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岡場所と申しますのは、江戸の時分にありました、まぁ、綺麗な御婦人を買い求める場所で御座います。江戸には他に、有名な、そういった場所が御座いまして、これが吉原ですな。しかし此方は遊郭、即ち、えー、幕府に許可された、合法の遊び場。反対に岡場所は非合法。治安の悪い、あくどい店などは手入れなどもよくあったそうですが、まぁ、殆どは黙認されておりました。非合法な分、格式や作法なんかは吉原より大分落ちまして、料金の方も控え目だったそうです。
江戸の岡場所と言えば、品川、板橋、新宿、深川の四宿が有名ですが、久兵衛の馴染みは深川の藪という店でして、其処へ案内するべく、夕刻、久兵衛は延生を連れてブラブラ歩いておりました。
「ところで、これから参る藪という店では、どんな修行をするのだ?」
「どんなと言って、今迄で一番有り難い修行ですよ。昔には、白隠禅師が態々泊まって座禅を組んだなんて逸話があるくらいで」
「ほう。では、悟りを開く店なのだな」
「全く以て其の通りですな。夜が明ける頃には、泊まった男は皆、悟りを開いておりますよ」
「物凄い店だな。悟りを売っている様な店だ」
「巧い事を仰言る。彼処は此の世の極楽でさぁ。気分がポッとする場所ですな」
「いかんなぁ。悟りは学びと厳しい修行を重ねに重ねた上にある。其れらをせずに、ポッとして、悟りが真に開けるのか?」
「偉いね。目の付け処が鋭い。大小の切れ味を足したってこうはいきませんや。頭が下がる思いですな。いや、和尚さんと同じ了見の方が、戦国の世にもおりましてね、大層有名な方で、一休和尚というんですが、御存知でしょう。へぇ、あの方が、俺らと御同様の店を訪ねたそうですよ。いや、あの時は深川や吉原は御座いませんから、室神崎の廓を訪ねたそうです。其処で地獄太夫を買ったそうで」
「地獄太夫?地獄とは、穏やかでないな」
「えぇ、物騒ですがね、しかしこれには訳があるんでさぁ。前世の修行不足を自ら戒め、今生の不幸を甘んじて受けようという覚悟で自分にそういう名前を付けた、実に感心な女でして、器量良し、頭も良い。一休和尚と歌い合わせるくらい風流な女でしてね、『聞きしより、見て恐ろしき地獄かな』と一休和尚が歌えば、太夫は『しにくる人のおちざるはなし』と返す。いやぁ、実に粋ですなぁ」
「そうか……一休和尚の歌を返した……『しにくる人のおちざるはなし』……怖ろしい歌だが、怖ろしいが故に真実でもある。乱れた世にあっては、地獄に落ちる者は大勢いたであろうからな」
「へぇ、全く。俺も乱れて、地獄太夫に堕ちてみたいもんですよ」
「なに?」
「あぁ、いえいえ、何でもありません。さぁさ、着きましたよ……おう!若い衆!」
「へい。あ、こりゃ、久兵衛の旦那。どうもどうも。今夜もお上がりで?」
「此処迄来て引き下がりゃしないさね。お登美はいるかい?」
「へへへ、其りゃもう、首を長くして旦那をお待ちで。待ち過ぎて、そろそろ首だけになっちまう頃合いですよ……しかし旦那、変わったお連れさんですな」
「和尚はいけないか?」
「まさか、いけないって事は御座いやせん。上がって頂けるなら、手前共はどちら様でも歓迎ですよ……へへへ……あたしらみたいな者の生き胆を抜こうってんじゃなけりゃ、徳の高い方でも、是非……おーい!久兵衛の旦那がお上がりだよ!」
店の暖簾を潜って、トントントンと梯子を上がる久兵衛の後を、延生も追い掛けます。こん時、梯子で大男とすれ違う。延生は危うく転げ落ちそうになりまして、振り返ってみるってぇと、薬の一字を記した大箱を背負っている。はて、薬屋も悟りを開きに来たのかと、首を捻りますが、久兵衛はもう二階に上がっておりますので、延生も続いて座敷に入ります。
暫く待っているってぇと、襖が楚々と開きまして、遊女が一人入って来ます。これには堅物の延生も目を丸くしまして、頭はもう丸いんですがね、何しろ入って来たのは絶世の美女、茨模様の打掛け、彼岸花を縫い付けた着物に、鱗文の帯を締め、齢は二十前後、色の白い、目元の大変涼やかな、口の造りの小さい、まるで人形の様な女でして、江戸より、京は島原辺りで売れそうな、公家風の美人。流行りの型とは異なりますけれども、こういった古風な、雅とでも申しましょうか、そういった方が、坊々の久兵衛の好みなんでしょうな。此の遊女がお登美と申しまして、上品に久兵衛の隣に座りまして、こう、一寸、相手の袖なんかを引っ張ったりして、
「昨夜振りですね、久さん。嬉しいわ。此の頃は真面目に通ってくれるから、私は安心ですよ。姿が一日見えないだけで、逃げられた、余所に女を作ったんだって、心配するんですから。私は嫉妬深いんですよ」
「お前の心配性は重々承知だ。其れに俺の勤勉はよく知っているだろう。今夜も修行に参ったのだ」
「修行に?此処へ?はて……あら、其れに、今日は珍しいお連れさんもいらっしゃって……」
「俺の友人だ。延生和尚という。若いが立派な御坊さんだ。これ迄も沢山修行に付き合って頂いた。歌舞伎、講談、見世物、寄席へも一緒に行った……何を言う、遊びでやっているんじゃない。修行だ。全部修行だ。延生和尚も一緒やっておられる。驚くくらい熱心に励んでいらっしゃるんだ」
「まぁ……そうですか……成程、熱心に……じゃあ、今夜も此処に修行で……其れは、もう、立派な御覚悟で御座います。今夜も、どうぞ、宜しくお願い致します」
「うむ。して、此処は如何な修行をする場であろうか?私も不勉強なのだが、久兵衛曰く、白隠禅師は座禅を組んだらしいが、此処は僧堂か?」
「いいえ、御坊様、どちらかと言えば方丈です」
「方丈?では、一休和尚の様に議論する場か?」
「えぇ、まぁ、そうですね。主に寝床の上で」
「寝床の上?変わった修行だな」
「一度してみれば直ぐ飲み込んで頂けますよ。夜は長いですから。きっと御坊様にも気に入って頂けます。でも、此の修行は必ずお相手が必要で。いえね、私は久兵衛さんのお相手ですから、誰か別に……おーい、年ちゃん!年ちゃんはいないかえ。一寸こっちの座敷に来とくれ。他は打っちゃっていいから」
「はーい、姉さん、唯今」
という声と共に、新しい遊女が入って来ます。お年という、こっちは気風の良い江戸美人。これで役者が揃ったってんで、早速宴会が始まります。
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