毒舌執事

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『ロマーヌ、ねぇ。』 ロマーヌは手の甲にキスをした。 『私の父親であるアックスが私の復帰までお仕えしますのでお許し下さい。』 私は黙って頷いた。 『馬鹿じゃないの。こんなときまで私のことなんて』 努めて笑顔にしているのが分かる。 『ほら、泣きそうな顔をお止めください。私はスピア様の執事ですから当然のことをしたまで』 痛みに苦しみながらも手をついて身体を倒れないようにしていた。 『もう、もう無理しないでいいわ。ゆっくり休んで』 『お嬢様の前ではそのような真似は』 そのまま気を失ったロマーヌは緊急で病院に運ばれていった。 迎えの車から下りてきた初老の男性は頭を下げた。 『アックスでございます。もうこのような時間ですので、面会は明日にしましょう』 冷静なのが妙に腹が立った。 『ロマーヌが緊急手術をするのよ。今が零時を回っていたって私はロマーヌの側にいたいの』 困惑した表情のまま車を持ってきた。 アックスの運転する車で病院に向かった。 手術は成功したみたいだけど、意識は戻らないらしい。 『本日の面会時間は終了致しました。ロマーヌさんの意識が戻り次第ご連絡致します。』 そういい病室を追い出された。 静かな病室で一人眠り続けるロマーヌ。 もう二日も眠ったままだ。私は涙を流していた。 食事の味が合わない。ケーキや紅茶が好みと違う。 風呂は月曜日はラベンダー、火曜日は柚子、水曜日は檜、木曜日は薔薇、金曜日は泡風呂のバスボブを入れる事になっている。タオルは私のお気に入りのものじゃない。 傘も気分で変えているのに。何も知らなくて当然だわ。 だって初めて会った人なんだもの。 それに、私は何もできない。 『こんなときロマーヌなら』 そんなことばかり考えてしまう。 本当にロマーヌが気を遣ってくれていたことを痛いほど感じた。 何かの向きにしても順番にしても私のやりやすい仕様にしていた。 毎日面会には行ったが目を覚ます気配はない。 『ロマーヌごめんなさい。我が儘ばかり言って。 お願い、何でもするから帰ってきて。目を覚ましてよ。』 私の勝手な行動のせいでロマーヌが怪我を負ってしまった。 後悔してもしきれない。 『ねぇ答えて』 微動だにしない。この横顔は幼少から見てきたがこんな顔だったのか。 今日も諦めて帰るしかない。 ベッドの側の席から立ったとき小さな溜息が聞こえた。 まじまじとロマーヌを見つめると薄く目が開いた。 『馬鹿な人だ。私がこれしきの事でくたばるとでもお思いになられたのですか。』 彼はベッドから起き上がると髪の毛を整えた。 『こんなみっともない姿を見せるのはいけません。 服も病人のパジャマですし。ご飯なんて私の方が美味く作れるのに。味付けが薄い。』 呆気にとられたが、相変わらず文句が多い姿にホッとした私がいた。 『お嬢様の必死になっている姿は大層嬉しく思いました。単なる自惚れですけどね。』 少し顔を紅くした気がした。 『起きていたのに、寝ているふりをしたのね。酷いわ。』 『どこが酷いですか。おかげでじっくりとお嬢様の話を聞けました。 泣きそうな顔も見てました。』 僅かに睨みつけて言い放った。 『やっばり、ロマーヌは私に意地悪をしたいだけなのね。はぁ、最低ね。 心を弄んで』 『まぁ、そう怒らず。』 なだめた目が決意を固めたように色づいた。 『身を張ってお守りするのは当然です。私はお嬢様だけの執事ですから。』 私はロマーヌに背を向けた。 『じゃあ、私がここで宣言するわ。貴方は一生私といなさい』 不思議そうに首を傾げた。 『ええ、言われなくても代々仕える身ですから。 引退の歳まで一緒におりましょう。私がヨボヨボのお爺さんになって貴女が目も当てられないお年寄りになられてもずっと。』 扉が開き看護婦が入ってきた。 『ご面会時間はここまでですお帰り下さい』 『じゃあ、帰るわ。早く戻って来るのよ』 ロマーヌの雰囲気が少し変わった。 