サイコパス・クリスチャン(1.ひいきと体罰じゃー)

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サイコパス・クリスチャン(1.ひいきと体罰じゃー)

 「サイコパス=クリスチャン」 (一)序  「踏み絵を踏んだ足が痛い?馬鹿じゃないのか?踏み絵なんか偶像じゃないか。そんなものぐちゃぐちゃに踏んづけてしまえばいいんだ。ペテロやパウロが生きていたら『踏んでしまえ』と言うに決まっている」  耕輔は思った。  耕輔はプロテスタント、聖霊派のキリスト教徒であった。  耕輔の教会には預言をする者や異言を解釈する者などがきちんと居て、全ての信者が異言を語ることができた。また、耕輔の教会では癒しやヤクザの改心なども日常茶飯事のように起こっていた。そして、耕輔自身も奇跡や癒しなどが今でも起こると本当に信じていた。  大体、新約聖書のほとんどは奇跡の話である。もしも新約聖書から奇跡や癒しの部分をハサミで切り取ったら何も残らない。残るのは抹香くさいお説教のことだけである。  とは言ってみても日本のキリスト教徒は百万人。人口の1%である。しかも、その大半は自由主義神学の牧師の教会か、あるいはカソリックである。奇跡もなければ、癒しもない教会である。    耕輔が育った田舎にもキリスト教徒なんかいなかった。  耕輔の田舎は瀬戸内海の島である。島と言っても漁業の人口は少なく、大半は兼業農家であった。  船で島へ上陸すると、すぐに切り立った山が迫ってくる。そこには段々畑や水田が広がっていた。そして、島の裏側、すなわち四国の方向は広い田が広がっていた。  道路や本土との連絡船も整備されていて、十五分もあれば本土へ渡ることもできた。高速艇もフェリーもあった。  耕輔は小中高とこの島で学び、育った。中には島外の高校へ行く生徒もいたが、耕輔の家にはそんな資金がなかったので、島に三校しかない高校へ進学した。  その後、京都の大学に合格したので初めて都会へ出て生活することになった。耕輔の夢は教師になることであった。その実現へと一歩近づいたわけだ。  現役で合格しながら、耕輔は五年間大学へ通った。一度、教員採用試験に滑ったからだ。  そして一年間のブランクの後に、本土の町で高校の教員になることができた。  耕輔の赴任した学校は一流とまではいかないが、進学校であった。  ここで幸福な時代を過ごしていた耕輔であったが、なぜか、ある日突然耕輔はあまり名の知られていないカルト教団に入信した。キリスト教の影響を受けたカルトであった。このようなカルトに引っかかるのも田舎者ゆえかも知れない。しかし、耕輔は信じた。  そのカルト教団の教義をかいつまんで言うと次のようなものである。  「今から三億年前、UFOに乗ってベー=エルデ星という星から地球へ植民団が訪れた。その隊長がエル=シャルレア=カンタルーネ伯爵であった。彼らは気候のいい土地をエル=カンタラと名付け、定住した。これが後にエルデンの園(→エデンの園)となった。  やがて死んで魂だけになったその『移住者』達は天上界を造り上げた。その天上界にはランクがあって、幽界・霊界・神界・菩薩界・如来界と順に高くなっていく。この宗教の目的は立派な働きをして少しでも良い世界へ行くことと、この世にユートピアを作ることである。  ところで、この霊の世界には天使がいて、地上を支配している。  その天使は七人いて、代表がミカエルである。  そして、その天使の中にルシエルがいた。彼は元々カンタルーネ伯爵を讃える賛美隊の隊長であったが、背いてサタンになった。  しかし、ルシエル(ルシファー)はやがて改心し、サタン=ダビデがサタンになった。ダビデ王の名はこのサタン=ダビデより来ている。  彼らは聖書に記載されている不思議を次々と行っていった。  例えば、『出エジプト記』の紅海が割れる有名な場面はサントリーニ火山の噴火を利用して起こした。  キリストが起こした様々な奇跡は、全て天上界から送られたエネルギーで成し遂げられた。  また、復活は、天使達がイエスにエネルギーを与えて成し遂げられ、イエスの霊が天上界へ昇ってから、その体はヨルダン川に沈んだ。  そして、この教えを現正法と言い、それに反するものが共産主義であり、人間に課された一番大切な仕事は、この共産主義を地上から撲滅することである。  また、動物も人間と同じ権利を持っており、動物を虐待することは一番いけないことである」  このように、この教団の主張は「反共」であった。だから、瞬く間に耕輔は反共主義者に変身した。大学時代は自称「左翼」であったのに、その転向ぶりは早かった。  耕輔は考えた。  「俺は今まで生徒に間違ったことを教えていたんだ。平和憲法なんか嘘っぱちだ。あれはアメリカが日本の弱体化を狙って作ったものだったんだ。それから共産主義になって元へ戻った国もない。毛沢東やスターリンはいっぱい人を殺している。共産主義は成る程、『悪魔の思想』だったんだ」  実に簡単に自らの思想を変えてしまったのだ。  耕輔が最初に教えたのは「世界史」と「現代社会」であったが、特に「現代社会」ではいかんなくウルトラ右翼ぶりを発揮した。    ・「日教組の平和教育に騙されるな」  ・「キリング・フィールド、カンボジアの悲劇」  ・「北朝鮮日本人妻の悲劇」  ・「教育勅語を復活せよ」  ・「靖国や教科書に内政干渉する中国・韓国」  ・「毛沢東はチベットで百万人を殺した」  ・「憲法九条は国を滅ぼす」  これが耕輔の授業の単元のタイトルである。大体何を教えていたか想像するに難くないであろう。  また、耕輔は大学生から古武道や空手などの武道をやり始め、いつの間にか合計五段の腕前になっていた。だから、赴任先の学校で合気道部の顧問になった。  この学校で耕輔は8年間の教師生活を送ることになるのだが、一度事件を起こしかけたことがあった。  それは耕輔が教師になって四年目のことである。 (二)ひいきと体罰  耕輔は2年生の国公立文系クラスを担任し、また合気道部と吹奏楽部の顧問を兼務し、忙しくも充実した教師生活を送っていた。そんな折り、志恩ちゃんという女の子の担任をした。彼女は合気道部の部員でもあり、なぜか職員室の耕輔の机の所へよく遊びに来ていた。  この娘は、さほど美人というほどではなかったが、高校生らしい可愛らしさがあった。髪の毛は肩まであり、目は切れ長でおちょぼ口であった。体格は中肉中背といったところである。  この娘が耕輔の所へ来る時には、いつも幼友達の島元さんや、同じ中学で同じ吹奏楽部であった佐藤さんと一緒だった。  耕輔の机には本棚があり、ニーチェやキルケゴールなどの哲学書や、バウムテストや人物描画法といった心理テストの本や、聖書、「世界の歴史全二十四巻」やら、「合気道マガジン」などが丁寧に並べられていた。  ある日、志恩ちゃんは、友達の島元さんを誘って耕輔の机までやってきた。そして、無造作に耕輔の持っていた本をいじくり始めた。  「私、こう言うの興味ある」  志恩ちゃんは耕輔が積んであった「バウムテスト」の本を開いて言った。  「(変わった子だ。普通なら『ちょっと見せて下さい』くらい言うもんだが---)」 しかし耕輔は取り立てて注意も何もしなかった。志恩ちゃんが本をいじくる姿が可愛らしかったからである。  「ふーん。興味があるなら、そこのスケッチノートに『実の成る木』を描いてきてくれたら簡単に心理分析できるよ」  「いいんです。私、分析には適さないから」  「(何故なんだ?しかし変わったことを言う子だ)」  「あのー。それよりも先生、ヒトラーのことをどう思いますか?」  「え?(なぜヒトラーなんだ。益々変な子だ)」  「詩恩ちゃんは、去年は僕の現代社会でなかったよねえ。僕の噂聞いてると思うけど、僕はファシストじゃないよ。ヒトラーは嫌いです。でも、なぜヒトラーなの?」  「『ヒトラーのことが分からないといけない』と言う人がいて---」  「(何なんだ、それは?)ところで志恩ちゃん、シオンという名前から気になっていたんだけど、ご両親はクリスチャン?」  「いえ、違いますけど、なぜかこんな名前をつけたんです。どうしてそんなこと聞くのですか?」  「いや、僕の母親がクリスチャンだったから気になって聞いただけや」  「ふーん。でも私、色々な教会を宗教遍歴しました」  「いつから?」  「小学校五年生からです」  「(小学校五年生からって、いくら何でも早すぎる。この子、確かに変だ)」  「あ、もうチャイムが鳴る。早く行かなくちゃ」  これが志恩ちゃんとの最初の「お話」であった。職員室を出て行く志恩ちゃんを見ながら、耕輔は思った。  「変な子」     その後も詩恩ちゃんは臆することなく職員室を訪ねてきた。  「先生、進化論についてどう思いますか?」  「うーん。僕は社会学の専攻だったんだけど、ダーウィンが『種の起源』を発表してから何でもかんでも進化論で説明しようと言う傾向ができたんだ。そしてモルガンという社会学者が社会進化論を言いだしたんだけど、今ではモルガンの考えは完全に否定されている。因みに、マルクスも二二六事件の北一輝なんかも社会進化論の信奉者だった。生物学における進化論については分からないけどね」  「ふーん。だから先生はマルクスが嫌いなんですね」  「いや、これには別の理由があるんだけど、またいつか話そう」  「はい。ところで、先生、私、合気道の道場へ行ってみたいんですけど」  「(それは困る。最近道場へは行ってないんだ)あー。困ったなあ。実は道場に無茶をする人が来始めてねえ。何でも柔道三段らしいんだけど。それで最近は道場へは行ってないんだ」  「わかりました」  志恩ちゃんはいともあっさりと了解してくれた。  合気道部の生徒達が耕輔の机に集まって来たのには理由がある。  実は、耕輔の所へ来る生徒なんかほとんどいなかったのだ。その理由は耕輔が「怖かった」からである。  耕輔は生徒からは「右翼暴力教師」として恐れられていた。  耕輔の入っていたカルト教団は「来岩現正法」と言って、全国でも信者が二千人程の小さな群れであったが、その主張するところは過激であった。「共産主義撲滅」だけではなく、他にもいくつかのスローガンがあった。その中に「子供は殴って育てよ」というものもあった。耕輔はそれをそのまま実行したのだ。体罰教師である。  しかし、運動部暴力を起こす教師とは百八十度違っていて、合気道部の部員には優しく接した。ときには誰の目にも「ひいき」としか映らないようなことをすることもあった。だから、誰もが「体罰教師」として耕輔のことを嫌悪する中で、合気道部の部員達だけは耕輔のことを嫌悪していなかった。  そんなある日のことである。