a pint of bitter 6

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a pint of bitter 6

6 クレイトンの豪華なアパートから、ささやかな広さの自宅へと戻って、そこをひと通り片付け終え、一息入れようと、フリッジからビールの瓶を取り出した時だった。 カート(バディ)から、携帯デバイスに着信があった。 ひどく奇妙だった。 ヤツが休みの俺に連絡を寄こすことなど、まずめったになかったし、その着信音は、「緊急」コールのものだったからだ。 口につけかけたビール瓶を下ろして、俺は通話に応答する。 「マコ、今、どこだ?」と、問いかけてきたカートの声は、切迫して上ずっていた。 「家だが? どうした?」 俺は極力、低く抑えた声で応じる。 「緊急なんだ、マコ。とにかく、手の空いているヤツは応援をって、ルーが」 ……応援(バック・アップ)? 「一体、何があった? カート」 「とにかくマコ、すぐ来てくれ、マコの装備は、俺が持っていくから、場所は……」  * ――貴方とジョシュアとは、ずっといい関係を? という、エレーネの問いかけ。 その質問に、俺はこう答える。 「俺たちの付き合いは、二年が過ぎないうちに終わりを迎えた」と。 カートの言う緊急事態。 それは、突発的な銃撃戦の発生だった。 違法薬物の取引がらみの殺人事件。 関係しているのは組織的な犯罪集団(レップ・ギャング)の構成員らしかった。 そいつらが現場(げんじょう)に、ふたたび戻って来て、捜査中のオフィサーと鉢合わせした。 ――その事件の担当は、クレイトンとナナミだった。 俺たちの応援(バック・アップ)は、遅きに失した。 現場にいたのは、非武装の鑑識員一名とナナミ、そしてクレイトン。 一方、レップ・ギャングは、総勢九名だった。 駆けつけた俺たちは、嵐のようにレップ・ギャングどもを追いかけ、撃ち、拘束していきながら、複雑に入り組んだ廃倉庫の中、クレイトンとナナミの姿を探した。 怒号と銃声と、クレイトンたちを呼ぶ俺たちの喚き声のトーンが、少しずつ下がり行く中、ナナミの悲鳴が、悲痛に響き渡る。 床に座り込んで、倒れて動かないクレイトンの上半身を必死に抱き起しながら、ナナミは、半狂乱でクレイトンの名を叫び続けていた。 白い手を、腕を、頬を、何もかもを鮮血に染めて泣き叫ぶナナミを、誰かがクレイトンから引き離す。 それは、ミュルバッハだったかもしれない。 今朝、見たときには、クレイトンはラベンダー色のシャツを着ていた。 だがその色は、今、暗い、暗いブルー。 クレイトンは、サブマシンガンの銃弾を、浴びるように被弾していた。 ナナミも、脚に一発、肩に二発、銃弾を受けていた。 クレイトンを抱きしめて、ただ座り込んでいたのは、絶望のせいだけではなくて立つことができなかったからでもあったのだ。 レップ・ギャングが絡む可能性が、相当に濃厚な事件。 その現場を、オフィサーふたりだけに対応させた。 そんな判断を下した管理職に、読みの甘さが無かったと言えば、それは嘘になるだろう。 たしかに、銃撃戦などというものに、特殊部隊でもない、主に「捜査」を任務とする私服警官(オフィサー)が遭遇することなど、まずありえない。 だがしかし、このような事態が起きうることが、全く予期できなかったと言えば、決してそうではなかっだろう。 クレイトンとナナミは、優秀なコンビだった。 だからこそ、指示を出した管理職(ルー)にも、油断があった。 「あの」ふたりなら、おそらく、大丈夫であろうと……。 ほとんどのことについて、分署のどのオフィサーよりも、ずっと優秀な能力を有していたナナミが、唯一、苦手にしていたのが、銃の射撃(シューティング)だった。 自分の力の足りなさが、バディに過度の負担をかけてしまい、そのせいで、あんな結果が引き起こされたのではないかと。 そのことは、おそらくずっと、ナナミを責めさいなみ続けたはずだ。 だが、客観的に見て、ナナミの責任ということは、あり得ない状況だった。 たとえ、ナナミ以外のどのオフィサーが現場にいたと仮定しても、二対九では、話にもならない。 それでも、クレイトンの発射した銃弾は、確実に敵を撃ち抜いていた。 居合わせた鑑識員を、ほぼ無傷で守り抜いたのは、クレイトンの卓抜したシューティング・テクニックであったこともまた、確かだった。 そうやって、前面に立って反撃したクレイトンは、自分たちへと雨のように降り注ぐ銃弾の盾になった。 目の前でバディを射殺されたナナミは、罪悪感に打ちのめされ、壊れかけていた。 クレイトンの警察葬で、ナナミがまともに立っていられたのは、後ろに付き添っていたミュルバッハが、ずっとその背を支えていたからだ。 そう……それでも。 それでも、ナナミには。 支える腕があった。 強く大きく、岩のように揺るぎなく、片時も離れずに……。 だが、俺には。 俺には――  * 「その、怪我をした女性のオフィサー……ナナミは、どうしているの?」 いつの間にかエレーネは、マコーネルの肩に手を置いて、掌でそっと愛撫を施していた。 ――クレイトンのことがあった後。 