柔く、熱く

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柔く、熱く

その回覧板が回ってきたのは、例年よりも早い初雪がちらついた朝のことだった。 『街灯をLEDに交換します』 町の誰も気に止めていないだろうその1文から、彼はしばらく目を離すことが出来なかった。   席替えの結果が黒板に発表された瞬間、教室の端で興味のない振りをしていた浅見は、そんな演技を忘れてしまって、「えっ」と大きな声をあげた。 「浅見ぃ、お前“あいつ”の隣だな」  友人の1人が、安堵とからかいの混じった表情で浅見の肩を叩いてくる。そのままひょうきんな言葉を続けてくれれば良かったのだけれど、彼は最後に酷く真面目な顔で締め括った。   「殺されるなよ? 」  クラス委員が席を移動するように促し、黒板の前で固まっていた一団はわらわらと散開した。友人は別れを惜しむように浅見の肩をさすってからその輪に加わっていく。これが最期だと言わんばかりの挨拶に、重い溜め息が漏れた。  机を引きずって、彼は新たな居場所へと向かう。   ぎいぎいがんがんとやかましく慌ただしい教室のなかで、そこは薄い膜でも張られているかのように静寂を保っている。窓際の1番後ろ、教室の角に位置するそこは「彼女」の特等席だ。 「……よろしく、都築(つづき)さん」  浅見は、その席に座る彼女に声をかける。本当はそれさえも恐ろしかったが、無視をする勇気はなかった。  ぎょろ、と切り揃えられた前髪の下で視線が動く。それだけで彼の背筋に冷や汗が伝った。  彼女の名前は都築。白い肌に映える、長い黒髪と切れ長の目が特徴的な女子生徒だ。中学2年目ももうすぐ冬になるというのに、多くの男子は未だに彼女の背を追い越すことが出来ない。形良く膨らんだセーラー服の胸元を見つめそうになって、浅見は慌てて目を逸らした。 「よろしく」 長く垂れた髪を耳にかける仕草を、浅見はつい目で追ってしまう。 都築という女子は、男なら、もしかして女でも心臓を高鳴らせてしまうような色気があった。すらりとした脚は年中ストッキングで隠されて、スカートを1センチも折っていないのに。 「じろじろ見ないで」 「え、見っ……ごめん、あんまり話したことなかったから」 睨まれた浅見は慌てて頭を下げた。   彼女はそこまで機嫌を損ねてはいなかったようで、再び机の上に目を落として黙り込む。  ヒステリー、イカれ女、乱暴者、恐ろしいほどに美しい都築を周りが称する言葉は多くが彼女の性格に起因して生まれている。 都築は去年東京から転校してきた。田舎に現れた華やかな美貌に、クラス中が興味津々だった。   しかし水の底のように静かで大人しい彼女は、突然火のように怒りを燃やすことがあった。男性教師に椅子を投げつける、生活指導の教員を階段から突き落とす、などなど洒落にならない暴力沙汰は数えきれない。何を言われても淡々としているときもあれば些細なことで怒り狂うときもある。つまり浅見が唐突に教科書の角で殴られても、おかしくはないのである。   その日、浅見は彼女の一挙一動にいちいち鼓動を速め、自分の行動が彼女の怒りをかわないよう細心の注意を払っていたので、授業が終わる頃にはすっかり心身ともに疲れきっていた。  
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