耕輔の体罰が火を噴いた。後述するが、この男はひいきもする一方で体罰がやりたくてたまらなかったのだ。生徒が死んでしまうくらいの度を超えた体罰である。この男、人を殺したいと常日頃から考えていたまさに鬼のような、いや、爬虫類のように感情の鈍磨した男だったのだ。勿論、人の痛みなんか何とも思っていなかった。  その日、耕輔は自習監督を頼まれて知らないクラスへ行った。  よく見ると、ガムを噛んでいるふとどき者の男子生徒がいた。授業中にも関わらず、チューインガムをくちゃくちゃやっていたのだ。  耕輔の怒りに火がついた。  「おい!そこのガム噛んでいる奴、出てこい!」  ガムを噛みながら馬鹿面した奴がのこのこと出て来る。  すかさず耕輔のビンタが飛んだ。あまりにも強く殴ったためか、その生徒はガムを吐きだしてしまった。  「お前は幼稚園児か?今は遠足の時間か?」  教卓から降りた耕輔は、その生徒の頬にハイキックをおみまいした。  生徒は床に倒れ伏した。すぐさま、耕輔は生徒の顔面を足で踏みつけた。続いて顔面への容赦のないキックを連打する。  実は耕輔は、この生徒を殺したかったのである。「人がもがき苦しんで死ぬところを見てみたい」と常日頃から思っていたのだ。それが情け容赦のない体罰として噴き出したのだ。彼のこのような性格がいかにして形成されたかは後述する。  耕輔はこのとんでもない体罰を続行しながら言った。  「そんなにガムが食いたいのなら食わしてやる。今吐いたガムを食え」そう言いながら情け容赦のない顔面キックが続いた。歯が折れたのか、生徒は口から出血し始めた。生徒は無言でなすがままにされていた。耕輔が顔面を蹴るたびに生徒は体をのけぞらせた。耕輔は合気道の他に空手の段も持っている。そのキックだからやられた方はたまらない。  「おい、この先公、狂ってるぞ」  誰かが言った。  チャイムが鳴ると、耕輔は黙って教室を後にした。    そして放課後、そのクラスの担任で組合の闘士の先生が耕輔に言った。  「杉村先生、本岡に何したんですか?彼の歯折れてましたよ。これは体罰ですよ」  「やかましわい!アカめ!アカは何かと言うと『体罰、体罰』とぬかしやがってうるさいんや。これを教育と言うんや。そんなこともわからんのか?ばーか」  そして、彼の母親が校長室に現れた。  「あの杉村という先生を出して下さい。うちの子は歯が折れたんですよ。校長先生、これは体罰じゃないですか?」  「はい、すみません。今、本人を呼んで事情を聞きます」  こうして耕輔は校長室へ呼ばれた。鬱陶しそうな顔をして校長室に入る耕輔。そしてこともなげにとんでもない言葉を投げかける。  「ほほー、これがバカタレの親御さんですか?さすがによー似てしまらない顔してまんなあ」  これが耕輔の第一声であった。   「杉村君、何だその態度は?謝りなさい」と校長。  「嫌やね。俺は舌でも出そう。べー」  「校長先生、何ですか?この態度。この人頭おかしいのと違いますか。私、教育委員会へ訴えます」  こうして耕輔は教育委員会の査問委員会にかけられることになった。査問委員会というのは教育委員会のお偉いさんからできていて場合によっては教師を懲戒免職にもできる、それはそれは怖ろしー機関だ。  結果は三カ月の減俸であった。   とにかく、宗教というものは簡単に人間を造り変えてしまう。---と言えば言葉はいいが、即ち「洗脳」だ。耕輔は自分がこんな「洗脳」にかかってしまうなどとは、それまで一考だにしていなかった。そもそも洗脳される人というのは何の挫折も経験することなく、温室育ちで生きてきた者達で、かつて宗教遍歴を幾度となく経験し、宗教の怖さを身にしみて分かっている自分とは関係のないことと思っていた。  しかし、耕輔もそれらの人達と同じく純粋培養だったのである。  耕輔は発達障害を抱えている。そして小中学時代にいじめを経験してきた。中学一年までの話だ。  そんな中で彼の性格は形成されてきたのだ。彼の家では、まだ彼が幼い頃から犬や猫を飼ってきたが、それらは耕輔にとって「動く玩具」以外の何物でもなかった。彼がいじめられて帰ってくると犬や猫に当たり散らした。そこまでなら許容範囲だと言えるのだが、彼は山に入っては犬を木刀で殺すという奇妙な趣味も持っていた。  耕輔の家にはなぜか琵琶の木で作った見事な木刀が飾られていた。そして、小学校の高学年からはなぜか、ピアノ教室からの帰り道に山へ登って野良犬を木刀で殴り殺すようになってきた。  先ずは犬の集団を見つけると、狙いをつけた一匹に餌を与える。そして近寄ってきたところを頭を狙って思いっきり木刀を振り下ろすのである。時として犬に噛まれることもあったが、次第に腕は上達し、平気で犬を殺すようになってきた。そして犬が「キャン」と言って息絶えると、耕輔はなぜか勃起していた。時として射精している時もあった。  耕輔は元々、野球やサッカーをやろうと誘われても興味を示さなかった。それよりも女の子とお人形さん遊びやオママゴトを楽しむ趣向があった。それなのに、なぜか犬殺しの時は性格が変わった。彼は木刀で平然として犬を殺すのであった。  そしてある日、彼は犬殺しに友人の白田を誘った。白田は耕輔が木刀を持ってどんどんと山の方へ歩いて行くのをただ追っているだけであった。  「お前、そんなもん持ってどこ行くんじゃ?」  「ついてきたら分かる。