彼の毒は密色の雨のように甘い

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*** 「と、いう夢を見たんですが、どう思いますか?」 「・・・それをわざわざ私に聞くのか。」 長く俺の声だけが響いていた空間に、久々に投げ込まれた、それ以外の声。 呆れたように溜息をつきながらも、タイピングの速度は変わることがない李緒先輩は、だけど視線が安定せず宙を彷徨う。 あー、照れてるんだなー。可愛い。 放課後の生徒会室には、副会長の李緒先輩と、会計の俺しかいない。現在パイプ机の片側に、一つ席を空けつつも並ぶように座っている。 俺たち以外のメンバー三人は、全員高三、すなわち受験生なので、秋に入ったこの季節、二人だけで残ることが増えていた。 俺の仕事はもう終わり、あとは先輩が書類を作成して終了。 そんなときに、「樹ーなんか面白い話してー」と甘えた(当社比)感じに言われたので、昨日見た夢の話をしたのだが・・・。 「なんなの・・・?欲求不満なの・・・?え、私が悪いの?」 心なしか、先輩のタイピング音が強くなった気がする。 一心不乱にキーを叩き続ける顔は、横顔を隠す長い髪のせいで見えないが、襟から覗くうなじが赤い。 「せんぱーい、そんな顔されたら更にいじめたくなんるですけどー。」 「そう言ってる時点で既にいじめてるじゃない!この腹黒!」 悲鳴じみた声で返された。 というか、今結構やばい。何を言われても、どんな行動をされても、反応してしまう。 ありていに言えば、彼女に欲情してる。 夢から覚めた瞬間も、それなりに悲惨だったが、今話していてまた鮮明に思い出されてしまい。 つまりは先輩をちょっと揶揄うつもりが、見事に墓穴を掘ったのだった。 先輩と恋人になったのが、約二カ月前の七月上旬。 始まりは入学式で見た副会長の彼女に、俺が一目惚れしたことだった。 そこから、転校のせいで生徒が一人足りなかった生徒会に入り、先輩に猛アタックして・・・。 更に紆余曲折あったが、なんとか付き合えた。 と、そこまでは良かったのだが。 何ぶん先輩が大切過ぎて、一向に手が出せない。 昔から顔に寄って集る女は山ほどいた所為で、「高一にして経験豊富」というかなり爛れた俺だが、今までとは違いすぎて戸惑いしかなかった。 だって、初恋なんだ。 「初恋は叶わない」とかよく言いますが、叶ってしまった場合どうすれば良いんですか神様。 そんなこんなで、キスこそだいぶ深くまで交わしているが、それ以上には進めないのだった。 「ねぇ、樹。」 名前を呼ばれて、上の空だった思考が引き戻される。 先輩に目線を向けると、いつの間にやら彼女も俺を見ていた。 「・・・そんな顔しないでくれる?」 ・・・は? 「何がですか?」 「自覚ないんかい。あなた今どんな顔してると思う?」 まだ若干赤みが残る頬の先輩が、恥ずかしそうに唇を噛みながら聞いてくる。 それはこっちの台詞なんですが、という言葉はなんとか飲み込んだ。 「・・・ちなみに、どんな顔してます?」 答えを聞くのが少し怖くて、でもなんとなく期待もあった。 先輩は一瞬目を下に向けて考えたあと、恐る恐る、といった風に首を傾げ、言葉を紡ぐ。 「・・・欲情した獣みたいな顔。」 それはとても小さい声で、でも聞こえてしまった。 脳裏に蘇るのは、あの夢で先輩の瞳越しに見た、俺自身の顔。 ギラギラと貪欲に欲する双眸と、狂ったような歪な笑み。 そんな酷いものを、今先輩も見ているのだろうか。 強く、「あなたが欲しい」と訴える獣を。 「・・・李緒先輩。」 「・・・な、何。」 ただ呼んだだけなのにビクつく肩は、きっと俺が言いたいことをわかっているからなんだろう。 「キスしたいです。」 「今の樹見てるとそれだけじゃ済まない気がするから嫌。」 「流石鋭いですね。というか、最近先輩に触りたくて触りたくて、我慢してることだって知ってたでしょう?」 「・・・ソ、ソウダッタンダー。」 「あはは、すごい棒読みですねー。っていうか先輩、」 ーーーー目を逸らさないでください。 いつもより声を低くして言うと、先輩の体が面白いくらいにビクつく。 強情なように見えて、案外素直なこの人は、困ったように目尻を下げながらも、ゆっくり俺を見つめ直した。 「ねぇ、先輩?」 いいでしょう? 立ち上がろうとパイプ椅子の背もたれに片手をかけると、それよりも早く先輩が立ち上がった。 ガタンッ!と、大きな音がする。 自分で立てた音のくせに、大袈裟なくらい肩を震わせた先輩は、泣きそうな瞳を歪ませて首を振った。 「嫌。」 「なんでですか?」 焦りそうな心を押し殺して、ゆっくり、ゆっくり立ち上がる。 一歩前進すると、ひっ!と悲鳴をあげた先輩が逆に一歩後退。 そして、また離れた距離を、俺が一歩詰めた。 「嫌、来ないで。」 「せーんぱい?そんなに怖がられたら傷つきますよー、俺。」 「や、やだ、やめて・・・。」 「何を?俺は何もしてませんよ?」 一歩一歩、確実に。 少しずつ狭まっていく距離は、先輩が奥の壁に背中をつけたことで、一方的に詰められた。 「い、つき・・・。」 「はぁい?」 壁際に追い詰めた先輩は、完全に怯えている。 俺の影が差した彼女の横に、トンッ、と片手をついた。先輩がぎゅっと目を閉じて俯く。 そんなことしても、逆効果なのに。 俺は、彼女の耳に口を近づけると、息を吹きかけるようにして囁いた。 「りーお?こっち向いてくれませんか?」 「ひゃっ・・・!」 吐息が耳に当たってびっくりしたのか、裏返った声をもらした先輩が、両手を突っぱねて、近づいていた俺の体を押し返す。 無駄だとわかっているだろうに、弱い抵抗する姿に、加虐心がくすぐられて堪らない。 そっと手を伸ばして、先輩の顎に手を掛け、無理矢理上を向かせる。 意地でも目を合わせないつもりか、硬く閉じられたままの瞳。 「目、開けてください。」 「・・・っ!」 なんだかんだ言っても、先輩は俺の頼みに逆らえない。 まずは右目が探るように開き、次いで左目も瞼を震わせながら開けていく。 薄い膜が張る、濡れた瞳。 そこに映る自分自身を確認して、ようやく俺は先輩が何を怖がっていたのか理解した。 細められた瞳の奥からのぞくは、仄暗い執着。 独占欲と愛情がドロリと溶けた、毒みたいな暗すぎる心が、あまりに明け透けに表れている笑顔。 この人に触れたくて、狂ってしまいそうな男が、そこには居た。 いや、もうとっくに狂ってるか。 「すみません、先輩。」 「や、離し・・・ふっ、んぅ!」 なんとか謝罪してから、顎ごと引き寄せた唇に齧り付く。 最初から開いていたため、すぐさま舌をねじ込んで絡めた。 ドンドン、と肩を叩かれる。 抗議するようなそれは、別に邪魔ではないのだけど、支配欲に掻き立てられるままに腕を掴んで壁に押し付けた。 全てを奪うような、キス。 あの夢よりずっと身近な体温は、俺を依存させるには充分で。 まるで麻薬じみた、甘い快楽に溺れていった。
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