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1(3) その後も、話はとことん早かった。 「出来れば『すぐ』がいい、今晩はどうか」と。 ナナミの言いぐさはあまりに性急で、「ひょっとすると自分は担がれているのではないだろうか」などという不安が、マコーネルの胸に、思わずこみ上げてくるほどだった。 「六丁目の交差点のダイナーで落ち合おう」 終業後の待ち合わせ場所も指定され、マコーネルは、ただ頷き返す。 六丁目……か。 おそらく、あの店のことを言っているのだろうなと、大体の予想はつくが。 マコーネルが、あまりうろつく界隈ではなかった。 柄が良いとか悪いとか、そういうことではなくて。 分署からは妙に距離があるし、そうまでしてわざわざ足を運ぶほど、特別なものがあるわけでもない。 六丁目とスミスストリートの交差点というのは、そういうところだった。 分署の連中と、うっかり顔を合わせたくないのだろう。 ナナミの意図は、マコーネルにも容易に解った。 しかし……なあ。 昼飯に誘われるよりも気軽な口調で提案された話とはいえ。 一応、「ベッドイン」の誘いなのだ。 落ち合う場所が、どうでもいい野暮ったい店だとしたって、その後はどうするんだ? ってことだ。 そう。 「寝よう」と言われたのだから。 寝られる場所がなけりゃならないだろう。 このところ、ろくに帰れていなかったから、マコーネルの部屋は、とてもではないが人を招きたいような様相ではなかった。 しかし、だからといってハナっから、ナナミの家を当てにするのも気が引ける。 眠気覚ましのコーヒーを胃に流し込む間に、マコーネルはあれこれと考えをめぐらせ、六丁目からはそう遠くないホテルを思いついた。 少し前に雑誌かなんかで見かけた。まあまあ洒落た場所だったはずだ。 とはいえ、そこがマコーネルの印象に残っていたのは、紹介記事に「ロビーのバーには、相当な種類の地ビールが常備されている」という記載があったからだったのだが。 デバイスを立ち上げてチェックすると、今晩、部屋はまだ空いていた。 マコーネルは、少し迷ってから、下から二番目程度の客室に予約を入れた。 * ホテルに部屋を取るなんて。 随分とはしゃぎすぎなんじゃないのか? 俺は。 などと、そんなことをモヤモヤと考えたり考えなかったりしている内に、終業時刻になる。 カートとジョシュ・クレイトンも、分署に戻って来た。 マコーネルはバディと、なんやかやと今日の成果を打ち合わせる。 これまでに何人か上がってきた容疑者には、どれも決定打がなく。 分署に連れてきて、事情聴取しては家に帰すという繰り返しだった。 その状況に、今日のところもまだ大きな変化はなかった。 光ディスクのチェックは、結果的には無駄足だったが、可能性の一つがこれで消えたことになる。 カートとクレイトンも、管区中を回って、あちこち裏取りに励んでいたようで、互いの成果をすり合わせれば、今後の捜査対象は、随分と絞れてきそうだった。 「明日もう一度、方針練り直そうぜ? マコ」 こう言い置いて、カートは帰っていった。 カートが自室に戻るのもおそらく二日ぶりだか、三日ぶりだかに違いなかった。 マコーネルも、デスクトップデバイスを断ち下げてタイムスタンプを押す。 席から立ち上がりながら、ちらりと伺うと、ナナミはジョシュ(バディ)と話し込んでいた。 ごく静かに、マコーネルはオフィスを出た。    * 指定された六丁目のダイナー。 マコーネルは、少し奥まった窓際のブースに腰を下ろした。 すぐにウェイトレスが、オーダーを取りに近づいてくる。 「ありがとう、だが、連れが来てからにするよ」と、マコーネルは彼女を下がらせた。 おそらく、じきにナナミも姿を見せるだろう。 そうマコーネルが予想したとおり、ほどなく、ドアを押し開けて華奢な女性が店に入ってきた。 ドアからナナミが入って来たとき、マコーネルは自分の気持ちが、パッと明るくなったのを感じた。 自分を探して、ナナミが視線をさまよわせる様子に、なぜだか喉の奥がせつないように締めつけられる。 「ごめん、長く待たせちゃったかな?」 言いながら、ナナミが前の席に滑り込んでくる。 嬉しさが込み上げる。 そう。 今の自分の気持ちを表現する言葉は、まさに「嬉しい」であろうと、マコーネルはそんな風に思った。 ただの野暮ったいダイナーだ。 ビールとテーブルワイン程度の飲み物しか出てこないような。 だからお互い、それぞれ薄い安いビールとテネシーウィスキーもどきのソーダ割りを片手に、湿気たチップスをつまむしかない。 だが、ナナミはそんなことには何の頓着もない様子で、ふと頭に浮かんだ昔話などを口にしている。 癖のように、グラスの水滴を拭うナナミの指先や、頬杖をついた白い顎先。 紅いくちびる、細いうなじを、マコーネルは見るともなく眺めやる。 悪くない。 こういう時間も悪くない。 マコーネルは思う。 話自体を、それほど真剣に聞いていたわけではなかったが、ナナミの話声は決して不快ではなかった。 物言いこそ、職場でのものとそれほど変わらず、ごくサバサバとそっけないものだったが、やけに媚びたりむくれたりすることのないナナミの様子は、ひどくカラリとしていて、マコーネルを気楽にさせた。 上手くいくのではないだろうか。 マコーネルの胸に、ふとそんな気持ちがよぎる。 それは、今夜一晩のことだけではなくて。 ひょっとしたら、何か、もう少し継続した関係を持つことができるかもしれない。 ――何を考えているんだか、俺は。 ふと、マコーネルは我に返る。 別にこれまで、ナナミのことをそう言った意味で「意識していた」というわけでもないっていうのに。 俺も、ちょっとばかり舞い上がっているのかもしれないな……。  あえて自嘲気味に、マコーネルは自分に言いきかせた。
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