集まっていた生徒たちも、悪い魔法が解けたかのように一斉に動き始める。部活棟へ向かう者、帰宅の途に就く者。みな、それぞれの学校生活に戻っていく。  森本杏奈たちも興が削がれたような表情で、謝罪の言葉ひとつも口にしないまま、その場から立ち去ってゆく。その澄ましたような愛らしい顔からは、反省も後悔もまるで感じられない。  いや、森本杏奈は今でも自分は悪くないと思っているのだろう。彼女たちが撤退したのは、自分たちの恥まで晒されてしまい、これ以上、私たちとやり合うのは損だと判断したからであって、自分の考えを改めたからではない。そんな口先だけの謝罪なんて虚しいだけだ。  だが悠衣は立ち去る森本杏奈など目に入らないとばかりに、男鹿を連れて行こうとする蒼司に必死になって訴える。 「月宮先生、待ってください! 男鹿は……男鹿くんは悪くないんです!」 「姫崎……」 「私も男鹿が連れて行かれるのは納得できない。そもそもの発端は森本杏奈だし、男鹿が怒るのは当然だと思う」  どんな理由であれ人を『尻軽ビッチ』呼ばわりするなんて、暴力を振るうのと同じくらい許されないことだと思う。悠衣に恋愛感情を抱いていることを差し引いても、男鹿の言っていることは正しい。  けれど蒼司は無情にも私たちの訴えを却下するのだった。 「そうは言っても男鹿くんが他の生徒に手を出したのは事実だからね。僕はそれを見ちゃったわけだし、教師としては、このまま見過ごすわけにはいかないな」 「でも……!」  なおも食い下がろうとする悠衣に今度は男鹿が静かに告げる。 「気にすんな、姫崎。俺がやったことだ。俺が責を負うのは当然のことだ」  「男鹿……」  蒼司に連れられ松葉杖を突いて歩く男鹿と、二人分の鞄を抱えて付いて行く入江。私と悠衣は廊下に立ち尽くしたまま、廊下を後にする彼らの背中を見送った。 「あたしのせい、だよね……男鹿をこんな事に巻き込んじゃって……男鹿が停学になったりしたらどうしよう……!」  悠衣の悲痛な声には、自分を責める色が濃く滲んでいた。私は泣き出しそうな悠衣を励まそうと、なだめるように背中を撫でた。 「大丈夫だ、悠衣。月宮先生なら頭ごなしに怒鳴り付けたりとか、理不尽な罰を与えるなんてことはしない」 「うん、そうだといいけど……」  廊下に集まっていた生徒は解散し、辺りは閑散としている。もう誰も、私たちには注目もしていない。先ほどの騒ぎが、まるで何か悪い夢だったように思えてくる。後に残ったのは、ただただ言いようのない虚しさだった。  私たちは何となく美術部に顔を出す気になれず、望月部長に部活を休む旨を伝えると、一緒に中庭のベンチに座って、男鹿が戻って来るのを待つことにした。  やがて悠衣が小さくぽつりと呟いた。 「……森本さんはすごいね。あんな大勢の人の前で自分の気持ちをはっきり口にできるなんて。あたしにはとても真似できないよ」  「あんなのの真似なんて、しなくていい」  私が酸っぱいモノを食べたみたいに露骨に顔をしかめると、その顔が可笑しかったのか、悠衣が少しだけ笑った。 「あんなのって……りっちゃんひどい」 「悠衣は悠衣のままでいいと、私は思うぞ」  それに森本杏奈は見かけ以上に神経が図太くて、思い上がりも甚だしく、かなりの策士だ。自分が可愛くて、男子に人気がある事もちゃんと理解した上で、それを最大限に利用して生きている。願わくば私の友達――悠衣や男鹿に害の及ばないところで、好きなだけその才能を生かせばいいと思う。  私は以前からずっと気になっていた事を聞いてみることにした。 「悠衣は……男鹿に告白することを一度も考えたことはないのか?」 「告白なんて……あたしはただ……」  途端に目をそらして言いよどむ悠衣に、私は慌てて手を振って付け加える。 「あ、いや。告白をすべきとか、そういう事を言っているんじゃないんだ。ただ、悠衣は男鹿に告白はしないって言い続けていたから……それはどうしてなのかと思ったんだ」  悠衣は自分の気持ちをどう言葉にするか悩んでいるみたいに空を見上げると、何事も無かったような口調で切り出した。 「最初は……最初はね。男鹿の意思を尊重しようと思ったの。もし男鹿が森本さんとつき合うなら、あたしは絶対に出しゃばらないって、そう決めてたんだ。ほら、男鹿が森本さんと交際するなら、あたしは邪魔でしかないでしょ? だから、白黒つくまでは男鹿と距離を取ろうって思ってたの」 「そうだったのか……」 「自分ではね、そう思ってた。