今から面白いショーの始まりじゃ」  そう耕輔は平然と言ってのけた。山の頂上へ着くと、尾根に数頭の犬がたむろしているのが見てとれた。白田は言った。  「えらい犬じゃのう。わしゃ怖いわ」  当時は保健所が犬狩りに来ることもあまりなかったようである。田舎では一般的な光景であった。耕輔は平然と言ってのけた。  「今からあの犬を殺すんじゃ。おもろいど」  そしていつものように餌を持って犬に近づいた。野犬の中から一匹の可愛らしい犬がやってきたので餌をやった。犬は美味しそうに餌にありついた。それを狙って耕輔は犬の頭に木刀を振り下ろした。   「キャン」   そう一声啼くと犬は地面に倒れた。そこを耕輔は何度も木刀で打ちすえた。犬は動かなくなった。耕輔は白田に言った。  「これは俺がいつもやっている犬殺しや。どうや、おもろいやろ」  白田はあまりのことに体が震えていた。そして震える声で言った。   「お、お前、何ちゅうことするねん?」  その後、耕輔は勃起した一物を白田に向けて言った。  「わしはこれやったら立ってくるんじゃ」  「お、お前き○がいじゃー」  白田は一目散で逃げて行った。  その翌日、学校へ行くと耕輔は英雄になっていた。  「お前、女の子とオママゴトばっかしよると思ったらすげーことするんじゃな」  男子生徒は口々に言った。耕輔は平然と言った。  「ああ、ほんまは人間殺したいんじゃけんども、なかなか人間は殺されへんわ」  これは耕輔の本音であった。耕輔は人が殺されるところを見たくて仕方がなかったのである。そして、それは彼が大人になってから現実のものになる。  また、耕輔には放火癖もあった。落ち葉などに放火して消防車が来るのを見て悦に入っていたのだ。  このような男が教師になるのだから怖ろしい。   また、耕輔は小学校高学年からなぜか宗教に興味を持った。毎朝ラジオでやっている「信仰の時間」や「宗教の時間」を楽しんでいた。犬殺しの男が宗教にのめり込むとはこの男、普通ではない。まあ、実際に普通ではなかったのだが---。  また彼は既に小学校六年よりサンスクリット語で般若心経を唱えたり、ニーチェやキルケゴールに凝ったり、果てはインド哲学や量子論などに興味を覚えていた子供であった。どういうわけか、中学二年より成績も上がり、地方の大学を出て高校の教員になっていた。  しかし、耕輔は世間知らずだったのだ。そして、来岩現正法という宗教にあっさりと引っかかってしまったのだ。  耕輔は、この宗教の勧誘を受けたわけではない。教祖の来岩峯子の著作物を読んで、「これが正しい」と思い込んでしまったのだ。  「俺はもしかしたら馬鹿なのだろうか?こんなに簡単に洗脳されてしまっている。でも、これは正しい教えだからいいんだ。今までの考えが間違っていたんだ」と耕輔は思った。             *  この頃の耕輔はなりふり構わずに働いていた。進学校であったので、とにかく教材研究をしないと生徒から馬鹿にされる。  そこで、朝早くから夜遅くまで教材研究をしていた。また、合気道部のメイン顧問と吹奏楽部のサブ顧問を任され、国公立のクラスを持たされたので、必死だった。帰るのはいつも一番最後か、野球部の顧問の前であった。それだけ仕事が楽しかったのである。  そして、夏休みが終わった頃より、まだ二年生だというのに補習をやり始めた。論述問題の世界史が出る大学を目指す生徒のための補習と、なぜか英語の補習までやり始めた。  耕輔は社会科だけでなく、英語の教員免許も持っていたので、そこは全く問題ではない。  そして、英文法の補習に七人程の生徒が集まった。  その中には志恩ちゃんもいた。  耕輔の欠点は、とにかく「ひいき」が激しいところである。  耕輔は、自分の持っている合気道部の生徒と、この補習に参加した七人の生徒をとにかく贔屓した。  「やる気のない奴はぶん殴って、やる気のある生徒は贔屓する。そのどこがいけないんだ?」と本気で考えていたのだから始末が悪い。  補習の開始は毎週火曜日の朝八時。始業のチャイムが鳴る少し前だ。朝が早いので、だれもが息せき切ってやってくる。そして用意した英文法の問題と格闘するのだ。その姿は美しい。まさに「学校」である。耕輔が夢見ていたのもこのような光景だったのだ。  そして耕輔が志恩ちゃんのノートを見た時に耕輔は我が目を疑った。何と、章末の問題について耕輔が解説の用紙を渡してあったものを全て奇麗な字で転記してあったのだ。その頃から耕輔の「ひいき」の目は志恩ちゃんに注がれるようになった。    そんな折り、小さな事件が発生した。志恩ちゃんが「スキー修学旅行へ行かない」と言いだしたのである。   当然、耕輔は志恩ちゃんを呼び出す。志恩ちゃんはお父さんの車に乗せてもらって放課後、学校へやってきた。  「修学旅行へ行けないというのはどうして?」  「はい、私乗り物酔いがひどいんです」  「うーん。僕は島育ちだから乗り物酔いというのは経験がないんだけど、そんなにひどいのか。中学の時は修学旅行へは行ったの?」  「中学の時は新幹線だったので乗り物酔いはしませんでした」  「行きたくない理由は本当にそれだけ?」  「はい」  「じゃあ、連れて行く。乗り物酔いなんかは催眠術でも治るし、酸素も用意する。バスは前から三番目の席だ」  すると、志恩ちゃんは泣きだした。男というものは女の涙には弱い。