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1(4) 三杯目の注文を取りに来たウェイターに、短く断りの言葉を告げたのは、マコーネルの方だったのか、ナナミの方だったのか。 だが続けて、そのウェイターに勘定を頼んだのは、マコーネルだった。 「会計、別にして」 ナナミが、すかさず付け足す。 デバイスの決済ボタンをそれぞれに押し、マコーネルとナナミは立ち上がった。 それとほぼ同時に、スウィングドアが押し開けられて、誰かが店内へと入ってくる。 ドアの桟に頭がぶつかりそうなほど大柄な男だった。 ……ミュルバッハ? マコーネルが口の中で呟く。 背後で、ナナミの気配がこわばった。 一体なんだって、こんなところにいやがるんだ? ミュルバッハのヤツ。 喉もとにこみ上げる苦々しさを、マコーネルは奥歯で噛み殺す。 同僚連中と顔を合わさないようにと、わざわざ、こんな場所で待ち合わせたっていうのに。 会いたくないときに限って、会いたくない人間に出会っちまうっていうのは、まったく。 と、そこでマコーネルの口もとが、諦念にふわりと緩んだ。 まあ、仕方ない。 世の中ってのは、そうしたものだ。 マコーネルはミュルバッハへと、挨拶がわりにちいさく頷いてみせる。 ミュルバッハもマコーネルに頷き返すが、すぐさま視線をそらして俯いた。 ミュルバッハは、明らかに落ち着かない様子だった。 ふと、マコーネルは「なんだ、ひょっとしてこいつも、『誰か』と待ち合わせか?」などと言ったことを思いつく。 ならば。 今晩の偶然の出会いは、互いの記憶から消えるってことになると考えていいのかもな。 お互い、特に何を口にする必要もなく……。 そんな事を考えながらも、実のところマコーネルは、ミュルバッハが決して口の軽い性質(タチ)ではないことも、良く解っていた。 だからマコーネルは、実のところ、今回の鉢合わせについて、それ以上の懸念を抱くことはなかった。 しかし、ナナミの方はというと、相変わらず神経質に気配を尖らせたままだ。 マコーネルは身体を屈め、ナナミの耳もとに顔を近づける。 そして、「ミュルバッハのことなら心配はいらないから」と、小声で告げた。 もちろんそれは、気持ちをささくれ立たせているナナミへの気遣いからの行為だった。 けれども同時にそれは、ナナミの透き通るように白いうなじに、さりげなくくちびるを寄せるための、マコーネルのちょっとした策略でもあった。    * 予約していたホテルのロビーに足を踏み入れた時、マコーネルの胸に、かすかに、面映ゆいようなためらいがこみ上げた。 やはり、いくらなんでも露骨すぎただろうか……と。 しかし、冷静に考えれてみれば、露骨すぎるのは「ナナミの誘い方」の方であろう。 そこに思い至る余裕もないというのは、やはりマコーネルは、いささか「舞い上がっていた」のかもしれなかった。 「そこのバーででも、飲み直すか?」 マコーネルは、うつむきながら口にする。 「……それとも」 問いかけに対し、ナナミが、ほぼ無表情のまま目を瞬かせた。 意図を読み取りづらいそのリアクションは、マコーネルの胸を、結構な深さでえぐった。 まいったな。 ……「ヤル気」を見せすぎたって感じか? マコーネルはくちびるを軽く噛みしめてから、このホテルに部屋を取っていることを、ボソリと告げる。 と、ナナミのつややかな黒い瞳が、きらりと煌めいた。 どうやら、気分を害したという様子ではないな。 マコーネルが、こう安堵した刹那、ナナミがマコーネルの瞳の奥をぐっと覗き込む。 「部屋に行こう、マコーネル」 ひどく妖しいような、そして、ひどく愛らしいような、曖昧な微笑を深紅の小さなくちびるに浮かべながら、ナナミは言った。 「……飲み直すなら、誰もいない場所がいい」 * ドアを開け、マコーネルは部屋に足を踏み入れた。 これ見よがしなロマンティックさとは無縁の、ごくシンプルなインテリア。 かといって、ただ素っ気ないだけの寂しげな場所というわけでもなく。 ほんの一輪ではあったが、飾られているのが正真正銘の生花であるせいだろうか。部屋には、そこはかとない高級感と洒落っ気もあった。 まあ……急場しのぎにしては、「あたり」の部屋を用意できたじゃないか? 下心を露骨に感じさせないような部屋の佇まいに、まずはホッと胸を撫で下ろし、マコーネルは、ミニバーからスパークリングワインの小壜をふたつ取り出した。 ひとつをナナミに手渡してから、自分の分の蓋を開ける。 そして、直接壜に口をつけ、泡立つ冷たい液体を喉に流し込んだ。 ナナミは壜を開けると、サイドテーブルのフルートグラスに、ぱちぱちと弾ける液体を注ぎ入れる。 そして、ステムの下の方をつまんで、グラスにくちびるをつけた。 顎先をつんとそらしながら、薄く緑がかった金の液体を味わうナナミの様子には、機械仕掛けの人形が、さも愉しげに美酒を味わっているような、ちぐはぐとした感じがあり、それがいわく言い難くなまめかしい。 