〈5 気乗らぬ宿泊〉

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〈5 気乗らぬ宿泊〉

 外の牡丹雪は止む気配はなく、ただただ降り積もる。一面真っ白になり、その雪の嵩がかなりのものになった頃、テレビのニュース番組が映し出す都内の様子は一変していた。夕食後に皆で庫裏の居住スペースにある六畳の茶の間でこたつを囲んでテレビを観ていた。思わぬところで足止めをくらい宿泊となったため、そのくらいしかやることがなかったのだ。しかも、民放のほとんどは思わぬ大雪に遭遇し、半ばパニックに陥った首都圏の様子を絶えず伝え続けていた。  都内のJR、私鉄各線は軒並み雪の影響で運転を見合わせているとのことで、テレビの画面に映る、行き場をなくした人々は駅の至るところに行列を作っていた。これでは徒歩はもちろん、タクシーやバスでも帰宅するのに苦労する。 「こりゃあ、あのとき無理して帰らなくてよかったな」  頬杖をついて呟いた師匠に加奈子も頷いた。 「この寒さですし、助かりましたね」  この師弟の会話に猛も便乗する。 「都内であれだけ降っちゃうと、このあたりも大変ですよ。明日晴れたとしても気を付けてくださいね」 「なあなあ、真琴」  そう話しかけてきたのは弦。僕はやけに親しげな元同級生に、何、と言葉短めに応じた。 「おまえ、高校卒業してずっと仏師してたの?」  意外な質問だった。 「う、うん」 「大学行かなかったんだ。学年トップだったのに。もったいねーな」  弦の言葉に僕は驚いた。なんでこいつは僕が学年トップだったと知っているのだろう。 「ほう、真琴が学年トップだったとはなあ」  にやりと笑う師匠の言葉に、弦が頷いた。 「ですよ。ま、馬鹿の集まりの学校でしたけど。先生悔しがったんじゃねえの」  うちの学校で数少ない大学進学者を出すことができたのかもしれないのに、と笑った。  僕は何も答えなかった。答える必要などないと思った。  大学に行っていたら人生は今よりマシなものになっていたのだろうか。  いや、それはないな。もしかしたら、今よりも惨めだったかもしれない。  確かに、大学に行かずに仏師に弟子入りすると言ったら、担任はがっかりしていた。仏師になるのは大学を卒業してからもいいじゃないか、とりあえず進学する方向で考えろと説得もされた。  でも、高校でひとりぼっちだった自分が、果たしてキャンパスライフとやらをエンジョイできるのか、そんな想像はまったくできなかった。いいところ時間をつぶしながら、散歩をして図書館でひとりの時間を紛らわせるくらいだ。そんな精神的な苦行をあと四年もやりたくはなかった。下手をすると、大学に行くのが辛くなって、引きこもりからのニート、という人生の転落シナリオが浮かんでくる。僕は戦慄した。  そもそも僕が学年トップになってしまったのは、放課後の時間のつぶし方が分からなくて勉強をしていたからだ。もともと頭脳的に優秀なわけではないし、当初の目的だった高校は卒業できそうなのだから、よたつきながらも辛うじて歩く、真っ当な人の道を外す危険のある選択は避けたい。そのため、進学という選択ではなく、一刻も早く自分で稼ぐ道を見つけたかったのだ。自分ができるような仕事が見つかれば、最悪でも引きこもりやニートに転落することはない。  そんなときに浮上したのが職人になるという道だった。祖父の知り合いの僧侶が仏師に顔が利くという話で、師匠を紹介してくれた。  僕は特別な思いや大きな夢があって仏師を目指したわけではない。たまたま、そのチャンスがあって、それに乗っただけだ。とにかく手に職をつければ人間関係に難のある僕でも将来的に路頭に迷うことはないだろう、という堅実な計算に基づいた判断だった。  そうして選んだ仏師の道だった。当時、職人という仕事に無知だった僕は、手に職さえつければ平和に生きられると思っていた。  僕の横で、なにやらごそごそと動く気配がした。 「わたしはもうこのあたりで休ませていただこうと思います」  こたつから立ち上がったのは近江教授だ。和尚は壁掛け時計に視線をやった。 「ああ、もう十時ですか。結構な時間ですね」  その一言で、場が急に締めの雰囲気に包まれた。もうやることもないから寝ようかという空気だ。もちろん、僕もそれに異存はない。 「なあ、弦。これから一杯どうだ?」  そのなかで突如として提案された猛の一言に、僕の隣に座っていた弦はにやりと笑う。 「いいな」  弦はそして思いついたような表情を浮かべて、僕に向き直る。 「真琴もどうだ?」  僕も?  とっさに嫌だなあと思った。猛と弦のあのツーカーのやりとりに僕が入り込む余地はないからだ。いや、決して入りたいわけではない。二人だけの世界ができ上がっているのだから、疎外感を味わうのが嫌なのだ。  それよりも僕が後込みした理由は、猛の反応だった。弦が僕に話しかけたときに、眉根を寄せていかにも嫌そうな表情を浮かべた。僕は長年嫌われ者だったから、そういう気持ちは敏感に読み取ってしまう。 「い、いや……遠慮する。僕は酒が飲めないんだ」  嘘である。それを嘘であると知っているはずの師匠と加奈子さんはなにも言わなかった。 「マジでぇ?」  残念そうな表情を浮かべる弦に対し、猛は嬉しそうだった。 「じゃあダメだな」  仕方ねえ、ふたりで飲もうや、と猛は弦の肩を抱いた。そんなふうにあからさまに反応されたら、誰もが丸わかりだ。彼にとって僕は邪魔なのだと。  中学校の友達同士で仲良く飲みたいのだろうから、僕もそれを邪魔する気はない。弦が落ち込んでいる仕草を見せていることについては、無視をすることにした。だって、僕は猛とは合わないだろうし、もともと弦とも気が合うとは思えないのだから。
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