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1(2) 自分たちの世界に紛れ込んできた女を快く思わない連中(オフィサー)は、やはり、少なからずいるだろう。 しかもそれが、なかなかに優秀だったりすれば、なおさらだ。 そこへ飛び込んできて、さらに、その中でもしのぎを削った上でなければたどり着けない私服警官のポジションを、ナナミは得ているのだ。 さぞやりにくかったろうし、相当な風当たりだったに違いない。 まあ、大したものだよな……。 それが、マコーネルのナナミに対する正直な評価だった。 クレイトンとナナミは、分署内でも相当に優秀なコンビだ。 事件の解決率は高いし、有罪率もかなりのもの。 そもそも、ジョシュ・クレイトンというのも、またソツのない男なのだ。 警察学校(アカデミー)首席卒と聞いている。 だがナナミも、そんなバディに引けを取るようなオフィサーではない。 ステイツの男性の中でも、体格・体力が秀でた連中がこぞって集まってくる。 そんなオフィサーたちの中で、走り回るにも装備を担ぐにも、女性の身ではどうにも歯が立たないことはあるだろう。 しかしそれ以外においては、ナナミは他のオフィサーの誰よりも優秀だった。 プロファイル等、捜査関連の知識は、ほとんど専門職級だし、それらが事件解決に役立つ知識であることも、身をもってたびたび証明していた。 「だからこそ」なおさら気にくわないのだと、そう思う輩がいても、勿論おかしくはない。 しかし、そんな連中とて、基本的には責任ある職務に携わるいい歳の大人なのだ。クラスの優等生が煙たくて気に入らないからといって、いじめに走るようなローティーンのガキではない。 渋々であれどうであれ、少なくとも分署の同僚たちのほとんどは、ナナミの実力を認めているに違いなかった。 分署(プリシンクト)の建物からほど近くの文書庫。 目的の光ディスクは、その地下にしまわれていた。 マコーネルの説明をすぐに飲み込み、ナナミは手際よく、データのチェックに取り掛かる。 穴倉のような埃っぽい地下室の中、単純作業の繰り返しではあったが、チェック作業はリズムよく進んでいき、単調さの中にも、マコーネルはどこか小気味いい心地良さを覚え始めていた。 ナナミとマコーネルとの間に、ポツリポツリと会話も始まる。 それはごく他愛ない世間話だった。 だが、ナナミとまともに言葉を交わしたのは、実はこれが初めてなのだということに、マコーネルはふと気づく。 今のカートは、マコーネルにとっては三人目のバディだった。 無論カートもそうだが、前のバディもふたりとも、ゆうに六フィートは上背のある、いかつい男だった。 つまり、目に入るのは、基本的にゴツい男たちばかりというのが、マコーネルの毎日だ。 しかし、今日は少々様子が違った。 ふと目線を動かせば、フレンチスリーブからのぞくナナミの細くて白いすべすべとした腕が視界に飛び込んでくる。 マコーネルにとっては、それは相当に新鮮な眺めと言えた。 「相棒(バディ)が女性」っていうのは、どういう気分なんだろうな? そんなことがつい、マコーネルの頭をよぎる。 そして、マコーネルは、ジョシュ・クレイトンの顔を思い浮かべた。 いつ見ても、ごく涼しげで貴公子然としている、その表情を。 ジョシュとナナミは「デキて」いるなどという話は、時々ロッカールームで持ち上がるネタだった。 そんなものは良くある下世話な噂の類だろうと、マコーネルも思ってはいる。 とはいえ、クレイトンのヤツも男だ。 たまにはバディ相手に、妙な気分になったりすることがあるのだろうか? いや、それはないだろうな。 マコーネルは、微かな苦笑いとともに、すぐさま心中で打ち消しの言葉を吐く。 クレイトン(あいつ)に限っては、ないだろう。 どんな些細なことであれ、何らかの失態を犯すようなことがあり得る人間には見えない。 勿論、クレイトンとて生身の人間だ。一度や二度の失敗や挫折ぐらい、経験したことがないはずもない。冷静に考えればそうなのだ、だが。 あの男に関しては、その人生に、ほんの一滴のシミすらありえないに違いないと、そんな風に思えて仕方がないのだ。 クレイトン家は、良く知られた名門だ。 そんな家の人間が、よりにもよって「オフィサー」になるというのも、やや奇妙なことだ。 というか、一族中を見渡したって、そんな人間、彼の他にはいないだろう。 そう、よりにもよって、ヤツはなぜ、オフィサーなんかになったのか。  他にいくらだって、やることはあったはずだ。 考えて見れば、それはかなり疑問なことだった。 なにか「訳あり」なのかもしれないと、勘ぐることだってできる。 しかし、それでもなお。 マコーネルの目には、ジョシュ・クレイトンが完璧な人生の持ち主に見えてしかたがなかった。 