この子はそんなことを知っているのだろうか?  「あのね。修学旅行に行けないってね。だったら君は新婚旅行に旦那さんだけを行かせるの?とにかく連れていくからね」  こうして彼女は何の問題もなく修学旅行に参加した。   そうこうするうちに冬休みがやってきた。耕輔はまたもや補習を計画した。英語の長文の補習である。元々、英語の長文というものは大学受験に於いて、一回出された文章がそのまま別の大学で出題されるということが多いのだ。そんなまさかと思われるかも知れないが、本当だから仕方がない。  耕輔は過去に出題された長文を読んで訳していくとともに、イェスペルセンの手法で構造解析していくという補習を計画した。男子が数名と志恩ちゃんが申し込んだ。また、ここで耕輔の「志恩ちゃん贔屓」は決定的なものとなった。  この頃の耕輔には何の陰りもなかった。後に耕輔は精神病を発病するが、この頃は何もかもが順調に進んでいたのだった。    やがて二月にはマラソン大会が開かれた。   耕輔の学校ではマラソン大会を前にして生徒全員でコースを走る「寒中訓練」というのが行われていた。これは単なるマラソン大会の「予行練習」にしか過ぎないので、速く走る必要などはどこにもない。みんなと歩調を合わせて自分のペースで走ればいいだけのことである。ところが、何を思ったのか志恩ちゃんは集団を次々と追い抜き、必死で走り始めた。その姿に感極まった耕輔は「志恩ちゃん頑張れ」と自分も走りながらエールを送った。贔屓は誰の目にも明らかであった。  耕輔にとって、この志恩ちゃんは「遅い初恋」の相手であった。勿論、小学校や中学校の時に「あの子可愛い」という程度の女の子はいた。しかし、これほど恋い焦がれた相手はいなかった。  そして、耕輔は志恩ちゃんと一緒にいるところをよく夢想した。しかし夢想すると言っても、彼が考えていることは普通の人間の考えることとは少々異なっていた。  何と、かれは志恩ちゃんが焼死体になって転がっているところを夢想していたのだ。そして、彼女の死体を何度も夢に描いていた。  「人間の死体、人間の死体、女の死体」なぜか、そんなことを夢想して悦に入っていたのだ。                *  また、耕輔の宗教熱も激しさを増していった。  耕輔の入っていたカルト教団で二回にわたって講師を務めたのだ。現役の教師ということを買われてのことだろう。  二回の講演は大変な好評を博した。  一回目は「日教組支配の学校の恐怖」二回目は「マルクス主義の矛盾」というタイトルで講演を行った。  「皆さん方の中には革新自治体などからいらっしゃった方もいると思います。革新自治体に限らず、保守系の自治体でもそうですが、日教組や高教組はとんでもない偏向教育を行って生徒さん達を『洗脳』しています。  例えば、高校ではどのように教科書を選定するかと言えば、教師達が教科会議を開いて気に入った教科書を選びます。そして、特に社会科の教師などは大半がサヨクだから、左翼的な教科書を選定します。教科書会社も先生の気に入るような教科書を作ってきます。復古調の教科書が問題となっておりますが、あのような教科書が高校の現場で選定されることはないのであります。  また、組合の教師達の中にはマカレンコの『集団主義教育』というものを行っている人もいます。これは生徒を能力別に班分けし、できない班は『ボロ班』とか『屑班』とか呼び、挙句は『トロツキスト』なんて呼ぶと言ったものです。もしもお子さんが突然『トロツキストって何?』なんて聞いてきたら学校で何を習ったか問い正す必要があります。  それから、革新自治体の教育委員会は教育委員会自体がサヨクである場合も多いので気をつけて下さい。それから、お子さんが先生からもらってきたプリント類には必ず目を通して下さい。  私の勤めている学校は組合がそんなに強いわけではありませんが、なぜか映画の観賞会で『炎の第五楽章』や『ザ・デイ・アフター』などを視ました」  また『マルクス主義の矛盾』は大体次のような内容である。  「マルクスの基本的な考えは労働価値説から出発しています。例えば一時間の労働を千円とすると、その千円分の労働の対価は労働者に渡らず、数百円は剰余価値として資本家に持っていかれるというのです。しかし、この『労働価値説』は本当に正しいのでしょうか?  例えば二人の海女さんがいて、一人は一時間かけてサザエを採って来て、もう一人は一時間で真珠を採って来たとします。これが同じ値段で売れるのでしょうか?また、労働価値説では、時間で給料が出るわけですから、ソ連の農民のように八時間トラクターに乗って遊んでいるだけで給料がもらえ、誰も働かないということも起こってくるのです。  それから、原始共産制から共産主義に至る過程をマルクスは唯物弁証法で説明しました。ある制度の下で矛盾が起こってくるので、そのアンチテーゼとして次の時代が来るというのです。では、何も矛盾のない原始共産制は、なぜ奴隷制になるのでしょうか?これは『生産力の向上による』とマルクスは言ってますが、同様に『生産力の向上』によって資本主義は社会主義になるとも言ってます。これは明らかに矛盾しています。  また、資本主義はブルジョアジーとプロレタリアートの階級闘争によって『必然的に』社会主義になるとも言ってますが、『必然的に』なるのなら、労働者は団結する必要などありません。どうです?