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寺も神社も放火じゃー。
(九)寺を放火しちゃるけーのう
九月のシルバーウィークを利用して耕輔は、また島へ帰った。しかし、島では父親の一人暮らしである。もう実家へ向かうことはなかった。しかし、実家から頂戴した地下足袋と季節外れの灯油の入ったポリタンクを車に積んでいた。フェリーに乗れば本土から島の港へは三十分で到着する。半田はあれ以来、来てはいない。自警団も解散されたようだ。みんな事件のことは忘れている。犯行を犯すには絶好の機会だった。
耕輔はクリスチャンになる前のことに思いを馳せていた。そう言えば、あのカルト教団に居た頃には自分が殺人者になるとは思ってもみなかった。しかしクリスチャンになってから人を一人殺している。放火もやっている。オウムと同じだ。しかし、これは偶像崇拝者に対する正義の鉄拳なのだ。確かに十戒に「汝殺すなかれ」と書いてあるが、それは人間を殺してはいけないということである。おかまなんか人間でないから殺してもいいんだ。しかし洗礼のお祝いに来てくれた志恩ちゃんが聞いたら何と言うだろうか?俺は日本の刑法では明らかに殺人者になってしまった。もう後戻りはできない。あのカルト教団でさえ、殺してはいけないと言っていた人がいた。否、共産主義は人を殺すからいけないと言っていたのだ。ならば、今の自分は何なのだ?しかし疑ってはいけない。神は敵のカナン人を皆殺しにせよと命じたではないか。これは正しいことなのだ。そう自分に言い聞かせるしかない。
フェリーに揺られながらそんなことを考えていた。そしてフェリーは静かに港の岸壁に停泊した。耕輔も車に乗って船を出る。これから次の犯行に移るのだ。
耕輔の最初のターゲットは先覚寺である。この寺は山の上にあるので車で行くしかない。しかし、自分の車で行けば簡単に足どりをたどられてしまう。そこで、車を止めるとすぐにレンタカーを借りに行った。レンタカーは港からすぐの所にある。観光客用である。そこへ行って耕輔は尋ねた。
「軽のレンタカーを借りたいのですが」
「はい、住所と名前と電話番号を記入して下さい」
耕輔は俊介の住所と名前を書いた。ここで俊介殺しが見つかるとまずいと思ったが、レンタカー会社の従業員の男は全く気がついていないようであった。
「(よし、気づかれていないぞ。後は免許証だ)」
予測どうり、レンタカー会社の男は言った。
「免許証をお見せ下さい」
耕輔は俊介を殺す前に俊介から奪った彼の免許証を見せた。
「村上俊介さんですね」
「はい」
耕輔は免許証の俊介に見えるように女性用の長い鬘をかぶっていたので、レンタカー会社の従業員は何も怪しんではいないようであった。
「では、料金はこれです。満タン借りの満タン返しです」
「わかりました。ではお借りします。キーは?」
「はい、つけて置いてあります」
こうして耕輔はレンタカーを借りることに成功した。そして、その車に乗って港に駐車してあった自分のクラウンの所まで走った。
そして、クラウンから灯油入りのポリタンクを軽に積み替えた。
先覚寺は山の上にある。港からほとんど人家のない道をまっすぐ山を登って行けば簡単に先覚寺へ着ける。耕輔は誰にも見られていないか注意しながら山を登った。そして駐車場に堂々と軽乗用車を置くと、夜になるまで待った。駐車場からは島が一望できる。寺には展望台もある。この山以外には島に山らしい山はない。従って山岳信仰の中心になっているのだ。耕輔は何度も深呼吸をして山の空気を吸い込んだ。昔はじいさんとよくこの山へ歩いて登ったものだった。そして本堂でお参りをしたことがある。目標はこの本堂である。この本堂に安置されている観音像を燃やすのだ。
山の夜は早い。七時にはもう暗くなってきた。もう少しだ。
そして時刻は十二時を回った。耕輔はポリタンクを持って本堂へと至る石段を登り始めた。しかし、ポリタンクはかなりの重量があって簡単には運べない。耕輔はやっと宿坊のある所までたどりついた。中では耕輔の出身校である五山中学の陸上部が合宿をしていた。
「ああ、重い。仕方がない。ここで灯油をぶちまけるか」
そう独り言を言って、周りを見渡した。寺の街灯が点いていて静かに周りを照らしていた。耕輔は監視カメラがないか探した。すると、宿坊の正面に監視カメラらしきものが備え付けられていた。
「これはまずいなあ。よし、裏へ回ろう」
