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2 赤男
全身真っ赤なコーデをして奇声を上げる白髪男がいた。
その男を壮太がみたのは朝の爽やかな時間だった。朝食を食べながらいつも通り点けたテレビの中で、三十代くらいの女性が真剣な表情でニュースを読み上げる。
『昨日、夕方ごろの国境付近での映像です』
そうキャスターの紹介と一緒に入国審査場の映像が映された。
迷彩服を着た軍人が2名でパスポートの確認をしているところだ。一人一人を慎重に対応している。この国に入国する人は学者がほとんどのため自然と白シャツの人物が多くなる。その列で全身真っ赤なジャケット姿の男は目立っていた。
『この赤い服に身を包んだ男なのですが……』
キャスターが説明を始める前に画像が事件の全容を伝える。
赤男が先頭になりパスポートを要求する軍人を素通りして、両足が国境を越えた。消音にされている画像からは何を言っているのか分からなかったが、国境を越えた瞬間男はガッツポーズをして何か叫んでいるようだった。浮かれてハイテンションに小躍りしている。だが勝手に入国していいわけなく、男の肩を入国審査をしていた軍人が掴んだ。
次の瞬間には、軍人の頭が地面に転がっていた。すぐ側で銃を構えた軍人も腕を落とされ首を切られる。国柄血を見ることの多い住民しかいないせいで映像には加工がなく全てクリアで放送されていた。
唯一白かった男の頭が真っ赤に染まっていくのが印象的なニュースだった。
「貴方。もしかして入国審査官を殺してニュースになっていた方ですか?」
「おお!!なった!なった!!」
壮太が尋ねると赤男は悪びれるどころか嬉しそうに首肯した。
テレビでは、目の前にいたという理由で審査官を殺したと報道されていたが、それが本当だったらバカだと壮太はその日の朝食を過ごした。
「いい血しぶきだったな〜。プシューってなってさー」
当時の様子を思い出したのか赤男は恍惚とした表情でヨダレまで垂らしている。本当にバカだったんだと壮太は頭を抱えてため息を吐いた。
「……知らないかもしれないので一応伝えますが。ここでも人殺しは犯罪ですよ」
「え!?ダメなの?オレつかまってないよ!」
思った通りだ。たまに赤男のように勘違いした外国人が問題を起こすことがある。この国は人体実験は合法にしているが命を軽く見ているわけではない。窃盗、強姦、殺人、どれも他の国と同じように罪となる。
驚く赤男に壮太はニュース内容を教えてやった。
「入国審査官を殺害して逃走したと、ニュースではやっておりましたが」
「にげてない!いままでフツウにあそんでた!!」
「……運が良かったんですね」
確かにニュースで見た赤男は逃げていなかった。揚々と歩いて去っていったのだ。
あの場に血を浴びて笑う不気味な男を止められる者が誰もいなかったからだろう。
「あーあ。ココでもダメなのか……」
赤男は壮太が思う以上にかなり落ち込んでいた。その理由を問うほど彼に興味がある人物はここにはいない。
だからこの回想を聞くものは誰もいないが、彼のために敢えて伝えようと思う。
赤男。後にブラッドと名乗る彼は、今の人となりからは想像できない高貴な家に生まれる。
そして生まれながらにして全てを手にしていると言って過言ではないほど彼は恵まれていた。
まず容姿。つぶらなコバルトブルーの瞳に白磁のような肌はプリンスと屋敷中の女性を虜にした。そして頭脳。家庭教師もビックリするほどの記憶力を持ちと思考力を持ち6歳にはすでに5カ国を話せるようになる。さらにスポーツ。何をやらせても年齢に比べ2ランク上の技術をこなした。
容姿端麗、頭脳明晰、おまけにスポーツ万能の彼に両親はもちろん周りの人々も期待と羨望と敬意を抱き、あらゆる世界に触れさせるようになる。
多くのスポーツや英才教育を経験し、どの分野でも周囲の期待通り優秀な成績を修めた。だがころころと環境の変わる生活は、ワクワク、ドキドキといった子供なら味わう興味関心のボルテージが上がる前に新しいモノを強要され、華やかな暮らしとは裏腹に心は彼の心は無味乾燥としていく。
12歳にもなると試すこともなくなり、親の事業に関わるようになった。大人の世界はより子供の心を押さえつけてくる。世界が真っ白に見えるようになったのはその頃からだった。
そんな虚無となった彼の心を救ったのはとある事件に遭遇したからだ。彼にとっては天国の……世界にとっては地獄の始まりとなる事件とは、15歳の冬にまで話が進む。
15歳となると男女共に多感な時節だ。彼はそうではなかったが、同学年の女性は我先にと将来有望な男の隣に立とうとあれやこれやの方法で群がった。