『ええ、身体を治してからになります。いつまでかかるかはわかりませんが。』 神妙な面持ちで喋る姿は不安を煽る。 何よ、弱気になっちゃって。あんな顔は初めて見た。 清々しい朝。太陽が顔を出している。 今日は最高の日になるはず。18の誕生日がきた。 私の家の大きな会場でパーティーをすることになっている。 お父様やお母様は豪勢なプレゼントをいつも用意してくれる。 でも、私の浮かない表情が明るくなることはない。 『ねぇ、アックス。ロマーヌはどうしたのよ』 開始時刻になってもやって来ない。 『ロマーヌはまだ退院の予定はありません。 相当の重症でしたから。我が息子ながら己の身も守れぬとはお恥ずかしい限りでございます。』 私は心に空いた穴を塞ぐ方法を知らない。 今この大切な日にいつも側にいたあの人がいないなんて、考えもしなかった。 『ロマーヌは勇敢だったわ。 そもそも私が悪いの。私のせいで怪我をしたのよ。』 『責任を負う必要はありません。』 優しい声は少しロマーヌに似ていた。 『執事たるもの堂々としていなくてはいけません。 お嬢様に心配されるような弱気になってはいけないのです。』 私はいたたまれなくなって言った。 『少し一人にして』 『了解致しました。』 自分の部屋に戻り鍵を閉めた。 怪我が治らなければ引退するしかない。アックスはあと一年で定年退職となり、別の執事をアックスの部下の中から出してくれる。 ベッドに座ると酷い顔が窓ガラスに写っていた。 浮かない顔に色のない唇、表情まで薄くなった気がする。 美しい赤いドレスは色をなくして見える。 『どうして。どうしてこんなに苦しいの。』 こんな気持ちは知らなかった。 『ロマーヌ早く私の元に帰ってきて。 18の誕生日には貴方は私のお祝いをして私は婚約者といるはずだったのに。なんでどうして。』 あの時の憎まれ口を思い出した。 ー来年の今日になればお相手を見つけて立っていらっしゃって下さいね。 まぁ、一目惚れで入籍しなければありえないでしょうがねー ーうるさいわね。きっと貴方をあっと言わせてやるから。ー 私はまた涙を流した。背後に気配があった。 『アックスそっとしてって言ったじゃない』 『泣き顔を各国の王子に見せるのですか。 情けない。ほら、涙を拭きなさい。 誕生日会であるのに主役がそんな暗い顔では会場も盛り上がりません。』 差し出されたハンカチは青い薔薇が刺繍してあった。 振り返るとにこやかに笑うロマーヌがいた。 『ロマーヌ。ロマーヌなのね。会いたかった』 ロマーヌの胸に飛び込んだ。 『急に抱き着かないで下さい。貴女は本日から大人の仲間入りなのですよ。異性に抱き着く様な事はあってはならないのです。それに、そこで泣かれると特注のスーツが濡れます。』 そんなことを言いつつも、私のされるままになっている。 『貴方は本当にうるさいわね。身体は大丈夫なの?』 『この通り万全でございます。』 すっと身を引き、腕を曲げて見せた。 『よかった。』 『ご心配おかけしました。心配してませんでしたか』 『え、ええ。貴方の事だからすぐにでも帰ってくると思ったわ。』 『サプライズは驚きましたか』 『驚いたも何も呆れたわ。こんなにも私を待たせておいてよくもぬけぬけと現れたわね』 『お気に召して頂き光栄です。エンターテイメントのような刺激が日常には必要です。』  いつもの意地悪な笑顔がそこにあった。 『気に入ったなんて言ってないじゃない。 本当に心配したんだから。この馬鹿執事』 私が胸に顔を埋めると私の手を握り小さく言った。 『すみません。本当に貴女が心配しているとは』 顔を上げると悲しげに瞳を伏せた。こうなれば、私が私らしくしなければ。 『ロマーヌ、いつもの強気はどうしたの。 貴方らしくないわよ。開会まであと少し。舞台に行きましょう。』 嬉しそうな笑顔で私の頬を撫でた。 『ふっ、そうですね。貴女はいつでも号泣してますけどね。 さぁ、そろそろ貴女の出番ですよ。本日の主役らしくシャンとしてなさい。』 幕が開くとパーティーの舞台に出る。 