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『風花が舞う日が来たら……』  よく通る幼い声が、深い森の中に響いた。木々が少しまばらになっていて、暖かな日差しが降り注いでいる。『彼』よりもずっと幼いけれど、賢そうな碧眼がしっかりと『彼』を見上げて、再び口を開いた。 『その日が来たら、おれをもらってくださいますか?』  緊張した面持ちで、幼子が『彼』に話しかける。近くで鳥たちがけたたましく鳴きわめいた。そうだそうしろと、幼子を応援するように。  目の前の幼子の背には、鳥に似た大きな両翼がある。濃い灰色でまだ綿のような毛に包まれている、雛のつばさだ。つばさは幼子の感情を素直にあらわしていて、小刻みに震えながら畳み込まれていた。  『彼』――目の前にいる幼子よりも、数歳だけ年上の少年は、整った顔にはにかんだ笑顔を浮かべて、幼子の前で片膝をついた。幼子と視線を合わせ、柔らかなその頭を撫でてやる。緊張の面持ちが崩れて、恥ずかしそうな照れ笑いが返ってきた。 『生まれた時よりの約束、必ず果たす』     声変わりを迎える前ではあるが、しっかりとした少年の声。その言葉が耳に届いた時、幼子の碧い瞳が年相応にまん丸くなった。それからぱあっと表情が明るくなり、照れ笑いから満面の笑みへと変化する。本人の感情をすぐさま映して、濃い灰色の翼がふわっと広がった。    それが、彼らの出会いと始まり――。 *** 「本当に今日いらっしゃるのか?!」  苛立つ声に、まあまあ、と宥める声が被さった。彼らの年若き王に、今日また一人、新しい妃が輿入れする予定となっている。だが、その新しい妃は常と違う出身のためか、出迎え役となった宰相たちはどこからどうやって、その新しい妃が来るのかと朝からやきもきしているのだ。 「第一、陛下も陛下だ。ご自分の新しい妃くらい、ご自分で迎え出れば良いものを」  先ほどから不満を隠さずに喚いているのは、前王崩御の時に『指名を受けた』と名乗り上げ、王が若いのを良いことに、混乱に乗じて宰相の地位に座った男だ。白いものが混じった顎ひげをしきりに弄ってはうろうろとしている。その隣では、男よりも年配の老爺がニコニコとしていた。 「落ち着きましょうぞ。考えようによっては、一生に一度見られるかどうかという貴重な光景をこの目で見られるのですぞ。しかも、陛下よりも先に。なあ、驪竜(りりょう)殿」  彼らよりも後ろに控えていた青年に、老爺が話を振った。振られた青年は、老爺に一礼をしてみせる。老爺たちは、袖口のゆったりとした袍を纏っているが、青年は一人だけ袖口が小さく、上衣の裾も腰の辺りでしっかりと紐で結んでおり、動きやすそうな服装をしていた。青年の後ろには衣服を揃えた兵士たちが整列して控えている。  ここで新しい妃を出迎えたら、妃の供から引き継ぎ、王の許へと連れて行くのが彼らの役目だ。そして、新しい妃を迎えることになったのはこの国――(らい)と、禮が守護している翼飛(よくひ)との間に古から伝わる約定に基づいてのものだった。だが、その約定が果たされて、本当に新しい妃とやらが現れるのかは、この場にいる誰にも分からない。  翼飛の里は王宮の北側に聳える、霞雲山(かうんざん)の山頂あたりにあるという。霞雲山へ向かう一番大きな道がある王宮の北側には門があり、彼らは王宮側の門を開いてひたすらに待っていた。季節は秋の終わりかけ、特に今朝は霞雲山から吹き降ろす風がいつになく冷たい。朝から時折、風花が――霞雲山の頂に降り始めたのだろう雪が、風にあおられて時々舞い降りてきた。  また一段と、強い風が吹き、文句を垂れていた男――この国の宰相がへっくしょーい、と派手なくしゃみをした時だった。  大きな鳥がこちらへと向かってくる。『それ』は、山肌に影を落としながら降下してきた。やがて、それが翼を持った人のかたちをしているのだと、地上にいる者にも見分けがつき始めた。出迎えのために控えていた兵士たちからは、どよめきが起こる。それもそうだろう、ふつうの人には、翼などないのだから。  門の近くまで飛んできたそれは一際強い羽ばたきを一つ打つと、舞い上がった。そうして、老爺から驪竜と呼ばれた青年に襲い掛かった――ように、見えた。 「やっとお会いできました!!」  大きな翼を持つ『それ』は、背の高い青年の肩にひしっと抱きつき、嬉しそうに口を開いた。青年に抱き着いてきた、明るい声を放つ『それ』を見て、人々は目を丸くする。   「その大きな両翼……翼飛の者か!?」  突然現れた『それ』に驚愕していた宰相は、すぐ我に返った。雲上の国に住まう幻の種族の名前を呼ぶ。しがみつかれていた青年――驪竜は、『それ』の脇に手を差し入れて引きはがすと、丁重な手つきで自分から離した。 「おい、翼飛の者なのかと聞いておる! それとも妖か?!」 「……あ、失礼を。自分は禮王陛下の許に参りました、翼飛のセンと申します。今朝、風花が舞ったのを見て……出立は春にせよと皆が言ったのですが、どうしても禮王陛下の許に、一刻でも早く駆け付けたく、飛んでまいりました」  『それ』はその場で慌てて片膝をつき礼をすると、名乗り上げた。黒い双翼はきっちりと折りたたまれている。人々に見せた中性的な面差しは、はっとするくらいに整ったものだ。黒い髪は飾りもなく一本に結えられており、つりあがり気味ではあるが大きな二重の瞳は、この禮国の人間には見られない、美しい碧眼をしている。  少しの静寂の後、宰相の放った嘲笑が、晩秋の空に響き渡った。 「ふん。先触れのくせに、妃殿を差し置いて、お前だけ飛んで来たのか? しかも、王衛将軍を陛下と間違えている。傑作だな」 「自分は先触れなどではない! 今の禮王陛下と、幼少のころにお会いしたことがあります!」  キッ、と宰相を見やりながら、センと名乗った翼飛の青年はそう断言した。宰相とセンとを見比べていた老爺は「おやおや」と小さく呟くと、センのところに近づいた。 「セン殿が、陛下のところに輿入れされてきたのですな? しかし、この者が申した通り、驪竜――王衛将軍は、現禮王ではありません。さあ、まずは建物の中に案内しましょう」  すっかりと翼飛の青年を立ち上がらせると、門の内側に入るように告げる。北側の門の近くには、後宮に属するいくつかの建物が並び、そのすぐ後ろには王の寝宮である黒鳳殿(こくほうでん)があった。万が一に備えて配備されていた兵士たちは役目を終えて、本来の持ち場である外朝へと戻っていく。  センが飛びついた驪竜という男は、兵士たちを指揮していて、共に外朝へと引き上げるつもりだ。自分に話しかけてきた老爺と驪竜とを見比べていた翼飛の青年は、驪竜がとうとう一度もこちらを振り向かずに行ってしまったことに困惑していた。 「確かに顔立ちは素晴らしいが、その出で立ちからして、男ではないか。しかも、その新しい妃殿とやらは、王衛将軍を陛下と勘違い! やはり、陛下は王に相応しくないのではないか」 「滅多なことを申すな、宰相殿。さあ、セン殿。こちらへ」  しょんぼりとした翼飛の青年を支えながら、老臣はゆったりとした足取りで建物の一つへと向かうのだった。
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