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「まさかこうなるとは思わなかったけど。こうして見てみると、良い組み合わせに見えてくる気が。……ね、驪竜サマ?」  建物の壁に体を打ち付けてしまったセンを心配し、駆け付けた灰羅に事情を話し終えたところで、灰羅がニヤっとした笑みを浮かべた。センは擦り傷程度だったが、念のためと傷の手当てを受けた後、伯皓がセンにじゃれだす。医官たちは、汳から引き揚げてきた兵士たちの手当てに追われていたが、こうやってすぐに来てくれたということは、ようやく落ち着いてきたらしい。死者もいると最初の伝達では言われていたが、実際のところ欠ける者は一人もおらず戦は何とか終結した。 「翼飛には獣の感情が分かるのだろうか。伯皓の奴、まるで子犬にでもなったかのような甘えぶりだ」  紫麟殿は驪竜の寝所として与えられている。大きな祭事がほとんどない冬の間は、午前中に王も臨む朝議が終われば、私室で執務の続きをすることが多い。今はもっぱら汳との一戦についての報告書をまとめている最中だ。本来なら、汳との国境近くへの派兵も、驪竜がついていく必要はなかった。汳の暴動には、その辺りを治めている南方伯の兵と、中央からそれなりの兵を出して相手を驚かせば事足りるのが常だったからだ。唐突に現れたセンに動揺し、随行を志願した先で――常になく規律のとれた動きを見せる汳の部隊に遭遇したのだ。 「いつもは陛下よりも堂々としているのに。あまりにも人嫌いで無愛想な奴がねえ。大事に傍に置いているなんて」 「……伯皓の話を、しているのだな?」  灰羅が揶揄しながら声をかけると、驪竜は眉根を寄せて返事をする。普段から隙を見せず、冗談にも反応することなど滅多にない男の珍しい表情に、灰羅は声を上げて笑ってしまった。 「もちろん、伯皓の話ですよ? ところで、セン殿はふだん、どこで寝ているのです?」  手当のために広げていた医療道具を仕舞いながら、灰羅がかわり映えのない驪竜の私室を見回している。王衛将軍という一代限りの称号を受け、王から重用されているのに、とにかく華美や贅沢と縁遠い暮らしぶりである。手当をしろ、と言って驪竜が灰羅を連れてきたのは驪竜の寝台だ。その寝台にいるセンに、伯皓が甘えている。野生そのものの獣が、主人と見做した驪竜以外に懐いたのを見たことはなかったのだが、驪竜の言う通り、子犬のようにセンにくっついていて微笑ましい。 「今はそこが定位置だな。どうせ、ひと冬の間だ」 「ええっ、まさか一緒に寝ているとか?!」  素っ頓狂な声をだした灰羅を、「そんなわけがあるか」と、冷たい眼差しで睨みながら、寝台のすぐ傍に置かれた広々とした長椅子を指さした。驪竜の不機嫌さを気にすることもなく、若い医官は興味津々なのを隠すこともせず、伯皓と遊ぶセンを見てから驪竜へと視線を戻した。 「言っておくが。俺は、あの者に特別な感情など――」 「あー、はいはいはい。そうでしょうねえ。わざと感じ悪く、とっとと翼飛に帰れって言って泣かせちゃったんですものねー。自己嫌悪して出陣すれば怪我して帰ってきて、格好悪いったらありゃしない。本当は可愛いくて仕方ないんですよねえー? いい加減、誤魔化すのはやめなさいよ。セン殿がかわいそうだ」  灰羅はろくに驪竜の話を聞くこともなく、驪竜にだけ聞こえる声量で嫌味を言ってから立ち上がると、伯皓と戯れているセンの方へと行ってしまった。言い返す機会も与えられず、驪竜は嘆息する。 「セン殿。そろそろ、赤麒殿に戻ってきたらどうかな? 君が怪我したら、翼飛の人々に申し訳ないよ。春が来るのなんて、あっという間だからね」  センに近づいた灰羅が、目を丸くして見上げてきたセンに声をかけている。表情から、センが戸惑っているのを感じて、驪竜も立ち上がった。 「戻るかどうかは、センが決めることだ。灰羅が口を出すことではない」 「へえー。じゃあセン殿が望んだら、春を過ぎても、紫麟殿にいてもいいってことですよね、驪竜サマ?」  む、と驪竜が口ごもる。伯皓は耳を立てて人間たちの会話の成り行きを見守ってから、最後にじっとセンを見上げてきた。「帰らないよね?」と言いたげだ。 「……センが望むのなら、翼飛に掛け合ってみよう。伯皓も喜ぶし……」 「はいはい。伯皓の話、ですもんね」  呆れながら灰羅は驪竜を見てきたが、センは声に出さないものの、とても嬉しそうな表情になる。そんな表情のまま伯皓と視線を合わせるセンの顔に、昔見た光景が重なって、驪竜は目を細める。 「――変わらないものだな」  ぼそっとした呟きに気づいた灰羅は苦笑しながら驪竜を見やった。  冬は段々と、厳しさを増していく――そのうち巡ってくる、春に向かって。
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