おかしいでしょう?」  また、この頃、ある雑誌に自らの論文を応募して佳作で通った。 「教科書はいかにあるべきか。」というタイトルだった。丁度この頃は教科書のことが問題になって韓国や中国で「反日」の嵐が吹き荒れていたんだ。何でも日本の「侵略」とあるのを「進出」に書き直させたとかいったことだった。まあ、実際は朝日新聞の誤報によるものだと後で分かったんだけどね。その論文というのは次のような内容だ。  「今の日本史教科書が日本人の血を疎ましく感じるように出来ている。  例えば、豊臣秀吉などには『太閤さん』のイメージはなく、検地や刀狩りなどのことの方が重要視され、人物の評価が全くされておらず、教科書から人物が消えている。  特に東郷平八郎や広瀬中佐といった日露戦争の重要人物の名が消され、代わって非戦を訴えた内村鑑三なんかが教科書に載っている。 事実、小中学生に『尊敬する歴史上の人物は誰か』と尋ねたら『田中正造』という意外な答えが返ってくる。  そして、生徒達は荘園制とか絶対王政などと言った無味乾燥な歴史用語を習い、維新の英傑や戦国の勇将のことなど教えてもらってない。  こんな教育に誰が興味を示すだろうか?だから今の歴史教科書を憂う」  何と彼は右翼で爽やかな青春を満喫していたのだ。  やがて彼はこの宗教の中心メンバーになっていった。そして、そんな折、志恩ちゃんが突飛な行動に出る。 *  どこの学校にも「学級日誌」というものがあって、一日にあったことなどを日番が書いて担任に渡すのだが、この志恩ちゃんが信じられないようなことを書いてきたのである。  それは耕輔が「カラマーゾフの兄弟」の「大審問官物語」をホームルームでやり、感想を求めた直後のことであった。  「大審問官物語」とは、「カラマーゾフの兄弟」の中の次男イワンの作った劇中劇である。十五世紀のスペインのセビリアの町に突然イエス・キリストが現れ、それを大審問官が捕える。そして悪魔の三つの誘惑を斥けたことをなじる。その間、キリストは一言も言葉を発せず、最後に血の気の失せた大審問官に接吻するというものだ。  三つの誘惑とは、キリストが四十日四十夜断食をした後にサタンが現れ、空腹になったキリストに「この石をパンに変えてみよ」と言う。キリストは「人はパンのみで生きるのではない」と言ってこの試みを拒否する。するとサタンはキリストを高台に連れて行き「あなたが神の子ならここから飛び降りてみよ。神が支えるはずだ。」と言う。キリストは「主なる神を試みてはいけないと書いてある」と言って、これも斥ける。最後にサタンはキリストに世の栄耀栄華を見せて「ひれ伏して私を拝むならこれらのものを全て上げよう」と言う。キリストは「黙れサタン。心を尽くし思いを尽くして主なる神にのみ仕えよと書いてある」と言ってこれも斥ける。  キリスト教徒にとっては大変有名な部分である。  耕輔は、これを自分の反共思想の根拠にしていた。  すなわち、統制された社会でパンを与えられることを拒んで、貧しくとも自由意思を選びとるという意味でとらえていた。  この「大審問官物語」は倫理の授業用に用意していたものであったが、内容があまりにも難解であったので、高校生には無理と考えてしまっていたのだ。  それをホームルームでやってみた。誰も理解出来ないであろう。  ------と思っていたら志恩ちゃんがとんでもない行動に出たのだ。  ホームルームが終わってから彼女が職員室の耕輔の席まで来て「このプリント何のことか教えてほしい。」と言ってきた。確かに、プリントを渡した時の彼女は何か不自然に落ち着きがなく、奇妙な動きをしていた。「理解できないのだろうか。興味もないのかな?」  そう耕輔は思っていたのだ。  そこで、彼女に耕輔がプリントを渡した意図を簡単に説いて聞かせた。  そして彼女が学級日誌の感想欄を目一杯使って書いてきたのだ。    「先生が配った『カラマーゾフの兄弟』の『大審問官物語』はイワンが作ったものですね。イワンはアンチ=クリストですか。先生がプリントを渡す時に『これが私の全てだ』何て言って渡すものだから、先生はてっきりアンチ=クリストかと思ってしまいました。ところで、最近の量子論の発見から、宇宙を観察するから宇宙が存在するのであって、宇宙があるから観察するのではないようですね。これで仏教の唯識論が証明されます。即ち、宇宙の中に我々が存在するのではなく、我々の中に宇宙が存在するようです。ところで、たらこ唇の植芝翁ですが、この前も、あの有名なロゴ May peace prevail on the earth.  の五位昌久と一緒に写真に写ってました。それから、無念無想って何も考えないことではなくて『無を想い無を念じる』ことですね。学研の『ムー』という雑誌もこれに関係があるのかな?ところで、私は最近バグワン=シュリ=ラジニーシにはまっています。和尚の優しい説法が好きです」   「これはすごい。こんなことを考えている高校生がいたんだ。しかも私が渡したドストエフスキーのプリントも量子力学も唯識論も植芝先生のことも完全に理解している。この子、今までひいきしてきた生徒だったけど一体何なんだ?」   そして耕輔と志恩ちゃんはこれ以降密会を重ねる仲になっていった。会う場所は決まって喫茶店。学校から少し東へ行ったところにおしゃれな喫茶店がある。中は暗く、窓はステンドグラスで、そこを通してほのかな太陽の光が差し込んでくる。