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 さぁ、大変な事を仕出かした、どう始末を付けようか、なんて、今更慌てたって後の祭り、脅された延生は言う通りにする他ない。住職に告げ口でもされたら破門は免れないってんで、嫌々ながら久兵衛のお供に再び深川へ行く。九兵衛の方でも、本音を打ち明けた後ですから、もう何に遠慮するでもない、(たが)が外れたといった具合でして、お登美の許へ日参する。付き合わされる延生が不憫ですな。初めの頃は、困った困ったと、嘆いてばかりいたもんですが、其の内に、色の沼に足を取られっちまう。こりゃあ、遊女の手練手管で、どんな堅物でも、男なら、こう、ふやふやと、あの手此の手で柔らかくしちまうってんで、私も若い時分には覚えがあるような、ないような、其れは、まぁ、どっちでも宜しい。兎も角、延生も岡場所通いが身に沁みて、段々と深川へ行くのが愉しみになってくる。  遊ぶ時の支払いは、大概が久兵衛の懐……本当を言えば、久兵衛のお袋さんの金ですが、他人の御銭(おあし)で遊んでばかりじゃあ、男の名折れと、見栄を張って偶には延生が支払いをする。これの出所は寺の御布施を失敬したもんで、朱に交われば何とやら、延生もスッカリ悪友の性根に染められちまいました。  そう迄して遊ぶってのは、特にお登美の美貌を拝むが目的、骨抜きですな、久兵衛とお登美が仲睦まじくしているところなんかを、こう、羨んで眺めております。 「おい!おい!延生。延生もそう思わんか?」 「何がだ」 「何が?じゃねぇや。話を聞いていなかったのかい。春画だよ、春画。お登美の春画を見たいって話じゃねぇか」 「お登美の春画か。うむ。其れは眼福であろうな」 「へへっ、眼福だってよ。坊主が言うなら本当だね……ほら、偉い和尚さんも、ああ言っていらっしゃるんだ。どうだい?減るもんじゃなし、お前、いっぺん春画に出てみたら」 「困った御方。出てみちゃどうだいって、地本問屋も商売で売ってるんですから、私みたいな女の絵なんか置いてくれないでしょう」 「馬鹿言っちゃいけないよ。買う奴なんかごまんといる。現に今、俺がお前を買ってるじゃないか」 「とんだ頓智(とんち)ですね。そんなに言うなら、春画程度、構いませんが、あれは嘘が多い絵ですから、其の点だけはよく飲み込んで頂かないと」 「嘘?どんな嘘が描かれてるんだ?……判った。遊女が美人に描かれ過ぎているとかだろう。心配するねぇ。お前は充分美人だよ」 「いいえ、嘘が描かれているのは、殿方の方。殿方に嘘が描かれてるんです」 「男の方にどんな嘘があるってんだ」 「えぇ。春画の殿方は大きく描かれ過ぎておりますね。手本になる時緊張するのか、殿方はもっと小さくなっておりますから」  こんな下世話なやり取りも、男女の機微と申しましょうか、昔の延生なら、大きいの小さいのと、意味も汲めないところを、今は「けしからん」と叱りもせず、焼餅を焼く始末。  又、別の日の事。いつもの様に延生が深川へ行き、知り合いに見咎められていないか注意しながら暖簾を潜る。近頃は手慣れたもんで、岡場所へ連れ立って行くなんて目立つ事は避けまして、久兵衛とは座敷で落ち合う、という、遊び人の手筈が常となっておりました。  其の夜も、梯子をトン、トーンっと、軽い足取りで上がり、座敷の前に来るるってぇと、妙なんですな。普段はもうドンチャン騒ぎになっていてもおかしくないのに、やけに静かなんです。奇妙に思った延生が、襖をそっと開けて覗いてみると、座敷の片隅、ぼんやり蝋燭が灯る床の間の手前で、お登美が久兵衛を、こう、膝枕している。耳かきしているんですな。  延生はこれもそっと襖を開けまして、そっと座敷に入り、二人とは離れた所で胡坐をかく。宵の口ですから、外の御座敷の騒ぎ声が遠くに聞こえる、酔った客の「かんかんのう」も、何ですかな、酔っ払いの節乱れがオツに響いて、侘しさが一層身に沁みる。お登美の丸い腿に頭を乗っけた久兵衛の、心地良さ気に目を瞑っている様子を眺めておりますと、耳の中で棒の先が、カサ、カサと動く音も聞こえてくる様で御座いました。  どれ程待ちましたか、やっと久兵衛が頭を上げると、暗がりにポツンと座禅を組む坊主の姿が目に入る。 「驚かすない。なんだ、来てたんなら声くらい掛けろ」 「いや……うむ……」 「まぁまぁ、こんなに静かじゃ、延生さんだって声を出し難いですよ。いつもは口達者な久さんが、こん時だけは無口なんですから」  なんて、お熱いところをあてられちゃあ、延生の方では悔しいやら、恋しいやら、ふと気が緩んだ折には、頭ん中で自分と久兵衛の立場を入れ替えまして、自分がお登美に甲斐甲斐しく世話して貰う姿なんぞ考える。  そんな風ですから、昼間にやっている、本来の修行の方に身が入らない。瞑想してもぼんやりする。悪くすると、うたた寝なんぞをする。坊主の仲間内でも良くない噂が立つ。 「延生は近頃、人が変わった様だな」 「うむ。前ならば、経を読み間違えるなどせぬ奴だったが」  此の噂が、間を置かず住職の耳にも入りまして、呼び出しとあいなり、延生はあれこれと詮議を受けますが、悪友の口達者が伝染(うつ)っておりますから、一筋縄ではいかない。 「拙僧は久兵衛に大変苦労させられておりまして、あの男をどうやって改心させるか、これ毎日頭を痛めているので御座います。寺の修行に身が入らないあ、誠に申し訳がないですが、久兵衛を堕落の底から救い上げるのもこれ仏の道、今暫く御目(こぼ)し願いたい」  と、こんな事をしかめつらしく言われては、住職も返事に困る。何分、自分が紹介した頼みで御座いますから、きつくも叱れず、 「今暫くだぞ」  と、引き下がる他ありません。  まんまと住職を出し抜いた延生は、懲りずに又深川へ行き、又ぼんやりが増える。悪循環ですな。此のぼんやりで、誰より迷惑したのが、延生に付いた遊女、お登美の妹分であるお年で御座います。何しろ、自分の客を姉貴分に盗られている様な面目ですから、これは全く面白くない。 「ちょいと、ちょいと!お前さん、聞いてるのかい?ちょいと、お前さん……お前さん!」 「ん?あぁ……何だ、どうした?」 「どうしたもへったくれもないよ。まったく、困ったお人だねェ。えェ?又ぼんやりして、あたしをほったらかしてさァ。嫌んなるよ、本当に。困るじゃないか、そんなぼんやりじゃあさ。大方、お登美姉さんの事でも考えてたんだろ。憎らし。あたしの目の前で、よくもそんな事が出来るね!」
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