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“ホ……ホワード艦長、マキタです。敵、攻撃艦を捕捉しました”
激しいEMPのジャミングから解放されたCDC。まだ頭の整理が追い付かない彼は、スクリーンに写し出された赤点を凝視して生唾を飲んだ。
“――こちらのアクティブカモは……?”
小さくかすれ消え入りそうな割に、低く凄みのある声がマキタのヘッドセットを震わせる。
“あ……はい、生きてます”
悪魔の囁きの様なその声に、鋭く冷たい刃で首筋を撫でられた様な激しい戦慄をマキタは覚えた。
“……しばらく動かなくていい。このままデブリ群で潜伏する”
”了解……”
雌雄を決した自分の両手が、小刻みに震えていることに今更気づく。大きく硬いつまみスイッチの感触が、両手から離れない。
「形勢逆転だ……。どうする?」
赤暗い艦長室の壁に背中を付けたまま、力なく無重力に体を遊ばせるホワード。
「お前からは俺が見えないだろうが、俺からはお前がよく見える」
瞑った瞳を薄く開ける。
真っ赤に充血した左目が、赤暗い室内でもテカテカとよく目立つ。赤と黒の陰影がホワードの表情に狂気の色を添加した。
「さぞかし、怖いだろ……?
上か下か?右か左か?はたまた正面か後ろか……。
いつでも、どこからでもお前を八つ裂きにできる」
次第に薄く開いた瞳から涙とは違う、透明感のない液体が大小の塊で溢れだし、点々とヘルメットの内側に浮遊し付着する。
「お前に選択権はない。ここからは全宇宙がお前の『敵』だ。神経をすり減らせ。疲弊しろ」
それが自らの血液であると、彼のぼんやりと光を拾う視界からは判断できない。
――新しい時代がゆるりと動き出す。
ピンと張りつめた緊張感と、総毛だった空気がシュトゥリングルスの艦橋を沈黙で覆う。クルーの額には、大粒の汗が吹き出して溜まり、その目は激しい動揺で小さく左右に揺れている。
“フッ…クク……ク、クク……フ……フフ……。ハァッ! 負けた”
沈黙を破ったのは、ローズウッドの揺らめく様なテンポの奇妙な笑い声だ。
階下のCDCよりザーガソンが、ハッチを突き破り艦橋に乱入してくる。
”おう、ユーシィ。ヴァンダーファルケを全機、呼び戻せ。撤退だ”
そう言い強化ガラスに張り付いた黄色い塗料を一瞥すると、堪えきれなくなりまた大きく吹き出した。
“そんなっ! 中佐っ!”
命令に不服で膨れっ面を見せたザーガソン。
「くっそ、二度目の敗退か……」
そんなザーガソンには目も向けず。ローズウッドは独り言ちた。
――新しい時代の息吹。
ジャイ・ケン・ポン!
アイコデ・ショ! アイコデ・ショ! ショ! ショ! ……
「やったーーーー!! またまた勝てた!! 旦那、じゃんけん弱いっすよ! これで10連勝っ」
「ク…ク…クッソ―――!!」
「オイラの勝ちでさぁ。地球産の『葉巻』は頂きますぜ。ダンナ!」
一室で三人の大人たちが、二人のジャンケン対決に夢中だ。
金の代わりに懸けられたのはお互いの携帯バッグの中身。
緊張が解かれ、急にヒマになったのだろう。
「商売人……!」
「なんです? 外交官」
「このっ……! イカサマ野郎っ!!」
旦那と呼ばれた青年は理不尽にも声を荒げると、ジャンケンに勝った商売人に掴みかかる。それを見ていた三人が、咄嗟に止めに入った。
「ペテン師が!!」
「ダンナ! 勘弁してくだせぇ。そりゃ言いがかりでさ! ジャンケンですぜ!?」
無重力空間の一室で、一塊になった五人の影。
「あイタッ! イテテテ! 引っ張らないでっ!! た、助けて!」
「商売人。襲われている時で悪いが、一句思いついたぞ」
モミクチャの乱闘騒ぎの中、何故か落ち着き、一句読もうとする吟遊詩人。
「句なんていいから! 助けてくれ―!」
「お前ら! 避難民らしく、ちょっとは静かにしてくれ!」
騒ぎを聞きつけた衛兵が数人、扉を開けて乱闘に割って入った。
”艦長。こちらブリッジ、エヴァンズ! No.5より救命艇が射出されます”
それをシンッと鎮めたのは、艦内を流れたそのアナウンスだった。
――それぞれの願い、引き継いだ願いを胸に旅に出る。
一斉に放たれた中性粒子ビームの水平射がL-3コロニー群の漆黒の宙を一面の白に塗り替えた。コロニー国家連合第五艦隊の一斉射撃だ。
機能を停止したNo.5コロニーの外壁から次々に射出される細長い救命艇に紛れ、その装甲の塗装を剥がし赤い金属を剥き出しにしたセレシオンが一機。
”駆逐艦ウィントフックへ。わたしは、このヴァンダーファルケは敵ではありません。お願いです。わたしの話を聞いて”
ハッとしたのはイクリプスの艦橋で、その雑音に混じった通信を傍受したホン通信長だ。
”わたしはハル。ハル=シークェルです”
咄嗟に振り返るとエヴァンズと目が合った。艦橋の外には幾筋ものプロトンビームの群れが焼きつかした宙に、一点の赤色が浮かんでいるのが見える。
”友人のカスミ=アンダーウッドも乗っています。あと負傷したパイロットも……。私の父、リアム=シークェルを知りませんか?”
慌ただしい格納デッキでは、着艦した二機のF-15Agをケイジに収納する作業が行われている。誰かに呼ばれた気がして、咄嗟に振り向き宙を見上げたのは、それを指揮していたエーター=アンダーウッド軍曹だ。
“え? カスミ……!?”
”エーターおじさん。ノルデン艦長。お父さん! 誰か……誰でもいい。この通信を聞いていませんか?”
――この少女が何を願い。どこに旅立つのか……今はまだ誰も知らない。
音声通信に聞き入るホワード。
「オリヴェル=ラウリーンの娘」
暗闇のコックピット。
そこに両眼をゆるくつぶり、深くシートに寛ぐ一人の男がいる。コックピットハッチが開かれる。シュトゥリングルスの整備デッキから細い逆光が差し込む。
そこにはパイロットスーツに身を包む女性のシルエットが――。
”――少佐……。お帰りなさい”
女の声が男のヘッドセットに届く。
”やぁ、ディアナ大きくなったな”
片目を開けて、オリヴェルと名乗った男がそう答えた。
――宇宙世紀0121年8月31日 この日、新しい時代の幕が開けた。
――彼ら新時代の主人公達がどの様な運命を歩むのか、今はまだ誰も知らない……
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