産まれたて親父

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 社長は1時間遅刻していらっしゃった。しかしこれまでの20数年もの大遅刻に比べれば問題ではない。御子息に連れられていらっしゃった時はご体調でも悪いのかと心配したが、どうやらそうゆうことではないそうだ。理由を聞いた時のご子息のはぐらかされる様子から家庭内の問題を察したので、深くは詮索しなかった。  とにかく社長がご来社くださり大変安心した。管理職に目を通していただく書類、受けていただく報連相は一日だけでも山ほどある。それが20数年分溜まっているのだ。早急に取り掛かっていただかなくてはならない。  エレベーターでの会話はなかった。収集すべき情報はいくらでもあるだろうにどうしたことだろうと、顔色を窺うと、部長は目に一杯の涙を浮かべられていた。私は心を打たれた。そしてその涙が、会社への申し訳なさによるものなのか、それとも己への悔しさなのかによるものなのが分からない自分の若輩さを少し恨んだ。  社長は立っていられない程胸が締め付けられていらっしゃるようだったので、私が抱えて社長室にお連れした。  会社中に社長のご来社を知らせると、直ぐに、各部署の部長が書類の束を持って社長室に入って来た。彼等の持って来た書類は天井に届く以上の高さがあったので、彼等は一様に屈みながら社長室に入って来た。 「社長、総務部からご確認いただきたい書類が56432枚ございます。お目通しを」 「社長、人事部から面談していただきたい最終選考通過学生が23211人おります。御面談を」 「社長、企画部からご確認いただきたい新製品の案が985943ございます。お目通しを」 「社長、経理部からご確認いただきたい見積書が75761枚ございます。お目通しを」 「社長、営業部からご確認いただきたい契約書が19884枚ございます。お目通しを」  私は、社長がこれから先の膨大な仕事量にうんざりなさるかと思った。しかし部長たちは自分が抱えて来た仕事を押し付けることに、またそれぞれの家族、またそれぞれの部下の家族を養う為の生活費等の滞納を解消する為に躍起になっているようだった。私は、自分が最後の防波堤になろうと決心した。確かに彼等の気持ちは痛い程分かるが、社長にもご自身のペースというものがある。  一言苦言を呈してやろうと、前に歩み出た時だった。社長が声を上げて笑われた。負担の余りの大きさに気が触れてしまわれたのかと思ったが、社長は手を叩きながら心から嬉しそうに笑われていた。  今度は私が涙を流す番だった。この荒波を笑って乗り越える精神の気高さに感涙した。  そしてそれは部長たちも同じだった。それを見た時私は、彼等もまた、社長の身を案じながらも、彼等が抱えている多くの人々の為に心を鬼にしていることに気が付いた。  社長は一言も言葉を発することなく、我々を一致団結させた。私は、一生をこの社長に捧げようと決心した。  そして社長は、眼前の書類を笑いながら次々と破り出された。吃驚したが、やがてその 感情は感服に変わった。社長は部長等を重荷から真の意味で解放なさったのである。  我々は急いでそれに続いた。課長以下も社長室に呼び、皆で書類を破いていった。次に社長がその仕事だったものをしゃぶり始められたので我々もそれに続いた。
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