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「驪竜様! 供の者もつけず、城外に出たとは本当ですか!?」  紫麟殿に帰ってすぐ、センたちを待っていたのは柳の一声だった。焦りながら早口で繰り出される言葉は、驪竜を責めているようにも聞こえる。一方、他の使用人たちは一頭で戻ってきた伯皓を見て察していたらしく、普段通りに驪竜の外套を受け取っている。 「陛下ならともかく、王衛将軍が居住の側で護衛されているのも、おかしな話だろう」  嘆息まじりに返した驪竜に、柳が何を言われたのか分からない、という顔になる。それを見た朱たちが、堪らずに笑った。 「この都に、剣の腕で驪竜様に勝てる者など、早々いやしませんよ。柳殿こそ、そのお蔭で命拾いをしたのでしょうに」  朱がそう口を開くと、他の使用人たちも頷く。それを苛々とした様子で一瞥した柳を置いて、驪竜はさっさと己の私室へと向かって歩き去ってしまった。センはといえば、紫麟殿の入口で伏せの姿勢で待っていた伯皓に、早速じゃれつかれていた。ふんふんと鼻を動かしている。いつもよりも、匂いが気になるらしい。 「ああ、もしかして花茶のせいかな? 花の良い香りがする、お茶を頂いたんだよ。そうそう、これ見てみて。木彫りのオオカミなんだよ。ハクみたいでしょう」  手のひらに収まるくらいの小さな木彫りのオオカミは、空に向かって遠吠えを上げている姿勢のものだ。花茶を頂いた後、付近を驪竜と共に散策して、装飾品や飾り刀など、幾つか驪竜が提案してくれた。結局、センは最初に目にして気になっていた物を選び、後は驪竜がセンに必要なものを選んでおくということになった。 「あのね、今日はちゃんと驪竜さまとお話しできたと思うんだ。辛いことを、おれにも話してくれた。おれは、何があっても驪竜さまのお側にいたいし、力になりたいって改めて思ったよ。ハクもありがとうね」  木彫りのオオカミに鼻面を近づけてから、伯皓は力を加減してセンの顔に己の頭を摺り寄せてくる。そのたてがみを優しくすいているうちに、ふと伯皓の耳がピクリと動いた。すっとセンから体を離すと、横に動き、頭を低くして唸り声を立てる。 「……ふん、野の獣がうじゃうじゃと。食事の用意ができたから貴様を呼んで来いと、使用人共が命令してきた。どうせ飛ぶことくらいしか能がないのかと思ったが、驪竜様や使用人どもにおもねることも、お上手だ」  驪竜に窘められたのが癪だったのか、センを見下しながら柳が嘲笑ってくる。腰に両の手をあてているので、元々丸いのが更に丸く見えた。 「おもねるも何も。新しい場所で尖っても仕方ないと思うのですが……あ、でも柳殿は尖っていらっしゃいますよね。おれには真似ができないので、さすがです!」 「馬鹿にしているのかっ?!」  至極真面目な顔で返したセンの言葉は、余計に柳を怒らせてしまった。思っていることを言ってはまずかったのかな、とセンが焦っていると、不意に柳がセンに向かって何かを投げつけてきた。それはセンに届くことなく地面へと落ちたが、即座に反応した伯皓が低く吼え、柳に飛びかかろうとしたのでセンが慌てて止めた。柳は情けない悲鳴を上げて逃げかけたのに、伯皓が襲って来ないことを知ると鼻を鳴らし、自分が投げつけたものに視線を向けた。 「翼飛など、どうせ鳥の化け物なのだろう。せいぜい、蛙でも食べていろ。人と同じ食事など、分不相応だ」 「えっ、これが蛙ですか!? 随分と大きいのですね。こんなに大きい蛙殿は、初めてです。もしや……このお方は、蛙の神さまではないでしょうか?!」  大きな石ほどはある蛙を、センはしゃがみこんでじっと見守る。柳は「か、蛙の神さま?」と動揺した声を出した。 「いや。でもやはり、神といえど、蛙のかたちであれば、冬には眠るものでしょう。驪竜さまに、紫麟殿のお庭に蛙の神さまを埋めて差し上げても良いか、聞いてまいりますね! 柳殿も、もう神さまの眠りを妨げてはなりませんよ」  そうして大きな蛙を両手で丁重に抱え持ち、すくっと立ち上がったセンに、もはや柳は呆気に取られていた。 「それと柳殿。翼飛は基本、肉食しません」  「そ、そうなのか……」  最初の勢いをすっかりへし折られた柳は、驪竜のもとに大きな蛙を連れて行こうとしたセンを、必死に押しとどめようとしたが、伯皓に邪魔をされて呆気なく失敗した。   *** 「蛙の神さま、ね。傑作だなあ。その時の柳殿の顔を見てみたかったよ」  伯皓を連れ、大きな蛙を抱え持ったまま、廊下の途中で朱に出会った。経緯を説明したところ、「あんた、そりゃ柳からの嫌がらせさ」と驚かれてしまった。驪竜に素直に話せば面倒なことになるかもしれないな、とさすがのセンでも思い至る。  少し悩んで、医官の灰羅を頼ることにした。灰羅にも事の経緯を説明したところ、最初は真面目に聞いてくれていたのに、最後にはとうとう大笑いされてしまった。医局のすぐ傍にある、池も近くて植物が生い茂るところに蛙の神さまを二人で放し、灰羅の部屋に戻ってきたところだ。 「……もしかして、おれはまた柳殿に失礼なことをしたのかな?」 「失礼なことをしたのはあっちだよ。それに、柳殿が南方伯の子息だと言っても、彼自身は無冠なんだ。セン殿がそんな気にかけてやるほどの人間じゃないよ」  灰羅はそう言い切ってしまうと、長椅子の上でちょこんと正座している翼飛の青年に笑いかける。 「柳殿は驪竜様に助けられてから、驪竜様に認められたい、驪竜様の一番になりたいなどと思い上がっているんだよ。だから驪竜様や、紫麟殿の皆に、後から来ておいてもう馴染んでいる君に嫉妬していると見た」 「そういえば、おもねるのが上手だと言われたので、柳殿は尖っていてすごいと返したら怒らせてしまった。……でも、驪竜さまの一番になりたいという気持ちは、おれの方がずっと昔からで、ずっと強いから。そういう話なら、負けられない」  ふん、と鼻息を荒くしたセンに、灰羅は楽しくて仕方ないといった表情になり、さっと手のひらで口元を抑えたようだった。灰羅の百面相にセンが視線を向けると、「ああ、ごめんね」と謝ってきた。 「今の台詞、驪竜様が聞いたら泣いて喜ぶんじゃないかなって考えちゃって。セン殿は、外見は貴公子然として優美なお方なのに、存外逞しい。そういうところ、好きだな。……あの年中凍り付いているような男に春を呼び込むのは、セン殿なのだろうね」 「春?」  きょとんとしたセンの髪は、灰羅のところに来るまでに走ってきたようで、ところどころほつれている。それを直してやると、ずっと寝そべっていた伯皓が頭を持ち上げた。 「でもまあ、驪竜様と伯皓との一騎打ちになりそうだけどねえ。お前さんもセン殿のことが大好きだものね」  ぐる、と伯皓が短い音を出した。その通り、と言っているようだ。しかし、春、という言葉にセンは悄然と肩を落とした。どうしたの、と灰羅に問われて、少し考える様子を見せてから口を開く。 「……春が来たら、翼飛に確認が行き、色々と間違いが正されるのだと思う。おれが、本来の役目も果たさぬ役立たずだと、怒られるだけなら良いけど……元の役目に戻れと言われたら、と考えてしまって。役目を果たしてこそ、おれが生まれた意味があるのだと思うと……」 「そのことなら、驪竜様が君たちの王に話をしてみると言っていたじゃないか」  だから大丈夫じゃないかなあ、と笑いかけてきた灰羅に、センは「うまくいくかなあ」と首を傾げて見せる。 「それに、お役目なんて放り投げてさあ、禮に住み着いちゃえばいいんだよ。驪竜様のところが嫌なら、赤麒殿にでも居着いてしまえば良い。城外も楽しいしね。君の身体、検めの時に診せてもらったけどね。やせ細っているし、酷い怪我の痕も多いと感じた。いくら君が翼飛では特別な存在でも、特別な存在だからこそ、過酷な役目を一人だけ負わされるって、私なら考えられないなあ。自分たちとは違う『特別』だから、何をしたって傷つかないだろうって、死にはしないだろうって皆が君を酷使しているってことだもの。現に君は今、禮に輿入れして、翼飛からは出たことになっているよね? ということは、別にそのお役目はしなくてもいいってことなんだよ。どうしても君じゃなければダメならば、輿入れすら許されなかっただろうし」 「放り投げる、というのは考えたこともなかった」  大きな目を瞬かせているセンの小さな頭を、灰羅はぽんぽんと軽く叩いた。
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