第24話 蒼司の推理

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第24話 蒼司の推理

 学校から家に戻ると、私はさっそく蒼司のアトリエへ向かった。絵のモデルをする約束はもちろん忘れていないが、蒼司が教師という立場を悪用して男鹿に何をしたのか確かめるためだ。  ばあちゃんが風呂に入った隙を見計らい、アトリエへすっ飛んでいくと、蒼司は満面の笑みで私を出迎えた。 「立夏、来てくれたんだね!」 「悪いが、絵のモデルを始める前に話がある」   「何?」 「お前、男鹿に何を言ったんだ? 学校の下足場で会ったけど、すごく顔色が悪かったぞ。何か男鹿を追い詰めるようなことを言ってないよな?」  じろりと疑いの眼差しを向ける私に、蒼司は心外だとばかりに身を乗り出した。 「そんなこと僕が言うわけないじゃない! 僕は他人をどうこう言えるほど立派な人間じゃないし、そういう自覚はちゃんとあるつもりだよ」 「でも、男鹿を美術準備室へ連れて行ったそうじゃないか。最初は職員室に行くって言ってたのに」 「そりゃ職員室には他の先生方もいるからね。男鹿くんのプライベートに関わる話だから、周囲に人がいないほうが安心するだろうと思ったんだ。僕なりに気を利かせたつもりだけど」  蒼司が意外とまともなことを言い出したので、私は思わず言い淀む。 「むう……蒼司の言うことも一理あるが……じゃあ、男鹿とどんな話をしたんだ?」 「それは立夏にも内緒だよ。僕はこれでも教師だし、生徒のプライバシーを守るのは当然のことでしょ? どうしても気になるなら男鹿くんに直接聞いてみたら?」 「そんなの……聞けるわけがない。私をからかってるのか?」  すると蒼司は、やたらと含みのある視線を私へと向けるのだった。 「そんなに男鹿くんのことが気になるんだ?……何だか妬けちゃうな」 「いや、そういう意味じゃないだろ」  そういった感想を抱いてしまうほど、蒼司の台詞はド直球だった。 「あのな……何を想像してるのか知らないが、男鹿はただの友達だ。お前には理解できないかもしれないが、男友達を気遣ったり心配したりすることは、普通にあることなんだよ」  何故だか蒼司は少し満足したらしい機嫌を直して口を開く。 「ごめん、ちょっと言ってみただけ。……そんなに心配しなくても、男鹿くんには教師として注意はしたけど、それ以上のことは何も言ってないよ。トラブルの現場を見てしまったからには、何も指導しないわけにもいかないしね」 「……だったら男鹿は、何であんなに疲れた風だったんだ……?」  しきりと首を捻る私に、蒼司は思いも寄らぬ可能性を告げた。 「男鹿くんはたぶん、足の怪我を悪化させてしまったんじゃないかな。男子生徒に掴みかかった時、床に両足をついていたでしょ?」 「そう言われてみれば……」   あの時、男鹿は松葉杖を手放していたし、相手の胸倉をつかんだ際に両足に思い切り力を込めていた。怒りのあまり自分が怪我をしてることすら忘れていたのだろうが、冷静になってくると後から痛みがぶり返してきたのだ。 「そのせいで治りかけていた足を痛めてしまったんじゃないかな? 美術準備室へ向かう時も足をしきりと気にしてたし。足は大丈夫?って何度か聞いてみたけど、男鹿くんは『平気です』としか言わなかったけどね」  私はふと気づいた。ひょっとすると男鹿が悠衣に妙に素っ気なかったのも、怪我の悪化を悠衣に悟らせないためだったのかもしれない。  騒動に巻き込まれたせいで男鹿の怪我が悪化したと知ったら、悠衣は自分を責めるだろう。悠衣が傷つかないよう、男鹿はどうしても足の怪我を隠したかったのだ。だから、あえて突き放すような態度を取ったのだろう。そう考えると、すべての辻褄は合う。 「そうか……そうだったのか」  私はほっとして、気が抜けてしまった。それにしても、蒼司は意外とよく見ている。絵を描く人間は観察眼も鋭いのだろうか。 「納得した?」 「……ちょっとだけ見直した」  私は、どうせ蒼司が男鹿に何かやらかしたのだろうと、頭から決めつけていた。そういうつもりは無かったけれど、結果として森本杏奈が悠衣にしたことと、同じ過ちを繰り返してしまったのだ。 「すまない、蒼司。私は、ひどい思い違いをしていたみたいだ」  私は心からそう謝った。そうすべきだと思ったから。 「蒼司が私の言葉で傷ついたかどうか分からないけど……たとえ傷ついていなかったとしても、私の言ったことが無かったことになるわけじゃない。きちんと謝らなければ、私の気が済まないんだ」  蒼司はびっくりしたような顔をして、しばらく私を見つめていたが、くすりと小さく笑うと、不意に私の耳元へ顔を近づけた。そして甘く響くような声音で囁いたのだった。 「……僕ね、立夏のそういうとこ、すごく好きだよ」  蒼司の声音が、そして吐息が私の耳朶をくすぐる。突然、耳元で囁かれた私は驚いて飛びのいた。 「なっ……!?」  思わず囁かれたほうの耳を抑えると、びっくりするほどの熱を帯びていた。