毒舌執事

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両親が訪れた。 「スピア会いたかったよ」 「お父様、お母様私もよ。」 二人と抱擁を交わして部屋に移動した。 ディナーの用意が出来ている。 「この前のことは残念だった。サックは捕まったようだけども、次の人を探せばいいさ。」 「お父様、そのことはもういいのよ。」 カチャカチャと食器の音が響く。 「まぁ、あとはいくらでも選びようがある。心配はしてないよ。で、今は好きな貴公子は現れたかな」 「いえ、お父様。」 顔を上げると、父はにこりと笑った。 「最近浮き足立ってるように見えたんだよ。 電話で話した時も声が弾んでいた気がしただけだ。」 「そうかしら。」 一瞬ロマーヌと目が合った。 「それよりカーチス様、少しご相談があります。」 父はロマーヌの顔をみた。 「あぁ、食事も終わったことだし、二人で話そうか」 二人は席をたち、隣の部屋に移動した。 数十分程して、二人は部屋に戻ってきた。 父はご満悦で機嫌がよく、席についた。 「実に楽しかったよ」 「何をしていたの?」 「チェスだよ。なかなかロマーヌは腕がよくて、戦略家だ。 てこずらされたよ」 「滅相もございません。チェスはカーチス様には遠く及びません。」 「今度の日曜日にパーティを開催しようと思ってね。 そこで、ロマーヌには私の娘と結婚させたい人の条件を提示したんだ。」 驚きはしたが、微笑み返した。 「まぁ、お父様。」 「スピアが好きな人なら私は誰でもいいのよ。」 母が手を握った。 「そろそろ帰るわね。お邪魔しました。」 馬車と執事は既に門にいた。 「来週の舞踏会で会おう。スピアを宜しく」 父は馬車に乗り込むと、手を振った。 ロマーヌは両親が出ていくまで頭を下げて見送った。 二人が門を出たのを確認して頭をあげた。 「チェスは手を抜いたのね」 「いや、本当に強いですよ。でも、最後は華を持たせてあげないと。」 不適な笑みを浮かべた。 「ロマーヌ、貴方本当に根性が悪いわね。」 彼は心外だと言わん顔で見つめてくる。 「これは紳士的な行動だ。勝てば寧ろ、大人げなく礼儀知らずだと評判になる。」 何を言っても口論では勝てない。 「まぁ、いいわ。あれは社交界と言う名のお見合いパーティーじゃない。貴方は何を話そうとしたの」 「怪しまれないように、次にカーチス様が候補にしている王子達の名前を聞いたんだよ。」 「父の前ではまだ執事面してるのね。」 「それはそうだろ。じゃないと、新しい執事を呼ばないと駄目じゃないか。この屋敷は私と二人きりだろ。」 ロマーヌは、ジャケットのボタンを外しソファに腰をおろした。ループタイを緩めて息をついた。 「はぁ、疲れた」 組んだ足が綺麗に見える。 前髪をかきあげ、整えていた髪を崩した。 「何だ?座らないのか」 私を見上げてソファの脇をトントンと叩いた。 「おいで」 隣に座ると、ふわりといい香りがする。 「何でこっち見ないんだよ」 なんか気恥ずかしくて、隣に座っても背を向けてしまう。 左耳の側で低い声がする。 「なぁ、こっち向いて。」 無言のまま座っている。 「あっ」 耳を甘噛みされた。 「何照れてるんだよ。二人きりの生活はもう五年になるんだ。#婚約者__フィアンセ__#としてはまだ一週間だけど。」 「照れてない。ただ、傍に立っていたロマーヌがお嬢様の私より先にご飯を食べたり、お茶を飲んだり、休憩するのが許せないのよ。」 「へぇー、我が儘なお嬢様だ。俺だって旦那になったら同じ立場になる」 「一週間なのにいくらなんでも、くつろぎすぎじゃなくて」 思わず反論してしまう。 「私の家も同然なんだから、くつろいで普通だろう。 それに、貴女が何も出来ないお子様だから私がお世話をしているんじゃないか。」 「何よその言い方」 ムッと見ると、呆れたように目を閉じると天を仰いだ。 