そう言うと耕輔はポリタンクを持って宿坊の裏へ回り、灯油をぶちまけた。中には中学生がいる。彼らには何の恨みもないが、死んでもらおう。既に人を殺している耕輔の良心は完全に麻痺していたのだ。そして、いつものように燐寸を擦って灯油の中へ投げ入れた。瞬く間に火の手が回った。耕輔は走って宿坊を後にした。
宿坊では、大変な事態が起こっていた。五山中学の女子生徒が火の手を発見し、叫んだ。
「きゃー!大変!火事よ、火事」
その叫び声に生徒達が一斉に起きてきた。引率の教師は直ちに電話で住職を呼び、消火器を持ってきて消そうとした。そして生徒の一人が非常ベルを押した。けたたましい非常ベルの音がした。しかし、その時には耕輔は車に乗って逃走した後だった。
翌日の新聞の地方面にこの事件は堂々と載った。
「先覚寺の宿坊でボヤ騒ぎ。中にいた中学生は全員無事」
それを見て耕輔は思った。
「また失敗か。まあいい。どうせまた警察が来て調べるだろう。しかしアリバイ作りは完璧だ。後はこの島を出るだけだ」
そう言って、実家には立ち寄らずにクラウンをフェリーに乗せて本土のアパートへ帰った。
*
耕輔はまだ教師を続けていた。耕輔にとっては4校目の学校であったが、そつなく授業をこなしていた。ただ、耕輔は持病の鬱病があったので、前任校でも暫く学校をお休みしたことがある。しかし、天性の教え上手から生徒の評判は上々であった。そして、今度は刑事の半田と望月が学校までのこのことやってきたのである。
耕輔は授業の空き時間に職員室にいた。そこへ校長の呼び出しがかかった。
「杉村先生、何か校長が呼んでますよ」
そう告げたのは年輩の総務部長の教師であった。
「一体何なんだ?」訝しく思いながら耕輔は校長室へ急いだ。校長室は職員室の隣にあり、職員室から出入りできる。そこで、耕輔は職員室のドアのを二、三回ノックし、校長室へ入って行った。ノックすると校長の「どうぞ」という声が聞こえたのでドアノブに手をかけて軽く一礼しながら入って行った。すると、そこに半田と望月が待ち構えていた。
「ああ、杉村先生。刑事さんが何か聞きたいことがあって来られているんですが、何かやったのですか?」
その校長の不安を打ち消すように半田が口をはさんだ。
「いや、少し先覚寺の放火事件について参考までにお話を伺いたいだけです」
「(この刑事、またもや俺に疑いをかけにきたのか。でも、アリバイ作りは完璧だ。さあ、何でも聞いてくれ)」
そう思ってソファの横に立った。
「まあ、先生も座って下さい」と校長が言ったので、ソファに軽く尻を乗せた。
「刑事さんは、まだ俊ちゃん殺しを追っているんですね。それと先覚寺のことと何か関係があるのですか?」
「いや。確たる証拠があるわけではないのですが、私は同一犯だと思っています」
「同一犯だと言っても、たまたま家が島で事件が起こっているだけで、何のつながりもないでしょう」
「いや、それがあるのですなあ」
校長はこのやりとりを不安そうに眺めていた。もしも本校の職員が殺人犯で放火魔だったら生徒達にどう説明すればいいんだ?そんな顔つきであった。
「ほほう、どんなつながりですか?」
「それは、この犯行声明ですよ」
「ああ、覚えています。ワープロ打ちで、確か先覚寺にも警察にも送られていたんでしたよね」
「そうです。しかし村上俊介殺しには犯行声明が出ていない。これはどうしたことか、ということですね」
「そりゃ、犯人は別人なんじゃないですか?」
「いや、この声明文の送り主は『神の僕』と名乗っています。そして、私も聖書なんかを調べたんですが、キリスト教というのはお寺を明らかに敵視している。偶像崇拝と言うらしいですな。それから、前にも言ったようにLGBTのこともよく思ってないようですなあ」
「それはイスラム教でも同じです。同一人物が犯人だとすれば、本土の出稼ぎ労働者が怪しくはないんですか?」
「その件はこちらが足が棒になるほど調べました。しかし、家が島だけで犯行を犯しますかねえ。本土のイスラム教徒が---」
「ふーん。それで私を疑ったわけですか」
「はい。何しろ寺の防犯ビデオにも何も映ってない。犯人らしき軽の乗用車が慌てて先覚山を下って行くのを見たという証言もあるのですが、先生の車はクラウンでしたよねえ」耕輔はナンバーからレンタカーのことが割れるのではないかと一瞬ひやりとしたが、それはなかったようであった。そこで一安心し、一呼吸置いて答えた。
「はい」
「とにかく、証拠を全く残してないんですよ。それがかえって不自然でねえ。先生は9月のシルバーウィークの前日に年休をとっていらっしゃる。どこにいたのですか?」
耕輔はこの半田という刑事には辟易としていた。まだ疑っているのか?
