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 さて、中一日空けまして、二日後の朝で御座います。延生が日課の修行で経を上げておりますと、御堂に入って来る者がある。これが久兵衛でして、早速延生を訪ねに来た。 「延生和尚、お早う御座います」 「これは久兵衛、朝から参拝か?」 「いえ、やぁ、其れもあるんですがね、折角の御参詣なんで、延生さんの御顔を見なくちゃあ、功徳も積めませんでしょう。母からも、『ああいう和尚様は大変に立派で、お近付きになったんなら、決して粗末なお付き合いをしちゃいけない。観音様から頂いた御縁だから、()ぐにでも御礼に参って、そん時は必ず和尚様を訪ねなきゃいけないよ』って言い付けられたもんでして」 「ほお、御母堂が斯様な事を……いや、拙僧は半人前、修行中の身であれば、態々参ってくれずとも……」 「いえいえ、そんな、御謙遜を申されちゃあ、こっちの立場がありませんや。俺と和尚様は、有り難くも友と友、顔を合わすのに大層な用事も()らないでしょう」 「そういうものか?」 「そういうもんです。(ついで)に付け加えますとね、修行中ってのは俺も同じですよ。俺も修行中の身ですから、そうそう、其れで今日参ったんで。一緒に修行しようかと」 「殊勝な心掛け、久兵衛も経を上げに参ったか。どれ、ならば拙僧が読み方を教えて進ぜよう」 「あ、いやいや、そうじゃないんで。修行は修行なんですが、御寺の外での修行なんで」 「外の?」 「へぇ」 「其れは又古風な修行だ」 「古風だなんて飛んでもない。一昨日(おとつい)話したじゃありませんか。眺める写経ですよ」 「眺める写経……あぁ、あぁ、思い出した。カブキだな」 「え、まぁ、そんな呼び方もありますがね。俺も半人前ですから、歌舞伎だなんて、おいそれと外で口に出せませんや。外聞が悪いもんで、誰かに聞かれちゃあ事ですから。和尚ではなく小僧、鰤ではなく稚鰤(わらさ)が精々関の山でさぁ」 「これは失敬した。そうか、カブキにも複雑な作法があるのだな」 「いやいや、謝らないで下さい。教えなかった俺が悪いんで……そういう訳ですから、外へ修行に行きましょう。付き合ってくれる約束でしたが」 「うむ。約束した。約束は違えてはならんな。少々待っておれ。住職に断りを入れてくるでな」 「へぇ、お願いします……くれぐれも歌舞伎を見に行くって言っちゃいけませんよ!半人前ですからね!修行するって断って下さいね!」 「承知致した!」  なんて、戯言で騙される方もどうかしておりますが、騙されちまったのだから仕方がない。延生から「修行を見に行く」と聞かされた住職は、腕組み首を傾げたが、例の黒屋の次男坊からの誘いというから、まぁ、自分が仲介人ですから、住職も無下に出来ない。不審ではあるが、延生を出してやります。 「あー、本当に出て来たよ。我ながら適当を言って、巧くやったね」  と、久兵衛は胸の内で手を叩きながら、其れでも体裁は修行ですから、殊勝な態度、こう、神妙な、修行僧の面持ちですな、二人揃って近所の芝居小屋に、まるで座禅に来た様な顔でやって来る。驚いたのは券売りですな。こんな険しい顔で芝居を見る客がいるものかねと(いぶか)しがる。  久兵衛は、母から貰った金を使って券売りから券を買い、小屋に入る。次に驚いたのは延生の方。皆さんも御経験が御座いましょうが、初めてというのは、まぁ、何でもむやみに感動するもんです。其れに、大きな劇場に入りますと、場の空気と申しましょうか、圧倒されるもんです。延生も同じ、初めて入る芝居小屋の賑やかさ、正面舞台の広さ、天井の高さ、二階席、三階席迄、人、人、人、目に入り切らない人の数。始まる前から仰天している。  さぁ、幕が上がっちまったら、大変で。掛かった演目は「忠臣蔵」、侍の御忠義のお話ですから、坊主の延生には響かないかと思いきや、思いの(ほか)、歌舞伎は江戸でも人気の娯楽ですから、演出やら大小道具、背景、先ず役者の演技が一方ならず凝っている。其れに、初めてという感銘も重なりまして、延生はスッカリはまっちまう。しかも本人はこれが修行と思い込んでいるから、まったく有頂天になる。 「どうでした?延生さん。なかなか見事な修行でしょう?」 「うーむ。いや、見事であった。世俗にも見るべきものがある。お前の言っていた事は確かであった。物騒であったが、命懸けで恩義を果たす四十七士の姿は、帝釈天の兎に似通うものがあった」 「兎でも狸でも、どっちでもいいですがね、そうでしょう。帝釈天様も御慶(およろこ)びですよ。そういう修行ですからね」 「眺めるだけで修行になるとは……便利な世の中になったものだ」 「へぇ、そうでしょう。次は梵天様の修行を眺めると致しましょう」 「ならば次は鵞鳥(がちょう)だな」  なんて、おかしな話ですな。鵞鳥が主役の歌舞伎なんて、私は聞いた事がありません。  しかし、一度はまると泥沼でして、そう簡単にゃ抜けられない。一度見た舞台が忘れられず、延生は本業の修行に身が入らず、ついソワソワする。と、そんな延生の願望を察したか、又二日と空けず久兵衛が寺に来る。又芝居小屋へ行く。今度は二人共ワクワクしておりますから、満面の笑顔。却って券売りが不気味がります。  二度目となると、少し慣れますから、初回程の感動はありませんが、演目は違いますから、 「又得るものがあった」 「然様でしょう」  なんて繰り返す。変な話ですが、仏教は一切経七千余巻と申しまして、経典が七千巻以上あるといって、兎に角数が多い。酷い奴がいたもんで、久兵衛は其れを引き合いに出しまして、今日の眺める写経はこっち、明日の写経はあっちといった具合で、方々に延生を連れ回す。  歌舞伎だけで七千も演目はありませんから、或る日は講談へ連れて行く、見世物小屋へ行く、あれが象か、あれが虎かと愉しむ。又別の日には寄席へ行って落語を聞く。私もね、高座から寄席を見渡しまして、坊主と坊々(ぼんぼん)の二人連れが、其処ですな、其処の席で笑ってるサマを目撃致しましたよ。ねぇ、呑気に笑っておりました。  まぁ、そういった具合で、お堅い延生も大分遊びを覚えまして、久兵衛と出会ってからひと月も経ちますと、随分心安くもなりましたし、久兵衛の方でも、まぁ、充分に仕込んだだろうと勘定致しまして、(つい)に自分が通っている岡場所へ、延生を連れて行く決心を致します。
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