「子供は子供だ。私が25で貴方は18なんだから。 大人にはもうちょっと礼儀を知りなさい。」 ふんとそっぽを向いた 。確かに、料理も洗濯も、服の用意やお風呂の用意、掃除も何もかもロマーヌにやらせてある。言い返す言葉がない。 「礼儀を知らないコドモには教えてやらないとな。 大人を怒らせたらどれだけ大変か」 耳と首筋にペロリと舌が這う。思わず声が出る。 流れに流されてはいけない。 ソファから立ち上がろうにもしっかりと身動きが取れないような姿勢にされている。いつもより激しく逃げられないキス。 意識がぼんやりとしてきて、もう身体が重く、腰が抜けた。 「もう限界?」 ロマーヌは顔を上げると、壁のランプを確認しているようだった。 「お風呂が沸けたようだ。入ってくるといい。 私はベッドメイキングをしてくる。」 眼鏡を正位置に戻すと、シワの寄ったシャツを整え、何事もなかったかのように、部屋を出ていった。 火照った体を起こして脱衣場に向かうと、パジャマも用意がしてあった。抜け目がない。 風呂を出て、寝室に向かった。 綺麗に整えられたベッドに腰かけた。 ぼんやりとさっきのことを思い出していた。 部屋に入ってきたロマーヌは私に布団を掛けた。 側のテーブルにお水をセットした。 いつものロマーヌは部屋に入ると電気を消して、布団に潜り込んでくる。なのに、既に朝の水の用意をしていた。 「そろそろ寝る時間です。明日も仕事が山積みです。 おやすみなさい。」 何もない日の夜だったってこと。 「おやすみ」 基本は別室で寝ているが、おやすみのキスはくれるのに何もない。週に三回程は一緒に寝る約束なのに、今日は違うのか。 ロマーヌは部屋を出ていくぎりぎりで振り返った。 「期待はずれでしたか。そういう顔をしてる。 キスはないのか、さっきの続きはしないのか…という顔。 身体の中が熱いのに。」 身体の芯が熱くて、さっきのロマーヌのキスで昨夜を思い出していた。 「自分でしますか、それとも俺を誘うか」 ふふっと笑ったのが見えた。 さっきまでのも全部計算だったとは。 「焦らされて、熱いんだろう。早くしてほしいってバレバレ」 顔が紅潮する。 「ほら言って。どうしてほしいか」 「キスして」 「それから」 沈黙が数秒間あった。 「触って」 指が絡められる。 肩を押されてベッドに横になると、彼は布団の上に跨がるように座る。 額に温かい感触がある。首に腕を回して顔を引き寄せた。 彼の濡れた唇に唇を重ねる。 「ん、柔らかいな。妙に積極的じゃないか」 思わず声が漏れる。指がすーっと内腿を撫でる。 「そんな声が出るのか。こっちはどう」 耳元で声がする。時折、耳を舐める。 「力を抜け。身体に力が入っている。」 腰に手が添えられた。 「いい子だ、その調子」 その夜の話は秘密。 そして、舞踏会の日がやってきた。 正装をして、会場に向かった。 地下の駐車場から、エレベーターに乗り最上階まで上がる。 「それでは、ここで。 執事は執事で会議があるのです。貴女はここでカーチス様とお話をしてから、三階の控え室でお待ち下さい。 一時間程で戻ってきて合流しますので、その後五階の会場で食事と舞踏会があります。 今回は強敵のマリー・フラット様がいらっしゃるらしく、彼女は魔性の女と密かに言われているほど誰もを虜にします。 我が儘、悪女という裏の顔があるらしく、十分気をつけてくださいね。」 「わかってるわよ」 その後、見張りの多い最上階で父と会話をして下に降りた。 勿論、最上階と数階にしか止まらないこのエレベーターに乗る人はいない。一人で鼻唄を歌っていると、黒い影がエレベーターに乗り込んで来た。十四階だった。 「まだ会議は終わってないんじゃ」 「お手洗いです」 「お手洗いならこの階にもあるじゃない。もしかして、見越して待ってたの」 訝しげに呟くとロマーヌは笑った。 「そんなことどうでもいいじゃないですか。」 