私はロマーヌの片手に手を載せた。 『ちょっと待って。言わないといけない事があるの。 ロマーヌ、耳を澄ませて聞いてちょうだい。』 『幕が開くまで残り一分でございます。 今言わないと駄目な事ですか。』 一ミリたりとも顔を動かさず前を見ている。 ちゃんと聞いているのかしら。 私は意を決して言った。 『今日付けで貴方は私の執事を辞めなさい。』 呆気に取られたロマーヌは私の方を見た。 『前を向きなさい。幕が開けば客が見ているのよ。 私の誕生日パーティーを邪魔しないで。』 初めてロマーヌを出し抜けた。 『左様でございますか。急で驚いております。 おふざけになっていないことは分かっております。』 困惑したまま顔を前に向けた。 『新しい執事はまだ確保していないのですが、しょうがないですね。』 真顔を貫き通すロマーヌは本当に強い。 『お嬢様の成長が見れなくなり非常に残念です。ですが、お嬢様の仰せの通りに。』 『執事として私の世話をみるのは今日で終わり。 貴方は明日から私の旦那になるのよ。 』 顔面蒼白になったかと思うと、赤面した。 ロマーヌの白い手袋越しに汗が滲んできた。 『そ、それはどういう。逆プロポーズでしょうか。まさか』 『そうよ。貴方の驚く顔が見たかったのよ。悪いかしら。 返事はどうなの。私は別に』 別になんて本当は嘘。 ふわりとループタイが近づき、私よりも背の高い肩が抱き寄せた。 『言わなくていい。私も。貴女をずっと側でお守りしたい。』 『生意気よ、お嬢様にタメ口で命令なんて。 今日はまだあなたのお嬢様なのよ。』 『口を慎みなさい、スピア。 貴女は私に婚約をしたのですから、もうその減らず口はきけなくなる。なんてな。』 ゆっくりと唇が私の唇に押し付けられた。 温かな体温が伝わる。初めての瞬間だった。 『ん、このタイミングで反則よ』 『反則なんて存在しない。そうでしょう』 開幕のブザーが鳴り響いた。 急いで服装を整えて前を向いた 「アックスも根性が悪いわね。知ってたのに教えないなんて」 白い髭が動いて笑う。 「ありがとうございます。戻りました」 ロマーヌは事務的な口調で言った。 「ロマーヌが戻りましたので、私は此処までですな。」 アックスは既に荷物を纏めていた。 スーツケース一つを脇に抱えている。 「ありがとう、アックス」 アックスに別れのハグをした。 「お元気で、お嬢様。ほんの数週間でしたが、執事に復帰できて楽しかったです。」 「また、いらしてね。待ってるから」 門を出る後ろ姿を見送った。 終始、横で表情を崩さないロマーヌを見上げた。 「アックスは」 彼はきびすを返した。 「母さんと二人で楽しく暮らすさ。今まで通り。この数週間で贅沢な隠居生活出来るくらいの金ならある。」 妙にロマーヌの背中が寂しそうだった。 執事の事務所から派遣されてきたのだから異動なんて日常茶飯事なのにどうして。 普通は代わりの人材を迎え入れる。 部屋に入ると、背を向けてお茶を淹れていた。 「どうかしたの。」 「何でもないですよ」 レアチーズケーキを切り分けていた。 「何でもないわけないでしょ。 妻になる私に話せないっていうのかしら」 ロマーヌはぽつりと話出した。 「今回の依頼が父アックスの最後の仕事でした。 貴族のハマー夫人に解雇されてから数年は執事の養成所の教官でした。解雇された頃には既に還暦を過ぎ、もう十分働きました。隠居を勧めたものの、父は仕事が好きで辞めなかった。 俺も最後に一花咲かせてあげたいとは思っていたから、こんなチャンスはないと上司のマーリンに病室で頼み込んだ。 俺の怪我の間は父にやらせてくれと。 給料は俺の半分も分け与えてくれと。 これは父のプライドを傷つけるからくれぐれも内緒にしておいてくれ。」 言葉に詰まった。 「父の背中を追ってきた俺にはやっぱり」 ロマーヌの肩が震えていた。 私は後ろから抱き締めていた。 「大丈夫。泣いてもいいよ」 ロマーヌの体温が感じられる。 「お願いだから顔だけは見ないでくれ。はしたないから。」 カップを置いた手を握りしめた。 