「アパートで試験問題を作っていました。島へは渡っておりません」
「そうですか。いやー、厄介な事件ですわ」
その後、杉村は校長に挨拶をして学校を後にした。当然、校長が耕輔に尋ねる。
「杉村君、何か警察に疑われるようなことでもしたんか?心当たりはないのか?」
「そんなの、あるわけないでしょ」
しかし、耕輔はの手の平は冷や汗で濡れていた。あの半田とかいう刑事はどこまで真相を掴んでるんだ?本当に気味が悪い。そう思っていた。
そして、耕輔は次の犯行のターゲットを変更することにした。本来ならば米田神社を放火するつもりであったが、島で最も古い神社を狙うことにした。ここには自警団もいなければ、警察も警戒していない。絶好の標的である。そして冬休みがやってくると、耕輔は堂々と実家へ帰った。
(十)神社を放火しちゃるけーのう
島で最古の神社とは天御中主神宮である。この神社が本当に島で一番古い神社かどうかはわからない。しかし、祭神が古事記に登場する最古の神であることから、島で最も古い神社であると信じられてきた。港から島にある県道を真っ直ぐに西へ向かい、瀬戸内海の見渡せる所まで来たら荘厳な鳥居が見えてくる。そして、こんな島にこんな広々とした所があるのか、と思えるような広大な敷地に神社はそびえている。丁度、一月一五日の旧成人の日にこの神社へ参拝することが島の人々の年中行事として定着していた。米田神社の方は既に自警団が警戒している。警察も目をつけている。狙うならば穴場のこの神社しかない。
耕輔は自宅からBMWに乗って出かけた。クラウンは足がつかないように処分した。自宅から山道を北上したらすぐに県道へ出る。そこで耕輔は車を左折させ、神社へ向かった。時刻は夜中の十二時。誰も気にとめていない時間だ。県道へ入ると、すぐに天御中主神社の石灯籠が沿道に並んでいる。田舎の神社にしては大袈裟である。これも島最古の神社ということで誰かが奮発して寄付したものであろう。車が進むとともに石灯籠が後ろへ流れて行く。そして対向車も一台もいない。犯行を実施するのにはもってこいの環境である。
やがてBMWは天御中主神社の鳥居の前に到着した。耕輔は先ず、車を畑の中に隠して灯油の入ったポリタンクを取り出した。そして、誰もいない畑の道を懐中電灯を頼りに歩き始めた。そして、鳥居からは入らずに側道を通って境内へ侵入した。地下足袋にコート、目出し帽といった格好であったが、もしも防犯カメラがあっても誰か特定されないようにという配慮からである。ポリタンクの中の灯油は満タンではなく、半分くらいしか灯油は入っていない。先覚寺での二の舞になるのを恐れてのことである。
堂々と本殿に到着した耕輔は、灯油を本殿の賽銭箱とそのあたり一面にぶちまけた。そして用意してあった燐寸を擦る。間もなく火の手が上がった。耕輔は人のいないのを確認して小走りに畑の道をBMWまで戻り、直ぐにエンジンをかけて車を発進させた。
真夜中のことである。異変に気づいた神職数名が本殿へ駆けつけた。
「大変や。火事や。本殿が燃えている。誰か来てくれ」
その声で二、三人の神職が駆けつけた。
「これはえらいこっちゃ。119に電話や。それから消火器もってこい」
「いや、これは消火器で消せるような火事やないで。宝物倉は大丈夫か?」
「おう、ここには火は回ってない」
暫くして消防車数台がサイレンを鳴らして駆けつけた。夜中の火事で地元の住民が起きてきた。その頃には耕輔は既に家に帰り着いていた。
火事は翌日の新聞やニュースで大々的に報じられた。
「またしても家が島で放火事件。天御中主神社の本殿が全焼。灯油を撒いて放火。原口医院、先覚寺と同一犯人か?」
そして、刑事の半田と望月がとうとう耕輔の実家までやってきた。
この刑事達は元々は俊介の殺人を追っていたのだが、寺社の放火と俊介殺しが同一犯と確信しているようである。年末の三〇日に耕輔の実家へやってきたのだ。
けたたましいドアチャイムに最初に反応したのは耕輔の父親だった。刑事達は何回も執拗にチャイムを鳴らしたので、耕輔の父が応対した。
