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背後を歩くマコーネルを一度も振り返ることなく、ジョシュは、駐車場へと歩いて行く。
そして白銀のセダンへと歩み寄って、ドローンキーでロックを解除した。
ナナミとジョシュが、いつも使っている車両だ。
そこでやっと、ジョシュはマコーネルを振り返る。
右手の親指と人差し指で鍵をつまんでチャラリと鳴らし、
「いいかな?」と口にして、ジョシュは軽く首を傾げた。
車体の選択のことを言っているのか、それとも自分がハンドルを握ると言っているのか。
どちらとも受け取れたが、いずれにせよマコーネルに異論はない。
両肩をすくめて、「どうぞ」と低く応じ、マコーネルは助手席のドアに手をかけた。
遅刻ギリギリの同僚たちが、分署の玄関へと向かっている。
それをかき分けるようにして、車は走り出した。
街はまだ朝のざわめきで、低いエンジン音とまじりあうノイズは、車内の静寂を消し去ってしまうほどではない唸り。
乗りなれない車。見慣れない相手。
マコーネルは、流れる沈黙に気まずさを覚え始める。
しかし、だからといって、無理無理になにか話題をひねり出して「くっちゃべろう」という気にも、もちろんならなかった。
ジョシュと並んで、正面を向いて座っているのもまた、なんとなく面映ゆい気分がしてきて、マコーネルはことさら、サイドウィンドウ越しに外の景色を眺めやる。
「……たまには運転したくてね」
唐突に、本当に唐突にジョシュが口にした。
それは完全なる不意打ちだった。
マコーネルは思わず、「え?」と間抜けな声を上げる。
「めったにハンドルを渡してくれないんだ、ナナミは」
ジョシュの口調は、ごくごく涼しい。
運転席の横顔は、首筋の真っ直ぐ伸びた、いつもの貴公子然とした表情だった。
「そう…なのか?」
どんな返答をしたらいいのか思いつかず、マコーネルはとりあえず、こんな曖昧な相槌しか打てなかった。
だが直ぐに、「運転、上手いのか、ナナミは」と付け足す。
おや、知らないのかい?
とでも言いたげに、ジョシュが自分へと視線を向ける様子を、マコーネルは、フロントグラスへの映り込みを通して見た。
そしてジョシュは、「上手いさ、『べらぼう』に」と応じる。
「小さな頃からキッズレースでならしてたらしくてね、ライセンスは『SS』だ」
「『SS』?!」
マコーネルは、感嘆の口笛を一息鳴らす。
「しかし『SS』とは、そいつはまた……」
すごいな……と言いかけて、マコーネルが言葉を途切れさせる。
ジョシュが「だろう?」とでも言いたげに、ハンドルから片手を離して、掌を上に向けてみせた。
マコーネルが続ける。
「『SS』ライセンスの『ドライビング・テクニック』とやらが、どんなものか、一度ぐらい、乗せてもらいたいものだな」
まあ、そんな「チャンスがあれば」だが。
……なにせ、昨日は「乗りそこなった」わけだし。
やや自虐的に、マコーネルは、そんな気持ちを噛みしめる。
そっちの方の「ドライブ」のチャンスは、もう、まずなかろう……。
「ナナミを助手席に座らせて運転するのも、結構気を遣うんだ。クラッチの踏み込みから、ハンドルのタイミングまで、いちいちチェックされてる様子、感じるからね」
言ってジョシュが、ギアレバーを握る。
クラッチペダルのある車など、いまどき旧式も旧式。
流通もあまりしていないから、「あえて趣味で乗る」連中が「わざわざ」入手するようなものだと。
一般的には、そう思われている。
だが警察の車両には、いまだに結構、マニュアル車があるのだ。
オートマティックの車には、どれもしっかりとセイフティリミットがプログラミングされている。一定の性能以上は出せない。
もちろん、リミットを解除すれば、フルスロットルで走ることも可能ではあるが、それはいささか面倒な作業になる。
迅速な対応が必要な場合には、それではとても間に合わなかった。
だがマニュアル車なら、そこは問題ない。
運転手の技量次第では、それこそ「べらぼう」な高性能を発揮できる。
さらには、マニュアル車は、消耗しやすいブレーキディスクなどの部品の交換も安く容易だ。
酷使され故障が多く、しかも予算も厳しい警察車両には、まさにうってつけというわけで、いわゆる「武闘派」の車両ということで、一定数が確保されているというわけだ。
それでも通常の捜査活動で、わざわざ操作の面倒なマニュアル車に乗りたがるオフィサーは、実際そう多くない。
ジョシュとナナミのコンビが、なぜこの車体をいつも気に入って出庫しているのか。
思えばこれまで、そんな疑問をなんとなく抱いていたが。
今しがたのジョシュの話で、マコーネルは「ああなるほど」と、合点がいく気がした。
「『SS』持ってるなら、それはまあ、マニュアル車に乗りたいだろうな」と。
そしてマコーネルは、ふと思いついて、こう口にする。
「ああ……クレイトン、お前だって運転、割と上手いと思うけど?」
「ありがとう、マコーネル」
言いながら、ジョシュがクスッと笑った。
おっと。「割と」っていうのが、ちょっとマズかったか?
「いや、その…『結構』上手い」
マコーネルは、焦って言い直す。
「気を遣わないでくれ。ただちょっと、運転に関しては自分でもコンプレックスなだけで」
――コンプレックス?
貴公子ジョシュ・クレイトンの口から、そんな言葉が発されたことに、マコーネルは面食らう。
少しの間、また車内に沈黙が流れた。
今度はマコーネルが、その静寂を破る。
「……でも射撃は」
「え? なんだい、マコーネル」
「射撃はヘタなんだろ、ナナミのヤツは」
「ヘタだね」
ジョシュが、さらりと即答した。
「ヘタなんてものじゃない」
「そうか」
マコーネルが低く応じる。
「背後に立たれると、生命の危険を覚えるほどだ」
いつもの端整な表情を微塵も崩さず、ごく真面目にジョシュが言った。
マコーネルは、またもや意表を突かれた気持ちになる。
おいおい……。
王子様も一応、冗談くらいは言えるんだな。
まあ、「儀礼用」にしても、なかなか上出来じゃないか?
すると、洩れそうになる含み笑いをかみ殺すマコーネルの気配を感じ取ったのか、ジョシュが、軽く眉根を寄せながら言う。
「言っておくが、これは冗談ではないんだ、マコーネル。君にも助言しておこう。いいかい? ナナミがホルスターに手を掛けたら、すぐに後ろに下がった方が良い」
堪えきれず、ついにマコーネルは噴き出した。
ひとしきり笑い終え、ひとつ深い溜息をついて、マコーネルが言う。
「……まったく、お前も言うじゃないか、クレイトン。しかし、そんなにヘタなのか? ナナミ」
「ああ」と。
これまた、ごく涼しげにジョシュが答えた。
そして、ふと声音を緩めて、
「実際……彼女は『狙うべき的』を解ってないんじゃないのかなと思うね」
と、まるで独り言のように呟いた。
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