ぐいっと腰が引き寄せられた。 「パパや他の客がいるのよ」 「大丈夫だ。下の階に着くまでの間なら」 ちらりとエレベーターを見ると、あと四階下まで止まらない。 柔らかな唇の感触がする。 三十秒もしないうちに、エレベーターのドアが開いた。 「じゃあ、戻ります。あの堅苦しい執事会議なるものに居ていると息が詰まって仕方ない。リフレッシュ出来たよ」 こっちは赤面が直らないっていうのに。 そのままエレベーターを降り、控え室に向かった。 今回は執事とは別行動をするということになっている。 執事は執事で自由にしているというのが父の目指すところらしい。 パーティ会場は人が多く、父の呼んだシェフが腕をふるっている。どちらも人が多い。 「ねぇ、名前は?」 「サン・ロマーヌと申します」 美女がロマーヌと話している。 「んー。ちょっと…わからないわ。初めましてよね。 結構、好みかも。主人は」 「ホール・スピア様です」 「あー、私に乗り換えない?いい扱いすると思うわ。 あなただけね。それと、あのお子さまと違って私はオトナだから」 マリーフラットに誘惑されている。 「毎日、背中を流してもらうけど」 背中と胸のぱっくりと開いた紅いドレスで上目遣いをした。 何よあれ。感じ悪い。 でも、あの声色と色気、気ままさに落ちる執事は多い。 モヤモヤとロマーヌを見ていると、背の高い通行人とぶつかった。 「すみません」 「おっと、大丈夫だったかな。スピア様ではありませんか。」 グラスを片手に微笑んだ。 「エルマンド様」 エルマンド・ターカーは紳士的で、サックのようなチャラチャラとした部分がなく、歳も三十ということもあり落ち着いた雰囲気がある。 ハスキーボイスで元軍人ということもあり、筋肉質な身体に人気は高い。国の幹部ではあるが、貴族の会にも顔を出している。黄色のネクタイピンが明るさを表している。 「彼が気になるのですか。」 「い、いえ。」 「目が向こうをじっと向いていますよ。」 マリーにさらに距離を縮められている。 「そんなこと」 「じゃあ、こちらへ。私と話をしましょう」 スタスタと会場の端に向かった。 いいもの。私は私で楽しくやるから。 目の前のワインがぼんやりとする。意識がやっぱりロマーヌにある。 「ほら、私を見て。自分の執事が気になるのは皆一緒で、いつも世話を焼いてくれる人が他の人と親しくしているのが悔しくて、嫉妬しているのです。一時の気の迷いですよ。」 エルマンドは私の頬に優しく触れ、顔を自分の方に向かせた。 「すみません。失礼な態度を」 「気にしてないですよ。」 椅子を引き、私に座るよう促した。 エルマンドは本当に話すのが上手で、笑わせてくれる。 丁寧な言葉で気分を害さない。 いつの間にか話し込んでいた。 他の女性の入る隙を与えない程の和やかな雰囲気だ。 エルマンド様のファンは多いし、結婚を狙う貴族も多い。 「私と気が合いますね。」 「確かに、そうですね。」 ロマーヌはやっとのことでマリーから逃げてきた。 ちらりと見ると、こちらに気がつき近づいた。 「スピア様、そちらはエルマンド様ですね。 執事のサン・ロマーヌと申します。」 「やぁ、今晩は。お話は聞いてます。 この間のサック王子の件ではよく働いたと評判でして、お名前は伺っています。それに、私の執事のマーリンの直属の部下だとか。」 ロマーヌは少し痛いところを突かれたという顔だ。 「ええ、あの時はお世話になりました。 彼はいらっしゃらないのですか。一言お礼でも」 「あぁ、マーリンは奥のバーでカクテルか喫茶で珈琲を飲んでいると思うよ。先程は楽しそうでしたね。 遠慮せずにもう少し話をしてきても良かったのですよ。」 「いえ、お気遣いなく」 エルマンドはにこやかに言った。 「少しの間、スピア様と二人きりで話がしたいんだ。下がっててくれるかな」 ロマーヌの先を見越されたイライラとした表情が見える。 