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“脱出しろだと? 大尉、君は今そう言ったのか?”
衛生兵が行きかい、ホワードのように視力を失った衛兵が担架に乗せられて次々に運び出される。担架ではなくゴム製の黒色のボディバッグに回収されようとしているのは、ノルデンと女の遺体だ。
“そうです、少佐。お気持ちは分かりますが、今ここで戦ってもあまり意味がありません”
ホワードが、残存した第2艦隊の巡洋艦「マルセイユ」と音声通信でコンタクトをとっている。
“味方が前線で苦戦しているのを無視してか? 君も臨時代理とはいえ統合宇宙軍の艦長であろうに”
情けない将官がいたものだと、巡洋艦マルセイユの艦長は呆れかえった。
“苦戦などしていません。今しがた終わりましたから”
No.5コロニー宙域での戦闘は急速に収束した。
停泊していた第2艦隊の主力がセレシオン小隊の奇襲を受けて壊滅した今、24基のコロニーからなるL3コロニー群防衛網はその機能を失い、丸裸も同然であった。
嘘偽り、誤魔化し様のない「現実」はそうなのだが・・・・・・。ありのままを冷静に分析し、それを口に出してしまうホワードのこの態度が、巡洋艦の艦長の逆鱗に触れてしまった。
“ではっ!! なおさらではないかっ! これは敵討ちだっ!
敵は艦船を持っていない。小隊規模のセレシオンでの奇襲攻撃だ。我々だけで事足りるっ!
その後で、貴様はこの宙域をおめおめと脱出したまえ! 腰抜けめっ! 「稲妻」も地に堕ちたな!!”
激昂するマルセイユ艦長の「売り言葉」に、一瞬カチンと来る。だが、出かかる「買い言葉」はグッとこらえた。ここは我慢だ。今は喧嘩をしても仕方がない。
“敵もバカじゃありません。帰るべき攻撃艦も無しでこんなところまで着たりはしませんよ。戦闘宙域の恐らく、デブリ海のどこかに潜伏してこっちの様子を窺ってます”
“こちらでは、その様な艦船を確認できない。敵第5艦隊主力が戦闘宙域に到達する前に防衛網を確保して、増援の第4艦隊の到着を待つ。
君はその実験艦で穴に引き籠り見ていたまえ。以上、交信を終了する”
「格好ばかりつけやがって。統合軍はバカばかりだ!!」
“艦長代理”
遺体の回収を部下に任せ、衛生隊班長がホワードに声をかけた。
“艦内の負傷者を中央臨時医療ブロックに移動中です。エアーがないのでここでは治療できません。艦長代理もどうぞこちらへ”
“負傷者は連れていけ。俺は大丈夫だ”
“・・・・・・分かりました。では、これを受け取って下さい。今は大丈夫かもしれませんが、しばらくすると被曝した眼球に激痛がはしることがあります”
状況を察した衛生隊班長が、襷掛けしていた医療バッグを差し出し、目の見えないホワードにバッグのベルトを無理やり握らせる。
“中に注射器が、鎮痛剤です。もし痛み出したらスーツ前腕の注入口から手首の動脈に直接注入してください。少々眠気を伴いますが、それでしばらく痛みが消えます”
“ありがとう。気にするな。他の負傷者を、はやく”
ポンとスーツの胸を叩き衛生班長を送り出す。
“臨時艦長代理。ブリッジ、エヴァンズです。どうしますか?”
音声通信を艦橋で聞いていたエヴァンズが、心配そうな声をヘッドセットに寄こす。
“艦長でいい。すぐに発進する。ちょうどいい――”
バッグのリッドを手探りで開け一本注射器を取り出し、
“――バカ共が、敵の気を引いている間に脱出する”
スーツの注入口に押し当てながらホワードが指示を出す。
“エヴェンズ、了解”
親指でピストンを押し込む。冷たい薬品が手首から全身に広がるのが分かる。
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