〈1 真冬の山寺に向かう〉 

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 僕の職業は、仏像を作る職人、仏師だ。駆け出しではあるが、師匠のもとで修行を始めて五年になる。これまでは師匠に依頼される仕事を手伝ったり、自分で仏像を彫ったりというのをしていたが、今回は師匠経由で、瑞芳寺の本尊、不動明王の脇侍を務める制多迦童子像の修復を請け負っていた。自分の責任で請け負った初仕事だ。  仏師は仏像を彫るのが仕事だが、昔彫られた仏像の修復も行う。仏像の制作と修復は似て非なる仕事ではあるが、僕の師匠は作りもするし、直しもするので、自然と僕もそうなった。  その制多迦童子像の修復過程で、僕は、胎内から人骨が出てくるという、珍しいアクシデントに遭遇した。  それが意外に大きな騒ぎとなってしまい、対応ついて話し合うために、関係者が、瑞芳寺に急遽、本日二時に招集がかけられたのだ。  経緯を語れば少し長くなる。  僕が、師匠の工房に運び込まれた件の制多迦童子像に相対したのは三週間前。  制多迦童子は、不動明王と、脇侍の矜羯羅童子(こんがらどうじ)を加えて、不像三像と呼ばれている。  制多迦童子像といえば有名なのが高野山の金剛峯寺に収蔵されている、鎌倉時代の仏師、運慶によって作られたもの。凛々しい表情が印象的で、国宝に指定されている。  瑞芳寺の本尊は不動明王だ。今回修復を請け負った脇侍の制多迦童子像も見事なものだ。高さは約一メートル半と人並の大きがある。岩場を現しているのか、ごつごつした台座の上に身を置き、左手に持った金剛棒を足元に突き、その上に左肘をついている。視線は厳しく、眉間にしわを寄せ辺りを鋭い視線で見回してるのだ。  制多迦童子は心を怒らせた悪性の者といわれている。女性的で穏やかな表情を見せる矜羯羅童子とは対照的ではあるが、不動明王の真の心を知らない衆生に対して憤怒の心を込めて接するためともされている。しかし、僕はこの制多迦童子像に悪性を見い出せない。どこか理知的で冷静、物事の真実を静かに見据えている様子さえ感じられた。  制多迦童子像に限らず、仏像の修理には手間がかかる。この像は約百八十年前に作られたもので「寄せ木造り」という手法が用いられていた。仏像をすべて一つの木材から切り出すのではなく、それぞれパーツを作り、それを組み合わせて一体の仏像に仕上げる手法だ。鎌倉時代から使われている古典的な方法だが、現代でも木彫刻による仏像はこの方法が主流だ。  そのため仏像の修復はまず全てのパーツをバラす必要が出てくる。このくらいの大きさの仏像になると、組まれているパーツの数は数百種類に及ぶ。それを一つ一つ外して、きれいにし、欠けているところを継ぎ足し、色を足す。そのように修復は行われる。  この制多迦童子像も、師匠の工房で解体が行われた。装飾物を外し、台座から取り外す。大の男が数人で行う仕事だ。中はひび割れと軽量化対策のためにほぼ空洞になっているため、想像するほど重くはないが、それでも文化財の扱いは慎重になる。  僕は台座から外された制多迦童子像の底部分の蓋を外した。空洞になっている仏像の内部に時として興味深いものが入っていたりするのだ。ネズミがどこからかしまい込んだ紙くずだったり、仏像を作った職人が故意にしまい込んだ仏典だったり。そのようなものは「胎内納入品」と呼ばれる。  胎内納入品なんてお目にかかったことなどなかったが、それでもわずかに期待して、覗き込んだ。すると、手前になにやら陶器のような物体が納められているのを見つけた。明かりを照らし、軍手をはめた手でその物体を掴んで取り出した。  それは蓋の付いた焼き物の壺。取り出すと、胴体が少しふくらみを持ったシンプルな形のものだった。  どうも蓋が何かで固定されているようで開かない。そんなに重いわけでもない。何かが入っているのだろうか。僕はその壺をそうっと傾けてみた。なにか内部から音がしないかと思ったのだ。  中からかさかさと摩擦する音がする。何かが入っている。この形、そして中からする音。昨年祖母を亡くした僕はピンときてしまった。  これは骨壺だ。中身は骨だ。人骨なのかは分からない。  蓋が開かないので、中身を確認することは容易ではない。こじ開けるべきかと師匠に相談したところ、やはり無理矢理はまずいということになり途方に暮れた。  そんな折りに、姉弟子の加奈子さんの伝で首都大学の芸術学部が調査を買って出てくれた。歴史的な芸術作品などの調査を行う際にX線やCTなどを扱うらしく、その壺を調査してくれることになったのだ。それが二週間ほど前。その結果が昨日届き、やはり人骨であることが判明したという。  近く寺院関係者と対応を考えようと話していたところ、師匠の元に首都大学文学部の近江誠教授から連絡が入った。教授はO市の郷土研究に深い造詣があり、今回の骨壺の案件も調査を依頼していた大学経由で連絡が入ったらしい。その扱いについての話し合いに加わらせてほしいというので、今後のことを話し合うため、瑞芳寺に集まることになった。  これが今回、極寒の日に師匠と加奈子さんに付き添って貰い瑞芳寺に呼び出された理由だった。
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