私は大丈夫と目で合図をした。 「構いません。それでは、私はここで」 ロマーヌの後ろ姿が遠ざかっていった。 小さく舌打ちをした。なんだよ。 俺はそのまま奥に向かっていた。 やっぱり、バーのカウンターで一人でのんでいる男の後ろ姿を見つけた。タキシードを整えて近づいた。 「お久しぶりです。お隣宜しいですか」 神経質そうな眼鏡が顔を上げた。 「あぁ、久しぶり。調子はどうだ。怪我の具合は」 「もう全快です。傷口も上手く塞ぎました。お世話をかけました。」 「いや、礼はいい。ともあれ無事でよかった。それより、どうしてここがわかったんだ。大体の予想はつくが、大方エルマンドだろう。」 二人は俺とスピアの関係のように、生まれもっての執事の一族で、執事としてお供して三十年になる。 本人の前以外で呼び捨てをしても咎められることはない。 「ええ。その通りです」 「ふうん。つまりは除け者にされたということか。 奴もいい歳だからな。そろそろ結婚をして、跡継ぎを見つけねば。スピア様なんていいとこだろう。」 俺は微妙な気持ちで頷いた。 「ええ、お嬢様も早く相手を見つけるように言われてますし。」 マーリンはカクテルを口に運んだ。 「いつまでその箱を置きっぱなしにしてるんだ」 何のことを言われたのかわからない。 「俺にはその箱が開けられるんだ。周りには無理でもな。何せお前の教育係と上司だったのだから。全て教えたのはこの俺だ。だからお前の癖もよく知っている。」 鋭い瞳で見つめられた。 「お前達付き合ってるんだろう。というか婚約者か。 嘘がバレバレなんだよ。」 極力小さな声で返した。 「はい。その通りです。やっぱり敵いませんね」 自分も一杯のカクテルをぐいっと飲んだ。 「それにな、メンタリズムも心得た一流の執事の中には関係もわかる。以前までのよそよそしさが無くなり、歩いている時の距離も近くなった。くれぐれも気を付けろよ」 「はい。」 これはもう、相談するしかない。 とことん酔いが回った辺りで話を切り出した。 「カーチス様には内緒にしているのです。それに、周りにも内緒にしているので変な男が寄ってこないか心配で。」 「お前のオノロケ話なんて聞きたくないな。」 「そうですよね」 妙に真面目に頷いた。 「いや、でもこの先に重大な壁になってくる。 結婚したいなら早急に対象しないとな。それと、お前達一線を越えたな。」 驚いて酒を吹き出した。 「な、な、な、なんでですか」 「何故と聞け。そんな赤面で否定されてもな。 雰囲気と密着感が以前の二人とは明らかに違うんだよ。 それにスピア様のお前を見る目も。」 穴があれば、穴に入りたい。 上司にプライベートを詮索されたのは初めてだ。 特に堅物のエリートで有名あるマーリン・ハイドには。 彼は真顔を崩すことはない。 「他人の恋愛に興味はないが、もう一つ助言をすると。もう既に一切なびかないお前に落とそうとムキになりマリーは本気だ。」 俺は頭を抱えていた。どうしたらいい。 「エルマンドは男の俺から見てもいい男だから、お嬢様も引っ掛かるかもしれないな。嫌なら力ずくでも取り返して来い。 俺はエルマンドの執事として、主人の恋愛を否定することは出来ないからな。」 気が気でない。今頃は二人で何をしているのか。 「まぁ、せいぜい苦しめ。」 本意なのか何かはわからない。 俺は腹いせに良いことを思い付いた。 「貴方の好きなタイプの女性はどんなものかは分からないですが、仕事の出来る男はモテるといいますからね。」 バーのカウンターの遠い席に一人の女性がいた。 「あちらの女性は、英国の王族の親族ですよ。」 「それがどうした」 俺は立ち上がって女性に声をかけた。 「こんばんは。ご機嫌いかがですか。楽しんでいますか」 「ええ。まだ話しかけられなくて丁度一人だったの。」 「私は主催者のホール・カーチス様のお嬢様であるスピア様の執事のサン・ロマーヌです。