この……セクサロイド(エロおもちゃ)め。 マコーネルは胸の内で、わざと嗜虐的な言葉を呟いてみる。 ただワインを飲んでいるだけのナナミの姿に欲情を覚えてしまった、そのバツの悪さを紛らせるように。 もうとっくに、マコーネルはすぐにでも「始められる」状態になっていた。 そんな、今にも突進してしまいそうな興奮の手綱を緩めようと、マコーネルは、ついじっと見つめてしまいがちになるナナミの白い首筋から、努めて目をそらす。 と、マコーネルの首に、すべらかな肌触りのやわらかいものが絡みついた。 ナナミの両腕だった。 サラリと軽い音とともに、青みがかった長い黒髪がマコーネルの眼前で揺れる。 続けて、頬が、顎が、首筋が、ナナミの指先で弄ばれた。 マコーネルの下腹部は、さらに熱く猛り出す。 肩を、鎖骨を、探り確かめるようになぞっていたナナミの細い指先が、不意に、マコーネルの胸の頂きへと降りた。 シャツ越しに触れられただけなのに、その場所に走った刺激は、ずくんと甘く重すぎて、マコーネルは、思わず息を詰まらせる。 なんのためらいもなく、ナナミの指先が、シャツの中へと入りこんできた。 愛撫は、怖ろしいまでに技巧的だった。 だが、そんな手慣れた振舞いをしながらも、ナナミは人形めいた表情を微塵も崩さない。 ――やっぱり、こいつは「ゲイシャガール」だな。 洩れ出でそうになる吐息と喘ぎを押し殺しながら、マコーネルはそんな風に思いを巡らせる。 それも、きっと最高性能の、最上級品だ……。 セクサロイドを抱いたことなどなというのに、マコーネルは、そんなことを思わずにはいられない。 というか、セクサロイド(モノ)を抱こうなどとは、正直、これまで一度も考えたことはなかった。 そんなものは、自慰と同じで、虚しさを孕んだ遊びのように思えた。 確かに、人と向き合うのは、大抵の場合、ひどく面倒で億劫なものだ。 「デート」を経ての「肉体関係」なんて、まどろこしい。 どれだけ気を使ったとしても、どこで躓いて失敗するかも解らない。 そうなったら、当然、セックスに辿り着くことだって叶わないだろう。 射精するだけならば。 それこそ、セクサロイドまでいかなくとも、いまどきは高性能の自慰用の製品がいくらでもある。 だから、それを使えば事足りるのだという意見もあるだろう。 無論、それも解らないではない。だが、しかし。 そんなことを言うヤツっていうのは、実は、本当に「良いセックス」をしたことがないんじゃないのか、と。 マコーネルは、そんな風にも思うのだ。 そう。 そんな「出会い」は、そう滅多には無い。 けれど、本当に時折、まれに。 身体も心も、互いに狂おしいほど満たしあえる出会いというものがある……。 ひとたび、それを知ってしまえば、それ以外は、ただ性欲を吐き出すだけの排泄行為にしか思えなくなってしまうような。 いや、排泄行為だって、それは大事だ。しないわけにはいかない。 別に自慰を否定するわけじゃないし、やらないわけでもない。 つまり要は、同じ「自慰」なら、馬鹿みたいにコストの高い「セクサロイド(エロ人形)」を使う必要もないだろう? と、そう思うだけのこと。 ――互いに、狂いそうなほど満たし合う。 そんなひと時を得るためのスタートラインは、とにかくまず、互いを尊重しあうことしかないと、マコーネルは確信していた。 だから、男にありがちな「相手をモノのように扱ってみたい」という性癖は、マコーネルには、どうにも共感し難かった。 モノを扱うように女性を抱くことなど、どうにもできそうにないし、「モノ」を抱きたいとも思えないのだ。 そして、「モノ(セクサロイド)」を「人」のように扱うこともまた、ためらわれる。 セクサロイドに対し、あたかも人間のパートナーに対するのと同様の思い入れを抱く所有者がいるのも事実だ。 ひょっとしたら、ある意味、セクサロイドはそういった用途を意図して、作成されているのかもしれない。 だが、両者の関係は、あくまでも「所有者」と「モノ」でしかない。 ――どこまで行こうが、最後の最後に辿り着くのは、結局、そこだ。 持ち主がセクサロイドに飽きることはあっても、セクサロイドが持ち主に飽きることはなく。 セクサロイド自身が、別の相手を求め、持ち主を捨てさることとて、ありえない……。 マコーネルの胸の尖りを重く痺れさせていた愛撫が、ふと止んだ。 「マコ、シャワー、浴びたい?」 ナナミの声に耳をくすぐられて、マコーネルは我に返る。 「シャワー」だって? もうそんな悠長に構えていられる余裕なんか、一ミリだってないのだが……。 張り詰めきったマコーネルの下腹部の叫びを言葉にするなら、ザッとまあ、こんなところだった。 「ナナミが構わないなら、このまま……」 それ以上は声にならず、マコーネルはナナミの細い身体を、きつく抱きしめた。
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