脱出(2)

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「すまない!!! ターミナルビルの避難民は我々で最後だ!!! 今から一人ずつ、そちらに乗り移る!! マニュピレーターを近づけてくれっ!!!」  爆音を轟かせる熱核融合エンジンの音と、猛烈に吹きすさぶ風の音で、青年の声がかき消される。 “これ? あ……これか? あっ! やっとつながった!!”   ヘッドセットから、少女の声が聞こえる。 “もしもし? きこえますか?”  青年はヘルメットのバイザーを閉じて、 “聞こえるっ!!! ターミナルビルの避難民は、我々で最後だっ!!!”  通信装置を介していることをすっかり忘れた青年は、思わず大声で怒声のような声を張り上げてしてしまった。   “わっ!? ごめんなさいっ!!”  耳を劈くヘッドセットの急な怒鳴り声に、驚いた様子の少女(パイロット)が咄嗟に謝る。 “え? あ、いや。違うんだ。その‥‥‥すまん。ちょっと興奮しすぎてしまった……”  青年は、少女相手になんとも跋が悪くなり、ヘルメット越しに頭を掻いて反省する。 “よかった‥‥‥。今から上空のメンテナンス口を使い、エントランスブロックまで行きます。マニュピレーターを近づけるから、一人ずつ乗り移ってください”  女の子が、屈託のない笑みを、こちらに向ける。バイザー越しに何となく見あげたその笑みに、まだ20代と思しき青年の目は一瞬で釘付けになる。  あ……天使だ――。  心臓が沸き上がる程の高揚感。マグナムで心を撃ちぬかれたような、青天の霹靂。天と地がひっくり返ったような爆縮が、青年のハートを限界まで膨らませると、やがてそれは決壊して溢れかえった。  青年の頭は真っ白になり、呆然とその少女の横顔を目で追い続ける。  何故か真っ白な頭の中によみがえったのは、宇宙史の初期に燦然と語られる偉人のエピソードだ。  かつて熱核融合炉エンジンの開発に人類で初めて成功した、かの偉大なイギリス人科学者。アメリア=ベイリーは、賛辞を贈る研究者たちを前にしてこう言った。 「今日。人類は、宇宙を手に入れた」  そうだ、今がきっとそうに違いない。 「この瞬間! 僕は!! 宇宙を手に入れたんだっ!!!」  少女のその笑みが、永遠とも思えるほどの時間、青年の心の中にループする。腕を延ばせば、あの屈託のない笑顔(宇宙)にもきっと手が届く!!  “あの‥‥‥? 大丈夫ですか? どこか気分が悪かったり?”   あたかも、『腕を高らかに掲げ、異様なまなざしをこちらに向け、止まってしまった男を心配して声をかけた』まるでそんな頓珍漢なヘッドセットの声で(頓珍漢に見えたのはむしろ青年の方だが)、青年の時間が再び流れ始めた。  気づくと巨大なマニュピレーターが、ゆっくりとエレベーターシャフトに近づいてくる。 “え? あ、うん。――いや違う! 気分なんて悪くないっ!!! よぉしっ!! 一人ずつ今から乗り移れっ! おぅっ! 乗り移ってやるぞ!!! 乗り移るぞっ! おいっ貴様らっ!! 聞け馬鹿どもっ!”  急に動き出すと、おかしなテンションで不自然な台詞を吐き、踵を直角に返すと通常の3倍の速度で動き出した。他の避難民に必要以上に大きな声で、一人ずつマニュピレーターに乗り移るよう強引に指示を出して回る。指示を受けた避難民たちは、 「急にどうしちまったんで? ダンナ?  イテテ! なにするんで、引っ張らないでくだせぇよ。旦那」  その訳の分からない青年の突然の「奇行」に皆がたじろいだ。  その様子をコックピットからジッと見ていたハルは 「大きな……声の人だ」  と小さく呟いた。 「え? ハル? なんか言った?」  意識のないパイロットの様子を見ていたカスミが、ハルの独り言に反応する。  「ううん。何でもないよ」   ――やたらと声がでかいその青年の名は、ヨーゼフ=ヴェルトミュラー。  何をかくそう後に、地球圏国家連合とコロニー国家連合の共存のために奔走し、ついにそれを成し遂げる宇宙世紀史上、最も偉大な人物の一人になるのだが……今はまだその手腕を買われ、地球連合国家側に所属する一介の外交官僚に過ぎない。  この青年が歴史の表舞台に立ち、それまでの古い体制を覆えす偉業を達成するのは、まだすこし後の話になる。
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