138人が本棚に入れています
本棚に追加
/33ページ
1(3)
その後も、話はとことん早かった。
「出来れば『すぐ』がいい、今晩はどうか」と。
ナナミの言いぐさはあまりに性急で、「ひょっとすると自分は担がれているのではないだろうか」などという不安が、マコーネルの胸に、思わずこみ上げてくるほどだった。
「六丁目の交差点のダイナーで落ち合おう」
終業後の待ち合わせ場所も指定され、マコーネルは、ただ頷き返す。
六丁目……か。
おそらく、あの店のことを言っているのだろうなと、大体の予想はつくが。
マコーネルが、あまりうろつく界隈ではなかった。
柄が良いとか悪いとか、そういうことではなくて。
分署からは妙に距離があるし、そうまでしてわざわざ足を運ぶほど、特別なものがあるわけでもない。
六丁目とスミスストリートの交差点というのは、そういうところだった。
分署の連中と、うっかり顔を合わせたくないのだろう。
ナナミの意図は、マコーネルにも容易に解った。
しかし……なあ。
昼飯に誘われるよりも気軽な口調で提案された話とはいえ。
一応、「ベッドイン」の誘いなのだ。
落ち合う場所が、どうでもいい野暮ったい店だとしたって、その後はどうするんだ? ってことだ。
そう。
「寝よう」と言われたのだから。
寝られる場所がなけりゃならないだろう。
このところ、ろくに帰れていなかったから、マコーネルの部屋は、とてもではないが人を招きたいような様相ではなかった。
しかし、だからといってハナっから、ナナミの家を当てにするのも気が引ける。
眠気覚ましのコーヒーを胃に流し込む間に、マコーネルはあれこれと考えをめぐらせ、六丁目からはそう遠くないホテルを思いついた。
少し前に雑誌かなんかで見かけた。まあまあ洒落た場所だったはずだ。
とはいえ、そこがマコーネルの印象に残っていたのは、紹介記事に「ロビーのバーには、相当な種類の地ビールが常備されている」という記載があったからだったのだが。
デバイスを立ち上げてチェックすると、今晩、部屋はまだ空いていた。
マコーネルは、少し迷ってから、下から二番目程度の客室に予約を入れた。
*
ホテルに部屋を取るなんて。
随分とはしゃぎすぎなんじゃないのか? 俺は。
などと、そんなことをモヤモヤと考えたり考えなかったりしている内に、終業時刻になる。
カートとジョシュ・クレイトンも、分署に戻って来た。
マコーネルはバディと、なんやかやと今日の成果を打ち合わせる。
これまでに何人か上がってきた容疑者には、どれも決定打がなく。
分署に連れてきて、事情聴取しては家に帰すという繰り返しだった。
その状況に、今日のところもまだ大きな変化はなかった。
光ディスクのチェックは、結果的には無駄足だったが、可能性の一つがこれで消えたことになる。
カートとクレイトンも、管区中を回って、あちこち裏取りに励んでいたようで、互いの成果をすり合わせれば、今後の捜査対象は、随分と絞れてきそうだった。
「明日もう一度、方針練り直そうぜ? マコ」
こう言い置いて、カートは帰っていった。
カートが自室に戻るのもおそらく二日ぶりだか、三日ぶりだかに違いなかった。
マコーネルも、デスクトップデバイスを断ち下げてタイムスタンプを押す。
席から立ち上がりながら、ちらりと伺うと、ナナミはジョシュと話し込んでいた。
ごく静かに、マコーネルはオフィスを出た。
*
指定された六丁目のダイナー。
マコーネルは、少し奥まった窓際のブースに腰を下ろした。
すぐにウェイトレスが、オーダーを取りに近づいてくる。
「ありがとう、だが、連れが来てからにするよ」と、マコーネルは彼女を下がらせた。
おそらく、じきにナナミも姿を見せるだろう。
そうマコーネルが予想したとおり、ほどなく、ドアを押し開けて華奢な女性が店に入ってきた。
ドアからナナミが入って来たとき、マコーネルは自分の気持ちが、パッと明るくなったのを感じた。
自分を探して、ナナミが視線をさまよわせる様子に、なぜだか喉の奥がせつないように締めつけられる。
「ごめん、長く待たせちゃったかな?」
言いながら、ナナミが前の席に滑り込んでくる。
嬉しさが込み上げる。
そう。
今の自分の気持ちを表現する言葉は、まさに「嬉しい」であろうと、マコーネルはそんな風に思った。
ただの野暮ったいダイナーだ。
ビールとテーブルワイン程度の飲み物しか出てこないような。
だからお互い、それぞれ薄い安いビールとテネシーウィスキーもどきのソーダ割りを片手に、湿気たチップスをつまむしかない。
だが、ナナミはそんなことには何の頓着もない様子で、ふと頭に浮かんだ昔話などを口にしている。
癖のように、グラスの水滴を拭うナナミの指先や、頬杖をついた白い顎先。
紅いくちびる、細いうなじを、マコーネルは見るともなく眺めやる。
悪くない。
こういう時間も悪くない。
マコーネルは思う。
話自体を、それほど真剣に聞いていたわけではなかったが、ナナミの話声は決して不快ではなかった。
物言いこそ、職場でのものとそれほど変わらず、ごくサバサバとそっけないものだったが、やけに媚びたりむくれたりすることのないナナミの様子は、ひどくカラリとしていて、マコーネルを気楽にさせた。
上手くいくのではないだろうか。
マコーネルの胸に、ふとそんな気持ちがよぎる。
それは、今夜一晩のことだけではなくて。
ひょっとしたら、何か、もう少し継続した関係を持つことができるかもしれない。
――何を考えているんだか、俺は。
ふと、マコーネルは我に返る。
別にこれまで、ナナミのことをそう言った意味で「意識していた」というわけでもないっていうのに。
俺も、ちょっとばかり舞い上がっているのかもしれないな……。
あえて自嘲気味に、マコーネルは自分に言いきかせた。
最初のコメントを投稿しよう!