彼女らの望みは分かるがなぜ望むのかがわからない彼は周囲の熱気をただ受け流す日々を送る。
ある日、いつも通り帰宅時にA子やらB子やらがプレゼントを押し付けてくるのを部下に受け取らせて通学用の車に向かっていた。だがどうしたも彼に直接受け取ってもらいたいと願った女生徒が空の目の前に飛び出してきた。
「これ!受け取ってください!!」
耳の奥が痛くなるような大声で差し出されたプレゼントを彼はつい受け取ってしまった。
喜ぶ女生徒と妬む女たちの間に大きな亀裂がうまれた瞬間だ。
彼の知らぬところでその女生徒は酷い虐めにあっていく。虐めとは本人たちが意識せぬ間にどんどん過激となり、ある日、その女生徒はまた彼のもとに現れた。
「今日、窓の外を見ててください」
汚い制服の少女の姿は心の乏しい彼にとっても不気味だった。だから気になったのだ。運のいいことに窓際の席の彼は、女生徒の言った通りその日はずっと外を見ていた。
そして、午前最後の授業中、彼は女生徒を見た。目が合った。汚れた制服姿でにかりと笑っていた。
女生徒はすぐにいなくなり、彼は窓を開けて下を見た。
そこには絵の具をぶちまけたように真っ赤に染まった地面があった。
みんなが悲鳴を上げて蹲る中、彼は外へ向かって走り出していた。
教師の静止の声を振り切り階段を駆け下りる。入口を出たところで駆けつけた教師たちが立ち竦んでいた。その大人たちをかき分けて、彼は血溜まりに近づく。
止まれと呼ぶ男の声が聞こえるが、その教師も目の前の光景に足までは動かない。
彼はゆっくり、じっくり、女生徒だったモノを見た。
首、足、腕、関節という関節がありえない方向に曲がり、頭は一部欠けている。身体の何処から出血しているのかもうわからないくらい地面は真っ赤に染まっていた。
その赤があまりにも鮮やかで美しく、彼は惹きつけられるように手を伸ばした。
ピチャリと、軽い音がする。赤に沈む自分の白い手を見ながら彼は興奮した。さらさらした生温かい血液の下にザラザラした砂地がある。全てを染めて侵食していく赤に彼は魅せられた。
その日から彼は『赤』に執着する。
最初に始めたのは絵画だ。赤だけを使った彼の絵画は並々ならぬ迫力があり、処女作でコンクール優勝を果たした。彼はその後、部屋も服も全て赤一色にして赤い絵を何枚も描いた。初めて動いた心は彼を無味乾燥した世界からの脱却のために全てを投げ打って没頭させた。
しかし、何枚描いても彼の心はあの時のように満たされない。赤が違うのだ。彼が目にして惹かれた赤がない。
そしてある時、思いついてしまった。彼は動物が欲しいと親に言った。何でもいい。自分が抱えられる大きさの生き物をとねだった。
それは彼が初めてするオネダリで、両親は喜んで子犬を買い与えた。本音を言うと学校の事件から赤い絵を描き続ける息子が心配だったのだ。このまま別のことに興味を持ってくれたらと願う。
だけどその願いは目の前で裏切られる。
彼は仔犬を受け取ると画板の上でその首を切り裂いたのだ。
「…………!!?」
両親は息を呑んだ。
ゆっくり……仔犬の頭を持ったまま彼が振り返ると、母親は悲鳴を上げて倒れた。
笑っていたのだ。
とても幸せように。見たかった赤をやっと見つけたと。
母親はその日から狂ってしまう。天才と愛された我が子がこんなことをするはずないと受け入れられなかった。
父親もまた狂った我が子を愛でることが出来なかった。
しかし、最初から親からの愛など感じていなかった彼はトキメキを与える赤にどんどんのめり込む。自分の部屋と服を一度白く新調し血で赤く染め直した。
目を晒した両親は彼を止めることすらしない。望むまま動物を与え続け、いつしか人にまで手を伸ばそうとした。その時は法を持ち出しなんとか思いとどまらせたが、殺されるやもしれない恐怖に父親はとうとう決意することとなる。
「死の国と呼ばれる国がある。あそこでは、人を殺しても罪にはならない。行きたいか?」
「行きたい!!」
キラキラと目を輝かせる18になる息子に父親は頷いた。
彼の成績は優秀だ。あっという間に彼を受け入れてくれる研究所を見つけ推薦状をとりパスポートとビザを取得した。
父親は高校卒業後すぐに追い出すことに成功し、安堵したのだ。
そうして彼はこの地に足を踏み入れ、審査官を殺し、街で見かけたあらゆる市民の血を浴びた。この国で新調した白いシャツもネクタイもジャケットも全て人の血で赤く染まるほど。
髪だけまだ白いのは洗って流してしまうからだ。毎度鮮血で染めるために……彼はすぐに指名手配犯となった。
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