喉はカラカラだし、背中には変な汗が流れるし、自分ではよく分からないが、顔も真っ赤になっているだろう。 「何するんだ、バカ! 人がせっかく真面目に謝ってるのに……」  精いっぱい怒って見せるが、蒼司は私の動揺を見透かしたようにくすくすと笑っている。 「分かってるよ。だから僕も本当の気持ちを言っただけ」  私は何か言い返してやろうと口を開きかけるが、蒼司は先手を打って話題を切り替えるのだった。 「それじゃ、さっそくモデルの件、始めようか」  うまく誤魔化されたような気がして、口元をへの字にする私だったが、蒼司はというと、いそいそと絵を描く準備を始めるのだった。  絵のモデルなんて未だに慣れないし恥ずかしいが、約束を破っては蒼司に悪い。そう自分に言い聞かせながらアトリエ中央の椅子に腰かけると、蒼司はさっそくスケッチブックを開いて鉛筆を手に取る。 「絵を描くのって、意外と下準備が必要なんだな…」  蒼司が絵を描くところは何度か見たが、こうして制作風景をしっかり見たことはなかったので、初めて知った。  蒼司は鉛筆を握ると表情を一変させる。女たらしな顔を引き締め、目元にも緊張感が漂っている。部屋の中は静寂に包まれ、ただ時計の音と蒼司が鉛筆を走らせる音が聞こえてくるのみだ。それが妙に心地よく、私は気がつくと学校でのことを思い返していた。  男鹿も悠衣も、お互いのことを考えて行動しているのに、少しずつすれ違っている。それを考えると、私はもどかしさを覚えるのだった。  あの二人に仲直りをして欲しい。元の関係を取り戻してほしい。このまま二人が疎遠になるようなことがあれば到底、納得ができるわけがない。せめて恋のキューピットが目の前に現れて、私に恋愛成就の指南でもしてくれたらいいのに。  そんな事を悶々と考えていると、絵に集中していた蒼司が声をかけてきた。 「ずいぶんと真剣に考え込んでるね。ひょっとして、この間言っていた漫画の主人公のこと?」  そういえば以前、悠衣のことを相談する時、ある漫画の主人公の話だと偽って蒼司に説明したのだ。蒼司はその事を覚えていたんだろう。 「この間は、ヒロインが過去のトラウマのせいで、好きな男子にうまく想いを伝えられないって話をしてたよね? あれからあの漫画、どうなったの?」 「いろいろあって……何ていうかこう、超絶ややこしいことになってるんだ」  私が答えると蒼司は意外そうに首を傾げた。 「ふうん……珍しいね。今の子はもっとサラッとしていて分かりやすいものを好むと思ってたのに」 「蒼司は二人を見守るのがいいとアドバイスをしてくれたけど、そういう段階を越えてしまってる気がして……蒼司は友達の恋を応援したり、相談に乗ったり……そういう経験はないのか?」  何か小さな手掛かりだけでも欲しい。藁にもすがる思いでアドバイスを仰いでみるが、蒼司の反応は思いのほか淡白だった。 「うーん……あんまりないなあ。僕は他人の恋愛に干渉するのが好きじゃないからね。僕自身、干渉されたいタイプじゃないし。立夏は二人にどうなって欲しいの? めでたく結ばれて、恋人になって欲しい?」 「付き合うとか恋人になるとかは、本人たちが決めることだと思う。私は、ただ……」 「ただ?」 「二人にちゃんと話し合ってもらいたいんだ。互いを想う気持ちは大事だけど……ただ想い合っているだけじゃ、分からないことだってある。言葉にしないと伝わらないことって、確かにあるんだから」  そう口にした途端、私は雲間から光が差したような気がした。ここ数日、モヤモヤしていた気持ちの原因が、ようやくはっきりしたからだ。  悠衣と男鹿はお互いを気遣うあまり、自分の本当の気持ちを言葉にしていない。二人は付き合いが長いから相手のことが分かっているのかもしれないが、それでもちゃんと話をして欲しい。そうでないと小さなすれ違いが重なって、取り返しのつかない大きな亀裂を生んでしまうかもしれない。  それを聞いた蒼司は、柔らかく微笑んだ。 「……そう。立夏らしい答えだね」 「正直……自信が無いんだ。私は恋をしたことがないし、誰かの仲を取り持ったこともない。自分がやっていることが正しいのかどうか分からなくて……それで悩んでるんだ」  余計なことをして、悠衣や男鹿に嫌われたくない。かといって、何もしなければ二人の関係が悪化するかもしれない。二人を仲直りをさせようとして、もし失敗したら? 私のせいで二人が険悪になるのは絶対にダメだ。そういった感情が、私の中でずっとグルグルと渦を巻いている。  それを聞いていた蒼司は、ぽつりと呟いた。 「正解なんてないよ」 「え……?」 「世の中の大半のことに、正解や不正解はないよ。善悪や正邪が一目瞭然なのは、ほんの一握りだけだ。僕たちが正しいとか間違ってるとか決めつけていることって、実は単純な好き嫌いだったりする。だから、正解なんていくら考えたって無意味だよ」
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