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 頼まれた方はどうしようもない。殊に延生は、真面目な、人間が堅いですから、無理な約束でも反故に出来ない。翌朝、早速出掛ける。晒し首の前を通り抜け、橋を渡り、黒屋の家に着くってぇと、大店らしい立派な構え。繁盛している店先から、店の(もん)に声を掛ける。 「あの!御免下さい!延生ですが、長太郎殿に頼まれて参りました」 「あっ、御隠居が仰言(おっしゃ)っていたお坊さんで御座いますか」 「如何にも。九兵衛殿に面会に参りました」 「これはこれは、御足労、有難う存じます。どうぞ、御遠慮なく中へ」  店の者に案内(あない)され、奥の客間へ通される。上座に敷かれた座布団に腰を落ち着けると、目の前の畳に手紙が置いてある。宛名には延生とある。これを手に取り、広げて読むと、長太郎の筆で、此の様な場では父兄も同席するのが本来の礼儀であるけれども、今から友になろうとする若者同士の席に父兄がいたのでは、余計な気遣いも増えるであろうし、無礼を詫び、本日は失礼する、(なお)本日の貴殿来訪の訳は久兵衛に伏せてあるので、宜しく頼む、と、こう書いてある。  其れを読み終わるか否かの際、ヌッと、客間に一人の男が顔を出す。痩せぎすの、背の高い、目元の柔らかい、人好きのする顔形、これが久兵衛であった。  久兵衛は、下座に腰を下ろし、延生と差し向いになるなり、額を畳に擦り付けまして、 「申し訳ありません、和尚様。大方、親爺が無理を通して、足を運んで頂いたのでしょう。まったく、俺の為にと、人様に迷惑を掛ける程の事じゃなし、兄貴も兄貴だ、親爺の勝手を止めるでもなく、反対に手助けして、俺には一言(いちごん)もなく物事を進める。そんな暇があるなら、少しはおっ母さんの世話を手伝えというんだ。いや、和尚様、うちの面倒に巻き込んでしまって、本当に申し訳ない」 「顔をお上げなさい。自分の親をそう悪く言うものではない。這えば立て、立てば歩めの親心、お前さんもいい歳なのだから、親爺殿も自分の足で立って貰いたいのだ。いや、今日は説教に参ったのではない。何もかも見抜かれている様だから、此の際、正直に申すが、実は私はお前の友になってくれと、お前の親爺殿に頼まれた。そういう次第で今日は参ったのだ」 「えぇ、えぇ、大方そうで御座いましょう。本当に余計な世話を焼く親爺で、お恥ずかしい。友になるってのは、人と人との合う合わないで、頼む頼まないの問題じゃないってのに、まったく、和尚様に無理を押し付けて」  そう言って顔を上げた久兵衛は悔しそうなしかめっ面、延生の方はというと坊さんらしい仏頂面、此の二人が顔を見合わせると、どちらかともなく吹き出した。其れが良い潮目となりまして、二人の間に気安いものが流れる。こうなると、若い者同士ですから、打ち解けるのも早い。延生という坊主は、生来が純粋な、善くも悪くも正直一辺倒な男ですから、親しくなってしまうと言葉も直接になります。 「時に久兵衛、お前はドラ息子だと評判だが、真か?」 「ドラ息子ですか。えぇ、親爺や兄貴にとっちゃあ、生粋でしょうな。いや、世間様が見ても、間違いなくドラ息子でしょう」 「うむ。正直なのは善い事だ。して、其処迄己で判っていながら、何故奉公に出ないのだ?稼業を手伝ったりもしていないのだろう?」 「奉公に出たくとも出られない事情があるんです」 「事情?其の事情とは何だ」 「おっ母さんです。おっ母さんがズット病気なんですがね、家の者は皆、忙しい、御覧の通りの大店ですから、女中もいつだって飯炊きに追われて座る暇もないんですから、病人の世話を焼く者がいない。だから俺が看るんですが、そうすると、俺が奉公に出ちまうと、おっ母さんを看る者がいなくなっちまう」 「故に家を出られないと、そう申すのか」 「其の通りです。いや、其の先を申さずとも、和尚様の仰言りたい事は察せます。ならば何故稼業を手伝わないのかと、こう仰言りたいのでしょう。しかし、これにも委細が御座います。実は……お恥ずかしいが……俺は手透きの際には書き物をしてるんで」
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