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「ふむ。目元がキラリと。いやいや、判らんでもないぞ。遊女の涙は座敷の花、湿った(まなじり)の、ぽぅっと、赤くなったところなんぞ、得も言われぬ。其れくらいの事、此の商売をしているお前なら百も承知であろう?」 「そうじゃないんだよォ。涙なんかじゃないんだ。何か別の(もん)が光ってるんだ」 「何かとは何だ」 「何かは何かじゃないか。知らないよォ」 「馬鹿馬鹿しい。話にならん。手前の見間違いで絡むものではない」 「見間違いなもんか。あたしが信用出来ないってのかい。はん!ならいいさ。こっちは他のネタも上がってんだ」 「お前もしつっこい女だなァ。未だ何かあるのか」 「好きに言うがいいさ。あたしゃ知らないよ。今度のは、事に()っちゃ、久兵衛さんがどうにかなるかも知れないけどね、あたしにゃ知ったこっちゃないよ」 「おい、おい。お前の脅かしはどうも胡乱でいかん。え?お登美をとやかく言うならば、女同士の事、こういう商売でもあるから、多少の陰口は可愛いものだと聞き流してやるが、久兵衛に迄戯言を及ぼすとあらば、聞き捨てならん。次第に因っては、お前、許さんぞ!」 「アッ、お前さん、堪忍しとくれ。嫌だねェ。怒っちゃ嫌だよ。あたしゃね、久兵衛さんの悪口を言うんじゃないよ。寧ろ、却って心配しているからこそ言うんじゃないか。いやね、もうこうなったら白状しちまうけど、姉さんのお客はね、必ず消えちまうんだ」 「消える?」 「そうさ。とんと姿を(くら)ましちまうんだ。一度晦ましたが最後、二度と姿を見せないんだよ」 「お登美の客は必ず消える、とこう言うのか?」 「そうさ」 「いなくなったら、二度と姿を現さない、と?」 「そうだとも」 「其れは、どうも、穏やかでないな。うーむ……しかし、どうして姿を晦ますんだ?」 「さァ?」 「さァ?ではないだろう。人一人が消えるとあらば、其れ相応の理由というものがあるに決まっておる。其れを教えろというんだ」 「教えろったって、知らないもんをどう教えろってのさ。こう、ふっと、煙みたいに消えちまうんだから」 「話が眉唾になって参ったな。では、これ迄にどれだけ消えたというんだ」 「どうだかね、あたしだって指折り数えてたんじゃないんだからさァ。でも、少なくとも五、六人は消えてるね」 「五、六人……其れが皆、お登美の客だというのか」 「そうさね……あっ、いや、一人、消えてない馴染みがいたね。思い出したよ。薬屋さんなんだがね、見上げる程の図体で、いっつも四尺はある薬箱を背負った人。あの人は消えてないねェ、今でも時々通ってるから」 「其の男なら私も見たが……そうか、あれはお登美の客か……しかし、これでお登美の客が必ず消えるというのは、出鱈目だと、ハッキリしたではないか。坊主に嘘を吐くとは、罰当たりな奴だ」 「罰当たりなもんか。あたしゃ嘘なんか言わないよ」 「ならば、客がどうして消えるのか、きっちり申してみよ」 「だから知らないよォ」 「知らぬ存ぜぬでは通らんぞ。嘘でないとお前が飽く迄申し立てるなら、其の根拠を出せというんだ。足掛け三年、お登美に付きっ切り、誰よりお登美を知り抜いていると、そう豪語したのはお前だ。火のない処に煙は立たず、お登美をよく見ていたというのなら、お登美の客とてよく見ていたが道理、煙の様に消えたというなら、消える前に(しるし)があるもの。どうだ?思い出す事はないか?」 「坊主が岡っ引きの親分の真似をし始めたよ。御白州に引っ立てられちゃあ、適わないね……徴ったってね、そんな気の利いたもんはありませんよ。精々遊ぶ金が尽きた程度のもんさ」 「なに?金が尽きた?」 「そうさ。姉さんのお客は無茶好みばかり、店の者が度々抑えるのも聞きゃしない。不思議なのはね、姉さんが派手好きで、強いてお客に使わせてるってんなら合点がいくけど、そうじゃない、姉さんだってお客を止めてるんだよ。『そんなに出したら、晦日を越えられませんよ』といじらしく言ってるのに、お客の方では聞く耳持たなくてねェ。そんな内に、素寒貧、あっという間に財布が空になっちまって、逆さに振っても何にも出ない。そうかと思うってぇと、ふっと、其のお客が消えちまうんだよォ」 「ははぁ、成程。其れが徴だな。ならば簡単な話。不思議だ心配だと、お前が酷く脅かすから気構えてみたら、理屈は容易、通う金のなくなった男が、店に来なくなったというだけではないか。大方、筋の悪いところで借金でも(こさ)えて、火の車、首が回らず、夜逃げでもして江戸を去ったのであろう。其れだけの事に相違あるまい。うむ。お登美の客どころか、吉原(なか)なら毎夜聞く噂だ。ハハハ、下らん、お前が心配する事ではないわ。脅かしおって、首が又痒くなるわ。ハハハ……」 「そうかねェ……あたしにゃ、其れだけとは思えないんだけどねェ……此の頃の姉さんを見るとゾッとするんだ。お客が消える前は、必ずゾッとするんだよ……おや、下が騒がしいね。こんな夜更けに……あら、まぁ、久兵衛さん。どうしたんだい?血相を変えて」 「え、え、えん……えん……」 「何だね、久兵衛さん。『えん、えん』って。咳がしたいんなら、外でやっとくれよ」 「え、え、えん……延生……延生、大変だ。延生、起きろ、起きろ」 「起きておる。お前の目の前にいるではないか。そんなに慌てて、一体何事だ」 「延生……大変だ、大変なんだよ……家から使いの者が来て……おっ母さんが、俺のおっ母さんが、さっき、死んじまったって、そう言うんだ」
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