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第26話 協力体制
翌日、私はいつものように虹ヶ丘高校へ登校した。
昨日の森本杏奈との廊下での騒ぎを、1‐Bのクラスメートもみな知っているだろう。ひょっとすると、あの場に居合わせた生徒もいるかもしれない。そう考えると、学校に行くのが何だか怖いような気がした。
恐る恐る教室へ足を踏み入れると、昨日の出来事を引き摺ったような空気はあまり感じられない。少なくとも表面上はいつもと変わらない教室の風景に、私はほっと胸を撫でおろした。教室に入ると私はすぐに悠衣の姿を探した。昨日、大勢の生徒の前で『尻軽ビッチ』呼ばわりされたあげく、過去の悪い噂まで暴露されたのだ。もしかしたら学校を休んでいるかもしれない。そんな不安が胸をよぎる。
だが、悠衣はすでに登校しており、自分の席に座っていた。その姿に私が安心したのもつかの間、悠衣は誰かと話しているではないか。私の記憶が確かなら、あれはこの前、悠衣にからんできた四人組のリーダー格の篠原さんだ。
「おはよう、悠衣。今日も早いんだな」
「それじゃ、あたしが言いたいことは、それだけだから」
私が挨拶をする振りをして二人の間に強引に割り込むと、篠原さんはあっさりと悠衣から離れて、自分のグループに戻って行ったのだった。拍子抜けした私は、悠衣に事の次第を尋ねた。
「篠原さんと何を話してたんだ? まさか嫌がらせをされたんじゃ……」
そうだとしたら、ただでは置かない。そう息を巻く私に、悠衣は思わぬことを言ってきた。
「ううん、そうじゃないの。篠原さん、謝りに来てくれたんだ」
「え……?」
あまりにも意外な返答に、私は思わず言葉を失ってしまった。
「この間の事、悪かったって。いい加減な噂を真に受けて、言い過ぎたって言ってくれたの」
私は悠衣の言葉を、どこか救われるような思いで聞いていた。そうだ、世の中は理解し合えない人ばかりじゃない。篠原さんが悠衣に対する見方を変えてくれたように、他にも分かってくれる人はきっといるのだ。
「悠衣はすごいな……あんな事があったんだ。私だったら怖くて次の日、学校に行けないと思う」
「別に……すごくないよ」
慌てたように手を振る悠衣に、私は真面目な顔で首を振る。
「いいや、ものすごく勇気がいることだと思う」
「……だって、負けたくないもん。あたしは何もやましいところは無いんだから。それにあたしは一人じゃない。心強い味方がいるから」
「悠衣は意外とファイターだな」
私と悠衣はそう言って笑った。悠衣に関する悪い噂や偏見は、きっとすぐには無くならないし、下火になるまで時間がかかるかもしれない。それでも悠衣は戦うと決めたのだ。偏見や誹謗中傷に負けたりしないのだと。だから私は悠衣を心から尊敬するし、そんな悠衣の友達として相応しくありたいと思う。
しばらくすると男鹿と入江がサッカー部の朝練を終えて教室に入って来る。男鹿のほうは、まだ松葉杖は手放せないようだ。昨日の騒ぎで怪我が悪化してしまったのでは、と蒼司は言っていたが、外から見ただけでは足の具合は分からない。
昨日のことがあって少しは前進するかもと期待したが、男鹿も悠衣も互いに言葉を交わさなかった。以前のように徹底して避けているのとは違うが、どちらも何となく声をかけづらいという雰囲気だ。
(二人で話し合って欲しいけど……どうしたものかな?)
学校は常に人の目があるし、二人きりになれる時間など皆無だ。かといって、あからさまなやり方をしてしまったら悠衣も男鹿もひどく嫌がるだろう。悠衣と男鹿をさり気なく二人きりにできるシチュエーションなど、恋愛回路がショートしている私が頭をどれだけ捻っても出てくるはずもなく、あっという間に昼休憩になってしまった。
(ダメだ。私ひとりじゃラチが明かない!)
