ボタニカルグラフィティ

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ボタニカルグラフィティ

 曇天を背に、飛行船がゆったりと旋回している。 『こちらは、環境保全局です。本日、当区域の日照時間は、13時から14時です。地域住民の皆様の、ご協力をお願いします』  間延びしたアナウンスが飛行船から流れる。旋回しながら、繰り返し、繰り返し。そのちょうど真下。ご協力依頼を聞きながら、猥雑な路地裏で反社会的行為に勤しむ二つの姿があった。 「おい、今何時だ?」 「12時40分。そろそろ引き上げるぞ」 「もうちょっとだ」 「早くしろ」  二人の手には、スプレー缶。周囲には既に幾本も散乱している。彼らは色とりどりのラベルが貼られた缶を取っ替え引っ替えひっ掴んでは、何処の誰のものとも知れない壁に中身を吹き付け回っていた。 「おい、アイビー・グリーン取ってくれ」 「またかよ。何本使う気だ?」 「いいだろ。こういうのは派手な方がいい」  緑色のラベルが貼られたスプレーを受け取り、カリカリと数回振ると、壁に大小様々の円を描いた。一息で大きく一つ、二息で中くらいが二つ。次々と円を描きあげるが、そこに色はない。確かに壁は濡れて黒ずむものの、吹き付けたそばから乾いて消えゆき、はたから見ればただ水を吹き付けているようにも見える。 「もういいだろ」 「ああ」  描き終えた頃合いを見計らい、二人は散らばった缶をリュックに放り込んでいく。  その時、けたたましいサイレンが鳴り響いた。 「ようやくのお出ましか」 「今更だな」  警報を鳴らしながら現れたのは、体長2メートル程の、赤い塗装が施されたピーナッツ形のロボットだった。 『こちらは、環境保全局管理オートマトン3号です。あなたが行なっている行為は、環境保護統一法の構成要件から著しく逸脱しています。直ちに頒布活動をやめ、任意の聴取にご協力下さい』 『ご協力頂けない場合は、聴取要請としてご理解頂き、ご同行を願います』  機械音声が終わると、ボディの側面から4本のマニピュレーターが飛び出した。先端からはかすかに放電音が聞こえる。 「なにが任意だよ。どうする?」 「構わないさ。こいつも一緒に楽しもう」  二人はジリジリと後ずさる。さきほど円を描き終えたばかりの壁、その正面へ3号が来るように。 『聴取要請に、ご協力をお願いします』 「……時間だ」 「いいぞ、ショウタイムだ」  13時ちょうど。曇り空の天頂を、一筋の線が走った。  線は正確に南北を貫き、徐々にその太さを増していく。  そして、空が。  空で作られた扉の先には、底無しの宇宙と、光煌めく灼熱の太陽があった。  天高く開く扉から、一斉に降り注ぐ光の奔流。  それは一切を焼き尽くしそうなほど気高く、しかし全てを抱きしめるように暖かく包み込む。  区域全体、二人と3号、そして壁。  太陽がそれらを照らした途端、壁から太く巨大なツタが。ツタは猛烈な勢いで伸び続け、轟音と共に3号をずっと遠くの壁まで突き飛ばしてしまった。 「おい見たかドンピシャだ!」 「いいから逃げるぞ!」  陽光の中、二人は駆け出す。  麗らかな午後の光に照らし出された街のあちこちから、悲鳴が聞こえてくる。その方向では土煙が舞い上がり、太すぎるツタが今まさに天高く伸びていくところだった。 「やっぱり使いすぎだろあれ」 「好きなんだよ」  二人はスプレー片手に走り続け、通り過ぎざまの壁に、時には空中に向けて吹いていく。吹き付けられた場所はしばらく日光に晒されると、シダ(シルバー・ファーン)イトスギ(ゴールド・クレスト)など、形も大きさも規格外なあらゆる植物を生やした。  二人は街を駆け抜ける。  アルペン・ブルー、ピンク・アナベル、イエロー・エンジェル。壁という壁、空間という空間から生まれ出て、太陽の恵みを得た街はみるみる草花で覆われていった。 『こちらは、環境保全局管理オートマトン4号です』  後ろから、足回りを装輪に換装したピーナッツが甲高い放電音と共に猛烈な勢いで追いかけてきた。 「聴取要請はご免だっ、ミルク・アン・ブッシュ!」 「了解」  二人が取り出したスプレー、そのラベルは乳白色。  お互いの間の空間に向かって噴霧すると、その場に留まった気体は陽光を反射してキラキラと輝く。そして次の瞬間には、幾重にも枝分かれした多肉質の茎が網目のように広がり、突進してくる4号の行く手を阻んだ。4号は勢いそのまま正面からぶつかり、茎の網に弾かれ転がった。 「はははっ! どうだ、力強い植物だろ!」 「遊びすぎたな。そろそろずらかるぞ」  その時、路地の角、隠れるように二人を伺う小さな少女が見えた。 「おい、先行ってろ」 「……早めに来いよ」  そう言って別れた後、一人が少女の元に近づいていく。 「お兄ちゃんたち、何してるの?」  少女は少し怯えた様子で聞いた。 「植物を植えてるのさ。お嬢ちゃんは植物好きかい?」 「しょくぶつって何?」 「……」  ため息が出る。 「いいかいお嬢ちゃん。植物ってのはな、宇宙船よりもかっこよくて、人間よりも強くて、宇宙で一番美しいものだ」  そう言いながら背中のリュックを漁り、お目当の色を探る。 「手。出してみな」  少女が差し出した両手に向けて、赤いラベルのスプレーを一吹き。少女の手には透明の液体と、一つの白い粒が浮かんだ。 「これ何?」 「そのまま手を太陽に向けて」  少女は恐々手を捧げる。光の眩しさに目を細める少女の手の中で、白い粒が弾けた。すると中から、一本の茎が勢いよく伸びた。 「わっわっわっ」  慌てる少女にお構いなしに、茎が伸び葉は広がり、やがて一輪の赤い花が咲いた。 「アマリリスって花だ」 「きれい……」 「だろう? 水と一緒に空き缶にでも入れておきな。しばらく保つだろう」 「ありがとう……お兄ちゃんは、誰?」  スプレーをリュックに仕舞ってニッと笑うと、少女の頭を乱暴に撫でた。 「ただの落書き好きさ」 「遅かったな」 「ちょっと勧誘をね」  ドカッと宇宙船の副操縦席に座ると、タバコを一本懐からつまみ出した。 「おい、辞めたんじゃなかったのか」 「んお、そうだった」  慌てて口からタバコを離し、クシャリと握り潰す。 「で、次はどこに行く?」 「木星系のコロニーだ。過剰人口緩和と区画整理で、自然の全撤去を決めたとさ」 「ありがたい環境保全だな」 「行くぞ」 「ああ」  曇天に戻った空を、一隻の船がまっすぐ切り裂く。  太陽を閉ざす扉を否定するように。  光を浴びた草花を、子供たちがきれいだと言えるように。  次の光の元へ行くために、やがて船は見えなくなった。
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