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 御馳走が運ばれる、芸者が呼ばれる、三味線が陽気にチントンテンと鳴る。延生はこれを不思議に眺めておりました。 「おい、久兵衛、これは修行か?」 「え?あぁ、えぇ、勿論ですとも。何処を見回しても立派な修行じゃありませんか」 「うーむ……これは刺身に見えるが、修行の最中(さなか)に刺身を喰うとは、飛んでもないではないか」 「最中でなくて魚だがね……いやいや、まさか、違いますよ。こりゃ、お供え(もん)です。仏様だって、偶には刺身を御所望なんでしょう」 「お供え?しかし、お前はそうやって喰っているではないか」 「いやだね、細かい事に噛み付いて……いやいや、延生さん、これが此の修行の神髄なんです。仏様は刺身を喰いたい。けど、仏様は生食が御法度。だから私が代わりに喰うんでさぁ。仏様の辛い気持ちを汲んで食べる私の心も辛い。お判りですかね?まったく、本当に、身を切る思いで、こうやって……食べるんです」 「真に奇妙な修行だ。では、あの三味線はどういう訳だ?」 「あー、あれは、御慰めですよ。辛い仏様の御気持ちが沈んじゃいけないってんで、鳴らしてるんでさぁ。まぁ、木魚みたいな物ですよ。お経を読む時の、ポクポク、あれだね、節を付けてるんでさぁ」 「ふむ、木魚とな。私には猫にしか見えなんだが」  なんて和尚が言ったかどうか、兎も角、食事は進み、遊びも募りますと、夜も更けてくる。さぁ、そろそろ、という事で、寝入りの時間、芸者も帰り、久兵衛とお登美は別の部屋に移って、延生もお年に寝床へ引っ張られる。  一つ家に、遊女も寝たり、萩と月、なんて句もありますが、坊主と遊女だけのヘンテコな閨になる。何しろ坊主がてんで無知なもんですから、お年が、こう、色っぽい目を使っても、一向気付かない。延生の頭ん中では、「これはどんな修行なんだ」と、こればっかり。修行馬鹿ですな。  物事がなかなか進まず、お年の方が痺れを切らす。こうなると、御婦人の方が大胆ですな。お年が着ている物を脱ぎ始める。いや、女の脱衣なぞ、今迄で一度も見た事のない延生の驚き様ときたら、まるで妖怪や化物と出くわした様なもの、お年が羽織を取り、帯留めを外し、帯を(ほど)いて着物を脱ぐ。女の足元の畳には、脱いだ物が散らばって、色取り取り、普通の殿方には極楽の様な景色を描いておりましたが、坊主の延生には其れが地獄絵にでも見えたのでしょうな、最後にお年が緋色の長襦袢になっちまうと、まるで血(まみ)れの人間を見た様に、ギャッと悲鳴を上げちまう。堪ったもんじゃないのは遊女の方、自分の裸を見て悲鳴を上げられちまったもんだから、スッカリ御冠、拗ねちまいまして、一人で布団に入る。  こういうのも初心と申しますかね、延生は女が寝ちまった布団が怖ろしくて怖ろしくて、とても近付けない。暗い部屋の隅で怯え切って、 「観自在菩薩……行深般若波羅蜜多時……」  と、般若心経を読み始めちまいました。「耳なし芳一」という有名な怪談が御座いますが、あれも一晩を般若心経と共にし、亡霊の目に自分が映らないよう工夫しましたが、あっちは身体に経典を写しただけ、こっちは一晩読み続けている。元気ですな。困るのは遊女ですな。ズットお経を上げられてちゃあ、寝られやしない。夜が明けると、一睡も出来なかった坊主も遊女もクタクタに疲れ果てまして、まぁ、事情を知らぬ人が見たら、こりゃしっかりお勤めだね、へへっ、あの坊主、きっと悟りを開いてらぁ、と、こう決め付けるでしょうな。  朝飯の席で、延生の隈の濃い顔を見るなり、久兵衛も同じ勘違いをしまして、ニタニタ顔になる。お登美に見送られ、帰り道、気落ちしている延生に、久兵衛は野次馬で、昨夜の色事を聞き出そうとしますが、延生は恨み節で、 「怖ろしい目に遭った。あれは何だ。いきなり女が着物を、き、着物を……あんな事なら、私は決して附いて行かなかった」  と文句を吐く。これを聞いた久兵衛は舌打ち一つ、 「チッ、つまらねぇ奴だ。勿体ねぇ。折角女を買ってやったのに、指一本触れずに、え?部屋の隅でガタガタ震えてた?誰の金だと思ってんだろうね。俺のおっ母さんの金だよ。あーあ、勿体ない。まぁいいや。おい、延生和尚さんよ、あんたは女と床入りしなかった。床入りはしなかったが、座敷には上がった。確かに上がったんだ。女の裸も見たな。いいや、確かに見た。これがな、うん、住職に知れたら事だよ。え?あんた。俺が連れて行ったって?其の通りだよ。けどな、ノコノコ附いて来たのはあんただ。騙したのは俺だが、騙されて岡場所に行ったのはあんただ。え?判ったかい?俺は黙ってるよ。住職に言いやしないよ。安心しな。うむ。言わないよ。けどね、和尚さん、言わない代わりに、あんたにやって貰いたい事があるよ。いいかい?なに、難しい話じゃない。今迄通り、俺とは友として付き合って貰いてぇんだ。いいかい?頼むよ。今迄通りだ。勿論、住職や俺の身内にも、今迄通り、俺達は修行していると、こう言うんだ。え?其れが出来りゃ、俺達は末永く仲良しでいられるんだから」
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