生徒と先生の「密会」の場所としては最適だ。彼女の家もこの近くだし、こんなうってつけの所はない。因みにこの学校では喫茶店の出入りも校則で禁止されていた。  「あのー。先生、喫茶店なんかええの?」  「先生が一緒やから別にいいやないの。何か言われたら『先生に誘われた』と言ったらええんや。でも、こんなことどこで勉強したの?」   「ラジニーシズムについては教えてくれるお兄さんとお姉さんがいた」  「どんな人?」  「二十七、八の人で○○大学の哲学科を中退したって言ってた」  「(俺と同じ年齢。しかも同じ大学だ。でもだめじゃないか。こんな真面目な子に変なこと教えたら)ふーん。今でも連絡はあるの?」  「はい。手紙が来ます。本も送ってきます。キリスト教会で知り合ったんですけど、キリスト教から助けられてバグワン=シュリ=ラジニーシの所へ行ったと言ってました」  「(キリスト教から『助け出される』ってどんなんや?)  その人達からラジニーシズムを知ったわけやね。(バグワン=シュリ=ラジニーシって、何かアメリカで武器を集めて蜂起しようとしてインドへ送り返された人や。おー怖。でもこのことは言わないでおこう。彼女は信じているようやから)」  「はい。今では封筒に糊をつけずにチューインガムをくっつけてきます」  「(何だ、それは?普通じゃない)」  「今ではサニアシンになってサニアス=ネームをもらってます。」  「(サニアシン?サニアス=ネーム?何だ、それは?)」  「量子力学のことなんかどこで勉強したの?」  「『ムー』なんかに載ってます」  「志恩ちゃんはクリスチャンじゃなかったよねえ」  「はい。洗礼は高校を卒業してからだと父に言われました」  「お父さんはこの手紙なんか送ってくることに関しては何か言ってない?」  「受験も近いのでしばらくは止めて欲しいと言ってます」  「(そりゃ、そうだろう)」  「植芝盛平先生のことを『たらこ唇』と言ったのも彼らやね。」  「はい。それから、合気道の先生も危険だから注意するようにって言われた」  「(どっちが危険なんだ?)でも、植芝先生のこともよく知っているねえ。どうして?」  「何言ってるの?先生が練習終わったらいつも言ってるやないの?」  「(そうか、俺だった。)でも、インド哲学ってすごいよね。僕も『ヨーガ根本経典』や『バガバット=ギーター』や『ラマナ=マハリシ』なんか読んだよ」  この時、彼女がクスッと笑ったので耕輔は話題を変えた。  「(何か馬鹿にされたようだ。話題を変えよう)ところで、志音ちゃんはどうして合気道部に入ったの?」  「私、運動があまり得意じゃなかったから、最初は怖かった。でも最初から合気道部に入ろうと決めてたの。入部届を出す時もどんな怖い先生がいるかと思ったら先生のような人だったから安心して入ったの」  「僕のような人ってどんな人だと思った?」  「何か眼鏡を架けてて気が弱そうでスリムで---。もっと体育会系で,マッチョな人だと思ってたから安心したの」  「お友達の島元さんもこんなこと知ってるの?」  「いや、彼女はあんまりこんなこと興味ないから。一応同じ教会に通っているけど」  「ふーん。僕のこと、今ではどう思う?」  「普通の人じゃないと思っていたけど、やっぱりそうだった」  「ふーん。(『普通の人じゃない』ってどういう意味だ)」  「それから、先生の机の上にあった本、私と同じ趣味」  「ふーん(俺はさっきから頷いてばかりいる)」  「ところで、先生は何か宗教にでも入っているの?」  「実はこの本だけど、来岩現正法という変な団体に入っているんだ。変かなあ?」  「(かなり変)ふーん」  そしてある日、耕輔が図書室に寄贈した来岩現正法の本の束を持って志恩ちゃんが現れた。  「え?これ読んだの?どう思った?」  志恩ちゃんは笑いながら「これが悪魔やったらどうしようと思った」と快活に答えた。しかし、耕輔にとってはこれは一大事である。  「もしも本当にこれが悪魔だったらどうしよう?」  そう考えを巡らすようになってきたのだ。  耕輔の根拠のない独りよがりの自信が揺らぎ始めた。  「相手は小学校5年生から宗教遍歴をしたという剛の者だ。言ってることは本当かも知れない。それに、これが元で志恩ちゃんから嫌われたらどうしようか?」  真剣にそう考えた。  実は、彼女の言ったことは、その後の来岩現正法の動きを見ていると正しい見解であったのである。共産主義者がS波で信者(「正法者」と内部では呼んでいた)や来岩先生を狙っていると言ってワゴン車で全国を放浪し始め、言動も常軌を逸したものになってきたのだ。この直後に耕輔は来岩現正法を辞めるが、もしもこの時に志音ちゃんのこの言葉がなかったら、あのワゴン車の列について行って大変なことになっていたであろう。そう考えると彼女は耕輔にとっては「カルトから救ってくれた天使」だった。  そしてこのようなことが何回も繰り返され、志恩ちゃんと耕輔の関係は先生と生徒という垣根を越えるかとも思われた。しかし、間もなく悲劇が二人を襲う。 *  志恩ちゃんはやがて三年生になった。また耕輔が担任になった。---というよりは、実は耕輔が担任になるように耕輔自身が計略を巡らせたのであった。普通は担任を決めるのは学年主任と学年会である。