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04
「ああ、よかった。気がついたようだね」
ほっとした声に導かれて、センは目を覚ました。大きな寝台に寝かされていたセンは慌てて上体を起こしたが、そこは知らない部屋の中だ。最初に案内された控えの間よりも調度品は多いが、かといって華美過ぎるという印象はない。深い青と銀を基調とした色が使われており、花で彩られた控えの間よりも、落ち着ける気がする。照明に使われる蝋燭は惜しげもなく使われていて、部屋を明るくするための工夫が随所に行われていて、はっきりと部屋の様子が見て取れた。
「部屋に連れられて来た時には、顔が随分と青白く見えたのだが……目が覚めて安心した。ごめんね、もっと早く気遣ってやることができれば良かったのに」
「い、いえ……! おそらく、花の香りに酔ってしまっただけだと思うのです」
穏やかに、そしてセンを気遣って声をかけてきたのは、控えの間でも会った禮王だ。慌てて返したセンに、「そうなのか?」と首を傾げてみせた。今は冠はつけておらず、緩やかに髪を後ろに流している。先ほどは冠でよく見えなかったが、派手な印象はないけれども穏やかに微笑むのが似合う青年がそこにはいた。顔立ちは控えめではあるものの、鼻筋が通っていて瞳の色が薄いのは何となく分かる。
自分がどうしてここにいるのか分からないセンだったが、急いで寝台の上で正座をすると、禮王に頭を下げた。禮王が笑う気配がして、横になるように促される。
「あの、陛下が自分をここまで連れてきてくださったのですか? ……オオカミの顔を持つお方に、声をかけられたと思ったのですが」
「オオカミの顔を持つ、お方? なんだろう、その面妖な……ん? あー、なるほどね」
王に言われるままに横になった、センからの必死の説明に、禮王は怪訝そうな表情をして、それから何かに思い至ったらしい。一人で納得すると、センの柔らかな黒髪を撫でた。
「それは怖いものを見たね。でも、それは私の守護神のようなものだ。安心していいよ」
「あっ、あのお方は、神であられましたか?!」
再び飛び起きかけたセンを、禮王が笑いを堪えながらその薄い肩を抑える。そうしているうちに扉を叩く音がした。
「目が覚めましたか。良かったです」
王が応えるのと同時に、先ほどまで一緒だった若い医官が入って来た。どうやらセンはしばらくの間気を失っていたらしく、医官と共にひんやりとした夜の気配が部屋の中に入り込んできた。禮の国は翼飛よりもずっと温暖な気候だが、そろそろ秋から冬へと移り変わる時候のためか、昼と夜の寒暖差が大きいのだと医官は肩を震わせたセンに説明をした。
「さて、セン殿。昼間、翼飛に確認の遣いを出すことを私は話したと思うのだが」
「はい……」
いよいよセンを翼飛に戻そうという話か、とセンが碧の瞳で王を見上げると、王は柔らかな微笑みを返してきた。
「よく考えれば、間もなく冬が来る。冬の間は地上から翼飛へと続く大門は閉ざしていることを失念していたのだ。いくらセン殿が飛べるといっても、禮からも相応に随人を出す必要があるし、そうするともう、間に合わないしね。治大官たちに聞いたが、翼飛の皆も、本来なら春にセン殿を禮に送る予定だったのだとか。セン殿がもし良ければだが――冬の間、この宮に留まり、翼飛のことなどを教えてもらえないだろうか」
「……自分にも、翼飛のことは分からないことが多いのです。なにか、お仕事を頂けたら嬉しいのですが……」
センは碧の瞳を丸くして、ゆっくりと瞬く。その動作に合わせて無意識に背中の翼がそわそわと揺らめいていた。てっきり、今すぐにでも飛んで翼飛に戻れと言われると考えていたのだ。
「実は先日、私の世話役だった者に正式な職位を与えたばかりなんだ。身近な話し相手も、私的な手紙を運んだりしてくれる側付きもいなくなって困ったなと思っていた。そうしたら、貴殿を押す者がいてね。仕事ということなら、手紙などを運んでもらえたら給金は当然払うし、翼飛にも礼を贈るつもりだ。お客人に大層失礼だとは思うが……どうだろうか。もちろん、赤麒殿でゆっくりしてくれるだけでも良い」
「やらせてください!」
本当なら、後宮で妃としての務めを果たすことが出来れば一番良かったのだが、こちらではそういう意味でセンは必要がないらしい。だから、やるべきことがあるというのは純粋に嬉しかった。
「どうしよう、嬉しいです。これで翼飛に戻っても、役立たずだったと報告せずに済みます――ありがとうございます! もしかして、お庭で出会ったオオカミのお顔をした、神さまのお蔭でしょうか」
寝台の上ではあるが、上体を再び起こして翼をかたくとじ、センが深々と頭を下げた後、王は微笑みながらゆっくりと頷き返した。彼らの話を黙って聞いていた若い医官は、最後に「オオカミの顔をした、神?」と呟くのだった。
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