匙を投げた私は、とうとう協力者を募ることにした。男鹿と悠衣の双方を良く知っている入江を巻き込むことにしたのだ。弁当を完食するや否や、グランドに走ってゆく入江をひっ掴まえると、そのまま人けの無い中庭に向かった。
「……それで? 話って何だよ、結城?」
キャッチボールの予定をキャンセルさせられて、不機嫌そうにムスッとする入江に、私は単刀直入に切り出した。
「入江は男鹿と悠衣のことどう思う?」
「……あいつら喧嘩の真っ最中だろ。さっさと仲直りすりゃいいのになー。明日から宿泊研修なんだし、いつまで意地張ってんだよってかんじ」
「私は……二人の仲直りの手助けがしたいんだ。悠衣と男鹿も本心では仲直りしたいんじゃないかって気がする。だから悠衣と男鹿を二人きりにして、話をしてもらうんだ」
ところが入江は気乗りしない様子で、何か疑うような視線を私へと向けてくる。
「そりゃ話をするのは必要かもしんねーけど……姫崎や男鹿からそうしてくれって頼まれたのか?」
「いや……」
「だったらさ、それって余計な事じゃね? 頼まれもしないのに変に気を利かせて、失敗したらどうするつもりだよ?」
私は思わず「うっ……」と言葉を詰まらせた。入江のくせになかなか鋭いじゃないか。それでも私はどうにか入江を説得しようと身を乗り出す。
「失敗する可能性は百も承知だけど、私は二人のために何とかしたいんだ……友達に仲良くして欲しいと思うのは当たり前だろ?」
「気持ちは分からなくもないけどさー。俺だって男鹿に相談を持ち込まれたら喜んで応じるよ。でも、今回はそうじゃないんだろ? 男鹿は何も言ってないのに、それを俺たちが勝手にどうこうするのは筋が違うんじゃないか?」
「……だったら入江は、二人が喧嘩したままでいいって言うのか?」
「そうじゃねえって。一見すると友達想いみたいだけどさ……相手の意志とか考えを信用してないみたいじゃんか」
――何てことだ。私は入江を甘く見ていた。意外と鋭い上に頑固だし、言ってることも、そんなに間違ってない。けれど私だって、ここで退くわけにはいかない。
何故なら入江は男鹿のことは尊重してるし理解もしてるが、悠衣のことは何も分かってない。今回に限って言えば、悠衣の心も開かせなければ意味がないのだ。仲直りは片方だけの気持ちや努力だけではできないのだから。
私は腕組みをし両眼を細めると、挑むようにして言い放った。
「つまり入江は、男鹿がすごく困っていて、助けを言い出せない状況に置かれていても、何も頼まれていないから見捨てると……そういう事か」
とたんに入江は慌てた様子で反論した。
「……はあ!? そんな事、ひと言も言ってないだろ!」
「入江は男鹿のことを尊重してるから、過度に干渉もしない……それもひとつのつき合い方だと思う。でも男鹿がどうやって悠衣と仲直りすればいいか分からなくて困っているなら……周囲が手を貸してもいいんじゃないか?」
「ううん……? そりゃそうかもだけど、何か引っ掛かるっつーか……。ぬおおおお、分かんね~~~!!」
入江はとうとう頭を抱えて呻りはじめた。自分なりの考えはしっかり持っているけれど、基本的に難しいことを考えるのは苦手なのだろう。
(しまった! 小難しく攻めすぎたか……)
入江の頭の中は「話は分かるけど、それって何かヘンじゃないか? でも具体的にどこがヘンなのか分からない!」みたいな堂々巡りになっているのだろう。もっと分かりやすく伝えないと。私は入江の言葉を頭の中で反芻する。
(入江は、男鹿と悠衣の仲直り自体に反対してるわけじゃない。本当に仲直りできるのか、本人たちが干渉されることを望んでいるのか……私と同じところで引っ掛かってるんだ)
入江は理屈より直感で行動するタイプだけど、何も考えていないわけじゃない。おかしいことにはちゃんとおかしいと気づく奴なのだ。適当に言いくるめて、一時的に納得させることができても、すぐに矛盾点に気づいてしまうだろう。私はあれこれと策を弄すのはやめて、正直に胸の内を話すことにした。
「……ごめん、悪かった。入江の言う通り、私の計画は男鹿や悠衣から頼まれたものじゃない。ひょっとしたら悠衣も男鹿も喜ばないどころか、お節介だと恨まれるかもしれない。それでも私は手助けがしたいんだ。だって……二人とも私の友達だから」
「結城……」
「私が勝手に二人を仲直りさせたいだけなんだ。それなのに男鹿や悠衣のために協力してくれっていうのは、ずるい頼み方だと思う。だから改めて入江に頼みたい。二人を仲直りさせたいっていう私のわがままのために、力を貸してほしい」
私は入江に頭を下げた。目を見開き、あっけに取られて私を見つめている入江の表情からは、どこか困惑している気配も感じられた。まさか私が頭を下げるなんて思いもしなかったのだろう。
しばらくして入江はくせ毛をがしがしと掻きながら口を開いた。
「……しゃーねーな。そこまで言うなら協力してやってもいい」
「本当か!?」
「まあ実を言うと、俺もあいつらのことは気になってるし。ただ、結城がどこまで本気か分かんなかったから……冷やかしならぜってー協力はするもんかって思ったんだ」
入江の口調は先ほどとは違ってずいぶんと柔らかい。そう言えば入江も、森本杏奈たちが引き起こした騒ぎの渦中にいた。だから余計に私がどういうつもりなのかと疑っていたのだろう。もし野次馬根性で動いているのなら絶対に協力するものかと。私が逆の立場だったら、同じ疑問を抱いていたかもしれない。
「……ありがとう。入江は私の本気を信じてくれたんだな」
「そのかわり、うまくいったら焼きそばパン、奢れよな!」
「……どれだけ好きなんだよ、焼きそばパン」
私はそう突っ込み、入江と二人で声をあげて笑うと、入江は真剣な瞳を私へと向けた。
「それで具体的にどうすりゃいいんだ?」
「さっきも言ったけど、男鹿と悠衣が二人きりで話せる状況を作るんだ。宿泊研修は明日に迫っているから、動くとしたら今日の放課後だな」
ところが入江は首を横に振るのだった。
「今日の放課後は駄目だぞ。男鹿は病院に行く予定なんだ。もう予約も入れてあるし、親が車で迎えに来るって言ってたから時間は動かせないぜ」
「マジか……!?」
つまり、今日はもう仲直りのチャンスは見込めない。最悪の場合、明日からはじまる宿泊研修へずれ込むことになる。
教室へ戻った私は、チャンスが無いかと事あるごとに目を光らせたが、時間は刻々と過ぎ去っていく。あっという間に放課後になると男鹿は下校してしまった。私は最後までチャンスを掴めずじまいだった。
(こうなったら宿泊研修中のイベントに賭けるしかない……!!)
是が非でも仲直り作戦を成功させてやる。逆境なんかに負けてたまるものかと、私は激しく闘志を燃やすのだった。
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