しかし、耕輔はそれを無視して自ら「Bコースの担任は私がやります」と言って志恩ちゃんのいるクラスの担任におさまってしまったのだ。  しかし、3年生になって受験も近づいてくると、なぜか二人の間に溝ができはじめた。その確たる理由は分からない。しかし、どうも二人の関係を怪しいと思った男子生徒が「お前、もう杉村とやったのか?」とはやし立てたりしたようである。あんなに贔屓していたのだから当然と言えば当然かも知れない。こうして、志恩ちゃんは耕輔を避け始めた。  その頃、模擬試験の結果発表があり、志恩ちゃんは英数国で学年3位という好成績を取った。しかし、耕輔は素直には喜べなかった。  そして破局は突然訪れる。  志恩ちゃんは唇が乾くので薄いリップを塗っていた。この学校ではリップは禁止されていた。それを英語の教師であった村本が見つけ、耕輔に言ったのだ。   「最近志恩ちゃんの唇、赤いと思わないか?なぜ注意しないんや?」  大体そう思ったなら自分が注意すればいいのである。しかし志恩ちゃんとの関係を知っていた村本は耕輔を試したのだ。  先輩教師の言うことだから耕輔は仕方なく従った。そして志恩ちゃんを呼び出した。    「志恩ちゃん、リップ塗ってるね」  「山本先生が唇が乾く場合はいいと言ってました」  「そうか。それなら山本先生に聞いておく」  「あのう。世界史の補習やめます」  「(しまった。これは嫌われたな)」  こうして二人の関係はガラスが床に落ちて割れるように粉々に砕け散ってしまった。そして、それに輪をかけたように耕輔のカルト教団による洗脳が解け始めた。耕輔の心の奥に心臓をえぐられるようにあの志恩ちゃんの言った言葉が残っていたのだ。  「これがもし悪魔だったらどうしよう」  実は、耕輔の入っていたカルト教団には恐るべき教義があった。それは、教団を脱けた者は「消滅」、すなわち魂を消されてしまうと言うものだった。ここで耕輔は村本にも相談したが、何の助けにもならなかった。肝心の志恩ちゃんにはそっぽを向かれたままだ。  「怖い。消滅だ。誰か助けて。」という心の声は砂漠で一人叫ぶように誰にも届かなかった。もしもカルト教団の言うことが本当ならば魂を消される。カルト教団が悪魔だったら地獄行きだ。そんなジレンマに苦しむようになってきた。  耕輔の心が闇の中でざわつく木々のようにざわつき始めた。そして、耕輔は自分のノートに何回も同じ言葉を書き殴った。  「誰か助けて、誰か助けて。助けて、助けて、助けて」  授業なんかまともにできる状態ではなかった。心がSOSを発信していたのだが、そんなことには誰も気づいてもらえない。難破した船に一人取り残されたような心境であった。  実は、この教団はその後おかしな路線を進むことになり、この時になって耕輔は初めて「やめて良かった」と思えるようになるのだが、そうなるにはまだまだ時間がかかるのだった。  「おかしな路線」というのはソ連が消滅してからのことである。共産主義者が電磁波で攻撃をしかけてくるという妄想に教祖が取り憑かれ、ワゴン車数台で全国をさまようという愚かなことをやり始めるのだ。そして、その頃には耕輔はその教団から脱退していた。   それにしても洗脳が解ける瞬間というのはこんなにも苦しいものだったのか?今になって耕輔は当時を述懐して感じる。まるで心臓を鷲掴みにされて腑をえぐられるようなものだ。今まで信じていたものが音を立てて崩れていくのだから。  そして、このような状況に至っても耕輔は志恩ちゃんの「助け」を待っていた。彼女なら何か解決法を知っているかも知れない。そう思った。しかし、この期待は見事に裏切られる。  彼女の日直当番が回ってきた。日番日誌に何を書いてくるのだろうか?  そして日誌を見た耕輔は色を失った。彼女から完全に嫌われてしまったのだ。日誌にはこう書かれていた。  「先生のマルクス批判は中途半端です。それから先生の字があまりにも汚いので読めません。日ペンの美子ちゃんからでも字を習ってはいかがですか?」  この時より耕輔の恋心は怒りに変わった。  「(どうせマルクスのマの字も知らないくせに。それならば期末考査は資本論を引用して超難解な問題を作ってやる)」  そして、高校生ではとても太刀打ちのできない難解な試験問題が出来上がった。  そんな頃、英語の村本が耕輔にとんでもない「解決法」を伝授した。  「一ヶ月間志恩ちゃんの顔を見るな。そうすれば向こうからやってくる。必ずやってくる」というものだった。馬鹿な耕輔はそれをそのまま実行したのだ。  しかしこんな解決法なんてあるのだろうか?志恩ちゃんの座っている席の周りには他の生徒だっているのだ。  そして、「消滅」の影に怯えながら耕輔はそれを実行した。   一ヶ月が経ち、学校は文化祭を迎えていた。これで志恩ちゃんは振り向いてくれるかも知れない。  そして、渡り廊下で志恩ちゃんと遭遇した。彼女は満面に怒りを蓄え、耕輔を見ようともしなかった。  全ては終わったのだ。耕輔は自分の実存が足下から崩れて行き、その崖っぷちに立っているような奇妙な感覚に襲われるようになってきた。  耕輔は心療内科を訪れた。「鬱病」の診断が出た。それとともに医者は「3月までの休養を要す」という診断書を出してくれた。  耕輔は休職することになった。
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