冷たくするのは男鹿のためなんだから、あたしは間違ってないって、そう思い込もうとしていた」  いつの間にか、悠衣の顔から無理な感じのする明るさが消え、虚勢と言う名のペンキが剥げたように、頼りなげな色が浮かんでいた。 「でも……違った。そんなの自分が傷つかないための言い訳だよ。森本さんは人気者だし、可愛いし、男鹿が森本さんを選んだとしても全然おかしくない。もしそんなことになったら……あたしはきっと立ち直れないよ」    悠衣が小さく首を振った拍子に、明るいポニーテールの髪が小さく揺れる。 「悠衣……」 「あたしは男鹿に振られたんじゃない。自分から身を引いたんだって思えば、失恋してもどうにか耐えられる。そういう言い訳を用意して、ズタズタになった自分のプライド守ろうとしたの。あたしってサイテーだよね……」  悠衣はそう言うと、自嘲するように小さく笑った。 「サイテーだなんて、そんなこと……」  悠衣がその気になれば、男鹿と森本杏奈の仲を引き裂くことも、男鹿に森本杏奈の悪口を吹き込むこともできたはずだ。それこそ森本杏奈が語った思い込みのように。でも、悠衣はそんな卑怯なマネはしなかった。 「……男鹿が森本さんに『つき合うつもりは無い』って言った時、ほっとした。男鹿があたしを庇ってくれた時、自分でもびっくりするくらい嬉しかった……! だって……あたしが男鹿を好きな気持ちは本物なんだから! でも……あたしは自分勝手に男鹿を振り回したあげく、森本さんとの喧嘩にまで巻き込んでしまった。あたしに男鹿を好きでいる資格なんて無いよ……」 「それは違うぞ、悠衣。男鹿が怒ったのはどうしてだと思う? どうでもいい相手なら、あんなに怒ったりしない。悠衣のことが大事だから、男鹿は怒ったんだ」  驚いたような悠衣の表情が次の瞬間、泣き出しそうに歪んだ。 「……りっちゃんは優しいね。こんなあたしでも、男鹿はまだ許してくれるかな……」 「私の知っている男鹿は、そんな心の狭いヤツじゃないと思うぞ」  男鹿はどうなったのだろうか。気になって中庭から職員室をちらと窺ってみるが、窓の向こうは静まり返っている。男鹿や蒼司がどうしているのか、中庭からでは分からない。 (……そういえば蒼司のやつ、昼休憩の時に男鹿にやたらと敵愾心を見せていたな。まさかとは思うが……考えれば考えるほど不安だ)  今更ながらに蒼司と男鹿を一緒に行かせたことを後悔していると、しばらくして男鹿が中庭に現れた。松葉杖を突いている男鹿そばには入江も一緒だ。 「男鹿……!」  悠衣は弾かれたように立ち上げると、男鹿や入江の元へ駆け寄った。 「あの、大丈夫だった……? あたし……本当にごめんなさ……」  悠衣の謝罪を遮るようにして、男鹿は言葉を挟む。 「謝んなよ。俺はただ、俺のしたいようにしただけだ。姫崎が謝ることじゃない」 「でも……」 「悪い……俺、今日はもう帰るわ」  そう言うと男鹿は一方的に会話を切り上げてしまった。まるでこれ以上、悠衣とは話したくないという風に。男鹿は拒絶するように悠衣の視線を避け、さっさと靴を履き替えると、松葉杖を突きながら下駄箱を後にしてしまった。ぎこちなく歩く後ろ姿には、疲れが滲んでいた。  私は男鹿と一緒に下校しようとする入江を捕まえ、小声で問い詰めた。 「入江! 蒼……じゃなくて、月宮先生は男鹿にどんな話をしたんだ?」 「知らねーよ。俺、準備室の外で待ってただけだし」 「準備室……?」 「そ。美術準備室」 「いつの間に美術準備室に行く話になったんだ!?」  二人は職員室に行ったのではなかったか。思わず聞き返す私に、入江は怪訝そうに眉をひそめる。 「だから知らねーって。ただ、職員室へ行く途中、月宮先生から言い出したんだ。話をするなら美術準備室の方がいいって」  私は蒼司が男鹿に『今度、美術室に遊びにおいでよ』と言っていたことを思い出した。しかも何かを企んでいるような、とびっきり邪悪な笑顔で。 (まさかとは思うが……他の先生たちの目の届かない美術準備室で男鹿に何かしたわけじゃないよな!?)  それなら男鹿のあの疲れ具合にも納得がいく。ただでさえ森本杏奈の件で精神的に疲れていた男鹿に、蒼司がトドメを差してしまったのではないか。いや、蒼司ならやりかねない。 (蒼司のやつ、帰ったらとっちめてやる!!)  そう鼻息を荒くする私だったが、悠衣は男鹿に拒絶されたショックも相まってか、呆然と立ち尽くしており、その力なく見開かれた瞳は、いつまでも男鹿の背中を追っていた。
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