「杉村さんのお宅ですね。耕輔さんはご在宅ですか?」
望月の声である。
「はい、今自分の部屋でパソコンをやってますが、耕輔が何か?」
「いえ、この前の天御中主神社の放火の件とおかま殺しについて聞きたいんですわ」
「何か、うちの耕輔が疑われているのですか?」
「いえ、全く犯人の手がかりさえ掴めておりません。ただ、耕輔さんが熱心なクリスチャンで、この島の出身でもあるのでお話を伺っているだけです」
「俊ちゃんは耕輔の幼馴染みで、私もよく知っております。しかし、俊ちゃん殺しと放火は何か関係があるのですか?」
「いや、私も宗教のことは全く音痴でしてなあ。しかし一応聖書というものも調べてみたんですよ。そうすれば、何かゲイのこともあまりよく思ってないようで、また、他宗教の施設を狙うというのも頷けますし、原口産婦人科医院も、人工妊娠中絶を行っていたようですが、これは殺人だとアメリカの原理主義のキリスト教団体が騒いだこともあるようで、ここでみんなつながると思ってお話を伺いたいのです」
半田が答えた。その声音には耕輔が犯人であるかのような確信が芽生えているようだった。
「あいつは頭がおかしいのです。とにかく私も心配です。どうぞ調べていって下さい。今呼び出しますので。おーい、耕輔。刑事さんが見えてるぞ」
耕輔は眠そうな目をこすりながら寝間着のままで二階から降りてきた。階段をドンドンと踏み鳴らす音が聞こえると、半田は大声で告げる。
「先生、度々すみませんなあ。一連の放火事件と俊介殺しの手口があまりにも似ているものでねえ。こうして両方調べさせてもらっているのですわ。お気を悪くなさらないで下さい」
「(こいつら、また来やがったか)あのー、そんな玄関に居ないで上がりはったらいかがですか?」
「いや、お話を少し伺うだけで、手間はとらせませんからここで結構です」
耕輔はもう慣れっこになってしまった。もう声が上ずることも冷や汗をかくこともなかった。適当に帰ってくれたらいいのになあ。
そんなことを考えていた。
「いや、先生。三日前の夜の十二時にはどこにいましたか?」
「また私を疑っているのですね。私は妻とこの家で寝てました」
「そうですか。奥さんにうかがってもよろしいですね」
「ああ、いいですよ。洋子ー。ちょっと来てくれ」
「今行きます」
妻も降りてきた。屈強そうな二人の男が玄関にいることに少しとまどっていたようだったが、刑事だと分かると安心したように答えた。
「何かありましたの?」
「いや、三日前の夜の十二時にご主人は寝ていたと証言してるんですが、ご一緒でしたか?」
「はい、その時間なら私も主人も寝てますが、三日前というと天御中主神宮の放火で主人が疑われているのですか?」
「いや、ご一緒だったらいいのですが、間違いないですね」
「はい、間違いありません」
耕輔は妻が寝るのを待って犯行に及んでいる。こんなことで分かるわけがない。そう思った。そして言った。
「刑事さん、しつこいですよ。クリスチャンなら、この妻もそうです。そんなの疑っていたらきりがないのではありませんか?」
「いや、この島で原理主義的な信仰を持ったクリスチャンと言えばあなたなのですよ」
「それだけで俊介を殺したり寺や神社に放火したって言うのですか?恨みとか何かそんな方面では調べてないのですか?」
「いや。怨恨の線は既に調査ずみです。それと、不思議なのが、火をつける手口が全く同じなんですよ。俊介さん殺しも寺社の放火も。あ、それから原口医院もね」
「だから、私にはアリバイがあります」
「わかりました。お手間をとらせました」
二人の刑事は帰りに話し合っていた。
「なあ、あの先生やはりおかしいだろう?」
半田が望月に話しかける。
「そうですかねえ。私にはどう見てもただの好青年にしか見えないんですが」
「あいつめ、いつか尻尾を捕まえてやる」
半田の声は確信に満ちていた。
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