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「え、ナナミ? 今日は休暇を申請してるけど」
マコーネルの問いかけに答えて、ジョシュ・クレイトンが、手にしたカップから目線を上げた。
ジョシュの持つカップの中身は、分署の連中が、始終惰性で飲んでいる、オフィス備え付けのコーヒーサーバーで焦げ付いているコーヒーではなく紅茶。
自分で買ってきたものなのだろう趣味の良さそうな高級品で、マコーネルの鼻先にまで、ふんわりと上品なベルガモットの香りが届く。
ジョシュは、冷たいほど澄んだ水色の瞳で真っ直ぐにマコーネルを見つめながら、こう続けた。
「今日ナナミが不在だと、何かまずかったかな、マコーネル? 君たちの手伝いが決まる前から予定の休みだったんだ。ナナミは二週連続勤務になっていたからね、警部補も承認している」
ごく誠意ある応対。
言葉づかいこそ、ほどほどに気安くはあったが、ジョシュの態度は丁寧で、感情的にはごくニュートラルな、さらに言えば良くも悪くも、ひどく淡々としたものだった。
ジョシュ・クレイトンは、オフィサー連中にありがちな「おふざけ」やら「悪態」やらとは、常にまったく無縁だった。
上司にも同僚にも、容疑者にも被害者にも、誰に対してもまったく等しく丁寧に礼儀正しい。かといってそれは、慇懃無礼に過ぎるというわけでもなかった。
そんなジョシュのことを、内心で、「いけ好かない」と感じている同僚もいる。
オフィサーというのは大抵、「同僚」との間に、他の人間とは異なる親密さを構築しようとするものだ。いわゆる「絆」とか言われるようなものを。
そんな彼らにとっては、誰に対してもわけ隔てなく接するというジョシュの態度は、見えない壁を張り巡らされているように受け取られかねないものとも言えた。
ジョシュを気に入らない連中というのはおそらく、自分たちが、ジョシュ・クレイトンに「拒絶」され、「軽んじられている」ように思えて仕方ないのだろう。
マコーネルは、そんな事々を思いめぐらせながらも、
「いや、そうじゃないんだ、クレイトン。別にそれは構わない。ただ、ナナミの姿が、まだ見えないようだったから……」と応じて、軽く両手を振る。
ナナミが、今日一日不在であると聞き、マコーネルはすこしばかり、いや、かなり安堵していた。
なにせ「昨夜」の「今朝」だ。
マコーネルの胸の内には、まだまだ、相当に気まずい思いがあった。
ジョシュは無言のまま、じっとマコーネルを見つめ続けている。
……まさか。
昨日のことを、コイツが知っているわけもないよな。
そんなもやもやとした疑念が頭に浮かび、マコーネルは、ジョシュの視線にいたたまれない気分になりかけた。
だがすぐに、マコーネルは、ジョシュの瞳に、なにひとつ余計な感情が混じっていないことに気づく。
マコーネルに向けられたジョシュの視線の中には、探るような色も、もの問いたげな好奇心のきらめきも、下世話な含み笑いも何もなく。
そのアイスブルーの瞳は、ただ透明に澄み渡っているだけだった。
マコーネルは、ひとつ大きく頭を振って気持ちを切り替える。
「クレイトン、カートと今後の方針を話し合ってみた。それで……まず今日なんだが」
ジョシュはちいさく頷いて、さらに真っ直ぐにマコーネルを見つめた。
完璧なカットの施されたプラチナブロンドの髪。
ごくすっきりとしたギリシャ型の鼻、シャープな顎。
「貴公子様」だの「ブループリンス」だのといった渾名に事欠かない、整いすぎるほどに整っているジョシュのルックス。
こういうのもまた、ヤツの持つ近寄りがたいムードに拍車をかけている一因なんだろうな。
そんなことを考えながらも、マコーネルは、努めて事務的にジョシュへ説明を続けた。
「それで、その前に令状をいくつか取りに行かないといけなくて」
「今週の……担当判事は誰だろう?」
ジョシュが、マコーネルの話の途切れ目を捕え、ごく涼しげにつぶやいた。
そして、さりげなくデスクトップデバイスに指先を伸ばす。
きれいな爪だった。
高級理容店で手入れをしているのだろう。三番街あたりにありそうな老舗とかで。
「担当は、レッドストーン判事だな……」
モニターから顔を上げて、ジョシュが続ける。
「正直、面倒な相手だと思うけれど?」
ジョシュの言うとおりだと、マコーネルも内心ですかさず賛同した。
レッドストーン判事は、杓子定規な分からず屋で、厭になるほど礼儀にうるさい人間だ。
つまりは、マコーネルの相棒である、血気盛んなやんちゃ者のカートが、最も苦手とする類の相手。
そして、レッドストーン判事の方だって、カートを気に入っているとは、到底言い難い……。
「えー、その、すまないんだが……クレイトン」
マコーネルは、うつむきながら軽く頭を掻く。
「いいさ、マコーネル。解った。別に問題ない」
マコーネルに皆まで言わせぬうちに、ジョシュはさらりとこう応じた。
「これから君と一緒に、令状を取りに回ればいいんだろう?」
言って立ち上がると、ジョシュはスーツの上着に、するりと腕を通す。
その振舞いが、あまりに優雅過ぎて。
マコーネルは、かたわらに立つ自分が、執事か何かのように上着を着せ掛けてやらなければならなかったのではないか? と思ってしまいそうになったほどだった。
ジョシュがマコーネルを振り返る。
「さあ、行こう。面倒なことはさっさと済ませるのがいい」
本当に。
悪いヤツじゃないんだよな。
気が利いて、親切で、思いやりもある。
キビキビと仕事も早い。
ただちょっとばかり。
そう、ちょっとばかり。
「王子様過ぎ」ってだけで。
高級スーツの裾を、ひらりと翻して歩き出すジョシュ・クレイトンの背中を見つめながら、マコーネルは、ちいさく両肩をすくめてみせた。
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