〈1 真冬の山寺に向かう〉 

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〈1 真冬の山寺に向かう〉 

 はあはあはあ。    寒い。  しんどい。    僕は、今にも雪が舞いそうな極寒の中、アスファルトに滑り止めの舗装がされるほどの急な坂道を、息を切らしながら登っている。  ジーパンにユニクロのベージュのダウンジャケット、赤いコンバースのスニーカーという山歩きには心許ないいでたちで、自分でも呆れるほどにはあはあと息を切らしている。一歩一歩をのぼるのに普段は使わないような筋肉を使っているようで、体重がかかって脚が怠い。こんな心臓破りの、急な坂をのぼるはめになろうとは。  坂道の入り口に「この先すぐ」などと大きな看板があったのだが、あれは絶対に嘘だろう。アスファルトが続いているということは、まだ山の入り口なのだろうし、あとどれだけあるのかと前方を見つめても、視界に寺院など引っかからなくて絶望的な気分になる。まったくもって「すぐ」などではない。  以前訪問したときには車の後部座席にいたから、歩いたら大変そうだなぁと感じる程度で、特に気にもしなかったのに。  僕は振り返って、これまで登ってきた道を眺めたが、もう入り口は見えない。足許が悪くこのまま降りるのも難儀しそうだ。 「何度来ても……、この、道はしんどいなぁ」  僕の少し前を歩くグレーのダウンコートを着込んだ師匠が、やはり息を切らしながら呟く。僕の隣を歩いている姉弟子の加奈子さんも頷いた。  僕ら三人が目指しているのは、この坂道の先にある山寺、瑞芳寺(ずいほうじ)だ。 「ほら真琴、急げ。降ってきたぞ」  師匠の言葉に僕は空を見上げる。くすんだ色の空の奥から牡丹雪がひらひらと舞い落ちる。傘を持ってきていないのだが、激安ダウンジャケットの表面を軽く叩けば雪が落ちた。  僕は横を歩く黒いダッフルコート姿の姉弟子に視線を向ける。 「……か、加奈子さん、だ……大丈夫?」  一応、三人の中では最年少の僕だ。年上の加奈子さんを気遣ってもみる。すると加奈子さんはしんどそうに息を切らして、凍った息を吐くが、ちいさく笑った。 「だいじょぶ。……ありがと。でも、わたしよりマコくんのほうがしんどそうだよ」  僕は恥ずかしくなり、俯く。僕なんかが調子に乗りすぎて、気遣うものでもなかった。すると加奈子さんが、隣を歩きながら、僕のダウンジャケットの腕を叩いた。 「若者じゃん。もっと背筋伸ばして歩きなさいよ」  そう言って彼女は前を向いた。  師匠が僕を振り返ってにやりと笑う。 「そうだぞー。真琴。お前が一番ゼイゼイ言ってるんじゃないか?」  いい若いモンが、運動不足とは情けねえなあ、と師匠が煽ってくる。師匠だってぜいぜい息を乱しているが、突っ込むことだけは忘れない人だ。僕はフンムと口を結ぶ。そして、重い脚に気合いを入れて、これまでよりも三割増しの速さと力強さで登り始める。 「がんばれー」  加奈子さんが適当な声援を僕の背中に送ってきた。  僕らは、緊張感の薄い無邪気な雰囲気を漂わせて瑞芳寺に向かった。  山の中腹にある真言宗瑞芳寺には、東京の奥座敷といわれるO市の中心部から電車で十分ほど奥に行った駅から、さらに三十分歩いた山の中腹にある。電車の最寄りは、山の谷部分を川に沿って縫うように川と電車と国道が平行して走っているような、三十分に一本しか停まらない単線の駅。瑞芳寺は川沿いの車幅の狭い国道から山道に入り、さらに上がった先にある。  O市の中心から電車で三十分ほど都会側に行ったT駅を地元にしている僕も、ここまでくるのには一時間以上を要する。  こんな山奥、正直頼まれたって来たくはないのだが、仕事だから仕方がない。  そう仕事なのだ、と僕は今更ながらに気を引き締めた。うっかり師匠と加奈子さんのいつもの雰囲気に乗せられたが、あくまで、彼らは付き添いで、話し合いの主体は自分でなければならなかった。  この仕事を請け負ったのは僕なのだから。
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