「それは無理。子供の頃から一度も見たことない泣き顔くらい見せてよ。」 顔を上げた彼の瞳から涙が溢れた。 高い背の頭を胸に抱き締めた。 「目標がなくなった訳じゃない。 アックスは全うしたんだから、これからはお父さんとして慕ってあげて」 彼が泣き止むまで側にいた。 落ち着いたところで本題。 「それより、一つ問題が。カーチス様にはサック様のような皇族との結婚を約束しました。 それが私とあっては…私の方からそれとなく尋ねてみますが、どうしたことか」 頭を悩ませていた。 「今のところは秘密にしておきましょうか。私達の関係は」 「そうね」 机上の郵便物に顔を見合わせた。 「カーチス様が明日ディナーにいらっしゃる様です。」 「まずいことになったわね。」 「なんとかします。」 髪を丁寧にとかしてくれている。 ふいに耳元に声が近づいた。 「それよりそろそろディナーを味わいたいところなんだが。」 ディナーは終わって、シャワーも浴びた。 「待ちわびた、とびっきりのディナーを。」 「何言って」 足と椅子と背中の間に手が入れられた。 そのまま持ち上げられると隣の部屋に連れてこられた。 ベッドにゆっくりと降ろされた。 「そのまま力を抜いて、目を閉じて。言われるままに」 暗がりにうっすらと間接照明が見える。 「ちょっと待って、まだ心の準備が」 唇に体温が伝わる。 「待ってあげない。俺の泣き顔を見た罰。 本当は好きだから大切にしたいのに…暴走しそうだ。」 指が絡められる。ベッドがぎしりと音を立てる。 「今夜は二人きり。明日も明後日も。ずっと」 息の出来ない程の深い口づけ。 「眼鏡を外して。もっと近くで見せてくれ」 手を伸ばして眼鏡を取ると、押し倒された。 「一瞬気を抜いたのがわかった。眼鏡を取るまでは、待っててくれるだろうという心の余裕が。 なぁ、その可愛い声をもっと聞かせてくれ。」 怖さは不思議とない。 耳や首筋に音を立てて口づけている。 「本当に嫌ならいってくれ。もっとも今やめたら辛そうだが」 「あとはつけないで」 声が漏れないように気をつけていると息が出来ない。 「あー、痕か。見えない処ならいいはずだ」 手が下に伸びる。太股にじっくりと口づけされる。 「本当は男が寄り付かないように首とか胸につけたいとこだが我慢する。万が一でも、舞踏会でドレスでも着たら丸見えだからな。それはそれで示しがつくか」 白いシャツがよれている。 「タキシードにしわが入るじゃない」 「それもそうだけど。」 じっと目を見つめていた。 ほんのりと上気した顔が目前にあり、息が上がっている。 「気をそらそうとしているのか。 俺の衝動の方が強いから、気をそらすのは無理があるな。もうちっと男を勉強してこい」 手は服に伸びて、ボタンを外していく。 「息は止めるな」 言われるままにされて意識がなくなった。 「おはようございます。今日の予定は」 いつもの事務的な口調に戻っていた。 「あと二時間でカーチス様がいらっしゃいます。 身支度をして朝食を採って下さい。」 立ち上がるとさらりと布団が落ちて自分の格好に気がついた。 急いで布団を被った。 ロマーヌはちょっとだけ目をそらした。 「ごほん、早く服を着なさい」 はじめての朝がこれだなんてロマンが無さすぎる。 むすっとしても、全く気に止めていない。 渋々着替えて側に近づいた。 「出来たわよ」 腕時計を見て言った。 「五分三十五秒。いつもより遅い」 なんなのよ本当に。こういうときはイチャイチャするものじゃないの。 横をすり抜け扉を押し開けた時、肩を掴まれた。 「何よ、朝食はもう出来てるんでしょうね」 「忘れ物ですよ」 振り返るとそこに顔があった。 食べるように味わうように優しく唇が重なった。 「おはようのキスをご所望のようでしたから。」 ずるい。これだけで頭がぼんやりする。 「ほら、朝食の準備が出来ています。お席へ」 先にいってしまった。
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