あちらの私の上司が貴女とお話をしたいと仰ってます。宜しければあちらへ」 そう言い残し、そこを去った。 「おい、何処にいく。」 女性は嬉しそうに近づいた。 マーリンと二人きりで喋るのにまんざらでもないようだ。 「初めまして、マリアよ」 私は困惑する上司を尻目に、バーを出た。 「恩を仇で返すとは、いけ好かんな」 その呟きを聞いた。 男性と二人きりになったのは生まれて初めてだ。 ロマーヌとは十五歳から二人でいるから、彼は除外する。 ディナーが並んでいる。 「本気で君を口説き落としたいんだよ。だから二人きりにさせてもらった」 パーティ会場から離れた部屋。 「私はどうかな。君を幸せにする自信があるよ。何だってあげるし、君のために何でもするさ。条件だってそんなに悪くないだろう」 ナイフを動かしていた手を止める。 「ええ、でも男は条件で決めるものじゃないと思うの。 イケメンで金持ちでも愛がないと。貴方、本当は私を好きじゃないじゃない。」 「これはやられたな。大抵の女性は僕が口説くとすぐに落ちるんだけど」 「いままでの女性のことね。でも私は違うの」 諦めてもらえるように、少し言い過ぎたかな。 「そう見えますか。この熱烈な愛情が伝わってないのですね。私の得意なマジックを見てもらえますか」 ポケットからコインを取り出して、見せた。 「これを一瞬で消してしまいます。さんにーいち」 目の前でコインが消えた。 「すごいわね」 「私のどちらかの手を握ってください。そうしたら、出てきます」 差し出された両手のうち、右手に手を置いた。 彼はふいに私の手の甲にキスを落とした。 すると手の中にはコインが入っていた。 「ね。驚きましたか」 マジックのドキドキと、何か分からないドキドキがあった。 「ええ、本当に」 突如、部屋中に警報が鳴り響いた。 私はエルマンドと顔を見合わせていた。 『こちらC56管理室、展示室よりサファイアの警報器が作動。早急に対処せよ。』 三つ上の階のことだ。 「警報器はガラスケースが壊れた時にのみ鳴るらしいですよ。これは、もしかすると」 「行かないと。貴方も来て」 私はエレベーターに乗り込んで三階上に駆けつけた。 スピア様を探して元の場所に戻ると、二人の姿がない。 何処に行ったのだろう。二人きりの部屋にいたりしないだろうな。突如、サイレンが鳴った。 放送内容を聞くと上の階だった。 「ん?まさか。盗まれたのか」 急いで駆けつけると、既に二人の姿があった。 既に、警備が駆けつけていた。 入り口は開けてあり、ガラスケースが壊されていた。 「酷いなぁ。ガラスケースが粉々だ」 サファイアはなかった。 「野次馬が来ないように、入り口は閉めておいて。」 カツ、カツと革靴の音が近づいてくる。 「スピア様、ここにいらしたのですか。 危ないので、控え室に戻ってください。」 「ロマーヌ。大丈夫よ。それより貴方、何か気づいてるんじゃなくて」 ロマーヌの眉がピクリと動いた。 「だとして、どうする。私が解決しろと」 今日はやけに反抗的に見える。 「ええ、その通りよ」 「私がやる必要はありません。じきに警察が来る」 「ふうん。じゃあ、犯人を逃がしてもいいってことね。 お父様が悲しむわよ。」 「ご命令とあらば、やりますが。」 「じゃあ、この場で解決なさい。私は推理は苦手だけど、直感は当たるのよ。」 「ええ、野次馬に写真を撮られては一家の恥ですが、それ以上にこの中に犯人がいると見越しているわけですね。 さすがお嬢様。根拠のない自信だ。」 「間違ってるの」 「いいえ、大方予想はつきますとも。この中の数人に絞れる」 八人の警備と宝石のメンテナンスの業者が二人。 「これは、盗まれたと見せて混乱させるトリックです。 まだ、外に持ち出されてないはずです。 何故ならば、仮に警備の一人が単独で事務所に先に戻ったとすれば怪しまれる。宝石メンテナンスも二人で来てますから、片方が不審な動きをすればわかるはず。 