ナナミのオフィサーとしての復帰を絶望視する向きは、分署にも多かった。 オフィサーどころか、事務官だって難しいだろうと。 それほどまでに、ナナミは打ちのめされていた。 だがナナミは立ち直り、戻ってきた。 そして今でも、彼女は、ステイツでただ一人の女性オフィサーだ。 つい先ごろ、ある会合で、久しぶりにナナミと顔を合わせた。 ……相変わらずだ、本当に、まるで変わっていないな。 ナナミをひと目見て、俺はそう思った。 「歳を取るのを止める方法」というものでもあるというのか? と、そんな益体もないことを思いつくほどに。 艶めく黒髪も、抜ける白さの肌のきめ細やかさも、朱色のくちびるも、華奢な身体も、何もかもが「あの頃」のままに見えた。 「マコ、元気? 最近どうしてる?」 ぶっきらぼうなほどに、ごくサバサバとしたあの口調も、昔のままだった。 互いに当り障りのない近況報告。 そして俺は、管理職ならではのちょっとした愚痴などを口にする。 そんな立ち話をした別れ際、俺は、ふと思いついたように言った。 「それでナナミ、ミュルバッハとは、いつ結婚するんだ? まだ続いてるんだろう?」 「なにそれ? 余計なお世話だよ、マコ」 そう言い捨てて、でも、笑顔も一緒に置いて、ナナミは去って行った―― クレイトンを失った後。 俺もナナミも、ヤツに関するすべてが、あまりにもつらくて。 互いに互いを避け合っていた頃もあった。 ナナミは、魅力的な女性だった。おそらく俺たちは、互いのことを疎ましく思っていたわけでは決してなくて。 むしろその逆に、なんらかの好感は、ずっと抱きあっていたように思う。 なのに俺たちのベクトルは、何かに操られるかのように、どうしても向き合うことはなかった。 おそらく、そんな巡りあわせの男と女もいるのだ。 ごく近づくことはあっても、やはり、ただ、すれ違うだけの……。 「クレイグ……クレイグ?」 エレーネの呼び声に、マコーネルの思考が引き戻される。 ローブを羽織ってベッドに戻り、エレーネはその腿の上に、マコーネルの頭をそっと載せた。 「じゃあ、『貴方』の喪失感を埋めてくれたのは……貴方を支えてくれたのは、誰だったの?」 エレーネは、マコーネルの髪を、そっと指でくしけずりながら、囁きで問いかける 「貴方たちのことを……貴方とジョシュアとのことを知っていたのは、その『ナナミ』しかいなかったのに」 そうだ、俺たちの関係を知っていたのは、ナナミだけ。 あとは、おそらくミュルバッハ……。 誰にも知られていなかった。 そして、誰にも知らせるつもりもなかった。俺たちのことは、誰にも。 だから、心の空洞は、ひとりで埋めるしかなかった。 ヴェイパーに手を伸ばそうとしたマコーネルの指先を、エレーヌがそっと押しとどめる。 「クレイグ、貴方には『配偶者(パートナー)』がいたことはなかったのよね? ではステディな人は……? そのことの後に」 いや、と噛みしめるように応じて、マコーネルが続ける。 「ごく短い付き合いの女性が、数人……かな」 「じゃあ、彼が、ジョシュアが、貴方にとって、最初で、そしてたったひとりの(ひと)だったのね……」 溜息のように言って、エレーネは、膝の上のマコーネルの頭を、そっとそっと撫でた。 「……ああ、きっと貴方はまだ、泣いていないのね、そうなのでしょう? 彼のために、まだ涙を流せないままで」 そして、エレーネは、マコーネルの頬の傷を、指先で撫でる。 かつて、ジョシュ・クレイトンが、そうしたように。 まるで、頬に残った涙の跡を拭うかのように。 「泣いていいのに……悲しい貴方」 子守唄の旋律めいて、エレーネが囁いた。 ――クレイトンが……男だったから、戸惑った。 男だったから、ためらった。 だが、俺の立てた問いは、それ自体が無意味なものだったのだ。 欲望の対象が、女なのか、男なのか。 それは、さほど重要なことではなく。それはただ「相手」次第のことで……。 その人間を、その相手を、愛して欲する。 ただそれだけの、ごく簡単なことには、何も問題はなくて、なんら問題はなくて。 ジョシュ・クレイトンという人間を、俺は愛し、求めた。 そんな日々があったのだ、かつて……。 「ひどくせつないことを、話してくれてありがとう、クレイグ」 エレーネの言葉に、俺はゆっくりと首を横に振った。 確かにつらい出来事ではあった。 思い出は、まだせつないままだ。 だがおそらく、誰の人生にも何かしらあるはずだ。 涼しい味わいのあとに、うっすらと苦みの残る、そんな出来事が。 ビター一杯分ほどの、ほろ苦さの―― 「では、私の『一杯のビター』も、貴方に聴いてもらわなければね」 「……聴かせてくれ、エレーネ、良かったら」 ――さらけ出さなければ、さらけ出してもらえない。 クレイトンは、そう言った。 そうだな、その通りだ。 「でも、私たちは少し眠りましょう、クレイグ……もう、とても遅い。だから、話の続きは、また、ふたりで目覚めた後で」 言ってエレーネが、身体を横たえながらマコーネルを抱き締める。 マコーネルもまた、そっとエレーネの身体を抱いて。 そしてふたりは、目を閉じた。 (了)
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