それはもしかしたら、あの整いすぎるほどに整った、優雅に王子めいた横顔のせいなのかもしれない……。 「マコーネル、あのさ」 ナナミに問いかけられ、マコーネルは物思いから引き戻された。 「プライベートな質問してもいい?」 物言いこそ、ごくつっけんどんだが、ナナミの声は見た目と同じく、なかなかに可愛らしかった。 「まあ……ものによるが」 マコーネルが、こんな風に曖昧に応じてしまったのは、ちょっと面映ゆいような気持ちがあってのことだった。 「マコ、結婚してないよね、パートナーとかステディっている?」 あっけらかんと頓着なく、ナナミがこう口にする。 おいおい。 一体、どういうつもりだよ? 「……ひょっとしてお前、俺のこと口説いてるのか」 「うん」と、あっさり肯定され、マコーネルは呆気にとられてしまう。 その後も、ナナミは色々と問いかけてきたが、すっかり毒気を抜かれたマコーネルは、ごく間の抜けた返事しかできないでいた。 そんな自分をマコーネル自身、ほとほと情けなく思い始めた頃、とどめのようにナナミが言った。 「っていうかさ? マコーネル、わたし、あんたと寝たいんだけど。どう?」 マコーネルの頭の中は、真っ白に吹き飛んだ。    * マコーネルの肘先が、積み上げられた光ディスクに当たった。 盛大な音とともに、ディスクが床へと崩れ落ちる。 ナナミが、淡々とディスクを拾い始めた。マコーネルも、慌ててそれに続く。 「どうかな、マコ? あ、もし厭ならサックリ断ってね、セクハラはしたくないし」 拾い集めた光ディスクを束にしながらナナミが言った。 厭なら……って。 おい、待てって。 なんだ、いきなり、言うに事欠いて。 ろくな前置きもなく「寝たいんだけど?」だと!? 飲み代のオゴリ目当てで、週末の閉店間際のバーにたむろするアバズレでもあるまいし。 単刀直入にもほどがあるだろう。 まして、今は職務中だし、そもそもここはバーでもないんだ。 マコーネルの胸の内に、そんな狼狽と混乱が荒れ狂う。 それが、腹立ちのようなものに変わり始めたとき、ナナミが仔猫めいた黒く潤んだ瞳で、マコーネルの顔を覗き込んだ。 「厭」なわけない――。 警察内で、決しておおっぴらに口にされることはないが、多分誰もが知っているだろう。 実のところナナミは、陰でこうも呼ばれていた。 ――「ゲイシャガール(セクサロイド)」と。 「ゲイシャガール」というのは、黒髪のオリエンタルの女性を模した最高級品のセクサロイドのことだ。 超高級植毛サロンでしか取り扱われないような人造毛髪を、量、長さともにたっぷりと用いて。 公的保険の(一般庶民の)皮膚移植治療などでは、絶対に使われることのないレベルの人工皮膚で全身くまなく包まれた人形。 電子的にも物理的にも、技術の粋を極めたセックスの玩具。 とんでもない高額商品ではあったが、ひとたび、その魅力、抱き心地に骨抜きにされてしまえば、なけなしの有り金をはたき切ってしまうほどに溺れてしまいかねないと言われてもいる。 とはいっても、実際に「ゲイシャガール」を抱いたことのある男というのも、それほど多くはないはずだ。 マコーネルとてセクサロイドと寝たことは、一度もなかった。 セクサロイドは、一応、違法な商品ではない。 しかし、表だって売買されるような品物とはみなされていなかった。 良識ある大人は、そういった商品など、まるでこの世に存在していないかのように振舞うべきとされているものだ。 しかし一方で、それなりの歳であれば「ゲイシャガール」の姿を目にしたことがないなんて男など、いようはずもなかった。 いわくありげな店のショーウィンドウに陳列された「それ」の実物を、わざわざ見に行くことはしないにしても、オンラインで、ちょっとバーチャルストアを覗けば、あらゆる「ゲイシャガール」の三次元ホロを見ることができるのだ。 色白で、オリエンタル特有の表情の読めない顔立ちや、華奢だがバランスのとれた体つきは、どうにも人工的な印象で。 ナナミの何もかもが、「ゲイシャガール」を思い起こさせる。 オフィサーとしてのナナミを、「まあ、大したものだ」と評価するマコーネルの気持ちに嘘はない。 だが、「まるで『ゲイシャガール(エロおもちゃ)』のような女である」というのもまた、マコーネルのナナミに対する見方でもあった。 だから。 いくら今、解決の目途のつかない事件の捜査に忙殺されているとはいえ、手にした網に飛び込んできた魚を、みすみす海に戻すような真似をするほどに呆け切ってしまう気はない。 ――「いい女」だと思っていたさ。 当たり前だ、分署の男どもは誰だってそう思っているだろう。 「寝ないか?」だって? もちろん、寝るに決まってる。
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