だから、訪れて状況観察のふりをして持ち出す。 恐らく、サファイアはまだ中にあります。」 ロマーヌは宝石台に近づいた。 「皆さんは一度ここに入ったことはありますね? こちらは二段の鏡餅のような形状でトップに宝石台が。 しかし、この台自体が普通ではないのです。 一見ただの台座ですが、あるスイッチを押すと」 ロマーヌは空調管理のボタンを規則的に押した。 「普段は普通の空調管理のボタンですが、押す順番で違うのです。閉館時間になると自動的に中に収まります。」 台座の真ん中がへこみ、下からもう一段の台が出てきた。 しかし、そこにも宝石はない。 「何をいってるの。確かに隠しの仕掛けはあったわね。 でも、肝心の宝石がないじゃない。」 ロマーヌは呆れたため息をついた。 「そう急かさないで話を聞いてください」 手を伸ばして宝石のない台座を触ると、薄い何かを手に取った。その下には宝石があった。周りは一斉に声を上げた。 「あった。どうして」 「至って単純なトリックです。これは薄い鏡。ということは」 「屈折を上手く利用して、あたかも中が空のように見せたのね。映っていたのは宝石台の天井」 「よく出来ました。」 子供扱いが気に入らないがそこは我慢する。 「本当によく出来ているね。このトリックを考えた人は天才だ。」 「ええ、でもよく思いつきましたね。 そもそも、台座の仕組みを知っている人は私を合わせ数人しかいないのに。知ってるのは、こちらに足しげく通い、そして手持ちの一部をこちらに展示している貴方ですね。」 ロマーヌが振り返った。エルマンドを見ていた。 「何故私が」 「さぁね」 「証拠がなくては仕方ない」 ロマーヌとエルマンドが冷戦状態になっている。 「兎に角、あって良かったわね」 二人はようやく普通の態度に戻った。 「そうだな。とりあえず」 そして、私達全員が部屋を出た。 「これは、ガラスケースの補修費にうん十万は下らないな。」 ロマーヌがため息をついた。 お父様もがっかりしているはずだ。 私はエルマンドと別れて、控え室に入った。 「お嬢様、休憩ですか。」 「ええ、一人にして。急に睡魔が襲ってきたの。」 「鍵をちゃんと閉めておいて下さいね」 ロマーヌが扉の前で止まった。 「あとでね」 彼が微笑んで私の頬に手を伸ばした。 「おやすみ、スピア」 扉を閉める直前にすっと口づけた。 鍵を閉め、ふらふらとベッドに腰かけた。 ベッドの横の窓から外が見える。 この丘から閑静な街が見下ろせる。街明かりが美しい。 これからお父様にロマーヌのことをどうはなそうか。 他の方にも迫られるし、どうしよう。 「お嬢さん、溜め息なんてついてどうしたんだ。悩み事かな」 声がした。 「うーん、ええ。そう。何処にいるの」 「窓の外だよ」 ベッドから立ち上がろうとすると、待ってくれと制止の声がした。 「そのままでいい。僕は、通りすがりに浮かない顔をした美人がいたから声を掛けただけだよ。溜め息なんてついていたら、幸せが逃げてしまう。僕が悩み相談を受けるよ」 「…ありがとう。あのね、私にはフィアンセがいるの。 だけど、お父様には隠していて。私の執事だから。」 「それは、まぁ。言いにくいのもわかるよ」 「そう、それでも。許嫁もいづれは作られると思うし、早く言わないと駄目なんだけど。だけど、やっぱり」 「君が彼を好きならば、突き通さないと。」 「言えるタイミングが見つからなくて。 やっぱり、お父様は王子や富豪の次期社長と結婚してほしいって言うの」 「でも、きっと喜んでくれるはず。君が大切な娘なんだから」 「そうね。勇気を出して言ってみる。ありがとう」 「顔が明るくなった。君はその方がいいよ。それでは、また。」 待ってと声を掛けたがもう既に気配は消えていた。
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