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「ゲイシャガール」とシューティング https://estar.jp/novels/25503422
の番外編でもあります
もしよろしければ、先に目を通していただけると、より分かりやすいかもしれません―――
1(1)
「っていうかさ? マコーネル、わたし、あんたと寝たいんだけど。どう?」
ナナミの言葉は、まさしく。
出会い頭に、横面を張り倒されたような衝撃だった。
伊達に私服警官稼業が、長いわけじゃない。
なぜいきなり、そんな、突拍子もない口説き方をされたのかと。
それを訝しんで、裏を読もうとする警戒心くらい持ち合わせている。
――普通なら。
だが。
*
目頭を指先で押さえながら、マコーネルは、ひとつ溜息を吐き出した。
デスクに肘をつき、瞼を閉じる。
軽い眩暈を感じた。
抱えている殺人事件の捜査は、まるで進展していない。
マコーネルとその相棒は、このところ、自分の家のベッドで寝ることもままならない日々を過ごしていた。
分署の仮眠室で、ほんの数時間、横になっただけ。
それが、マコーネルの昨晩の睡眠だった。
それもごく浅い眠り。
神経が張りつめきっているせいか、窮屈なベッドで、身体を折り曲げ横たわってる間中ずっと、事件の内容と書類と現場の写真と、事件解決をせっつく警部補の小言めいた声が、グルグルと頭の中を回り続けていた。
「よお、マコ! お前の分も買ってきたぜ、朝飯」
うつむくマコーネルの背中へ向かって、ポンと弾むように投げつけられたのは、相棒であるカートの声だった。
「喰うだろ、ツナサンド? ほら」
マコーネルはゆっくりと顔を上げ、相棒に礼を言う。
カートとて、マコーネル同様の忙しさ。
ろくに寝てないのも、家に帰れていないのも同じだ。
だがそれでも、マコーネルを見下ろすカートの黒い瞳には、それなりに力ある輝きが見て取れたし、声にも随分と張りがあった。
――若さってヤツか。
マコーネルの心の中で、ふと、そんなつぶやきが洩れる。
十は歳が違うからな。こいつとは。
つい、そんなしょぼくれたことを考えてしまった自分自身に、マコーネルはひとり苦笑する。
たしかに、分署のオフィサーの中では古株の部類だが、そこまでの歳ではない。
無論、もはや「青年」などとは、とても言えない。だがしかし。
同世代の出世頭だって、管理職には、まだまだ手が届かないぐらいの年齢だ。
疲れを感じているとするなら、おそらく。
それは単純に、肉体的なことだけじゃないのだろう。
ツナサンドを咀嚼しながら、マコーネルは、そんなことを思う。
塩気が舌を刺すだけで、サンドイッチはモソモソと味気なかった。
最後に、心底「美味い」と思って何かを食べたのは、いつだったか。
忙しさにかまけ、ろくなものしか喰っていないというわけではない。
たまには、気の利いた店に行くことだってある。
だが、何を食べても同じことだった。
最近では大抵のものは、美味くも不味くも感じない。
いくら忙しいとはいえ、マコーネルとて、いい意味でも悪い意味でも、仕事での力の抜き加減ぐらい、十分に心得ていた。
私服警官として、その程度の経験は、とっくに積んでいる。
その上、パートナーも子供もいない気楽な身だ。
家庭を持たない身軽さは、それなりには心地良く。
だがそれは、どこか惰性めいていて。
その隙間に、ほんの少しばかりの虚しさのようなものが忍び込んでいるのかもしれない。
「マコーネル、ちょっと」
警部補が、不機嫌に気怠い視線と横柄な頷きで、マコーネルを呼びつけた。
さっき送った報告書。
捜査のあまりの進展のなさに、また小言のひとつでも言われるのか、それともドヤされてハッパをかけられるのか……。
いずれにしても、そう愉快なことにはならなさそうだ。
マコーネルは、苦々しく口もとを引き上げた。
*
「で? ルーはなんだって?」
ガムを噛みながら、カートが訊ねる。
マコーネルは、両肩をすくめて溜息を洩らした。
「俺たちに『手伝い』を付けてくれるとさ」
「手伝い?」
おうむ返しにして、カートが濃い眉をギュッと寄せた。
「誰が? 誰が手伝うって?」
気に入らない連中や面倒なヤツらには、首を突っ込まれたくないと言わんばかりの口調だった。
「クレイトン達だ」
そんなマコーネルの返答に、カートは、軽く首を傾げながら「ああ、ジョシュとナナミか」とつぶやく。
なるほど? 「アイツらなら、まあいいか」っていう感じだな――
カートとパートナーを組んで三年。ちょうど互いの関係も「こなれて」きた頃合の年下の相棒の心境を、マコーネルは、そんな風に読み取った。
*
ジョシュとナナミに、いちいち捜査の詳細を説明している暇はなく、マコーネルとカートは、それぞれに、ジョシュかナナミを「補助」に連れて動くことにした。
なにはともあれ、二人分、人手が増えたのは大きい。
これまで後回しにせざるを得なかった、いわゆる「外堀を埋める」的な捜査にも手が付けられる。
無駄足を踏むには時間がかかり過ぎるが、ここまで捜査が長引いてしまっては、手を付けざるを得ない作業に。
コツコツと線を引いてリストをつぶしていくような捜査をカートが忌み嫌っていることも、そしてそんな作業を、カートが全くもって得意としていないことも、マコーネルには十分すぎるほど解っていた。
だから、自分向きの用事を見つけて、さっさと分署を出て行こうとするバディを、マコーネルはあえて引き留めることはしなかった。
そんなカートのあとを、ジョシュがスッと追いかける。
マコーネルとナナミは、オフィスに取り残されたような形になった。
自分から数歩離れたところにいるナナミへ、マコーネルはちらと視線を向ける。
ナナミは机の角に腰かけ、身体の前でキツく腕を組んでいた。
彼女は、ステイツでただ一人の女性警官という変わり種だった。
オフィサーというのは、世間的にも「男の仕事」と認識されている職種だ。
さらに警官、特に私服警官というのは、先史的マッチョ意識に凝り固まった連中の集まりのようなもの。
そんな中、「女ひとり」でやっていこうなどとは……。
よほどに雄々しく身体つきも逞しげな女傑なのだろうと、思う向きも多いに違いない。
だが、ナナミはごくごく小柄な女性だった。
生粋のオリエンタルの風貌。
青みがかって見えるほどの艶めいた漆黒のストレートヘアは、ちいさな動きのたびに、ハラリハラリと動く。
きめの細かい肌をした白い頬に小づくりだがくっきりとした目鼻だちは、磁器製の人形のようで、まるで年齢が読めない。
初めて姿を目にしたとき。
マコーネルには、ナナミが少女にしか見えなかった。
「あれがあの『女オフィサー』なのだ」と聞いて、顎が外れそうなほど驚愕したものだ。
するとナナミが、クッと白く細い顎を上げてマコーネルを見上げた。
化粧っ気はまるでないのに、ナナミのくちびるは濡れたような深紅。
長い睫毛で繊細に縁どられた黒目がちの目に、マコーネルは瞳の奥を覗き込まれる。
ふと、ナナミが身体を絞り上げるようにして、組んだ腕に力を入れた。
バストのふくらみが押し上げられ、シャツの胸元がやわらかくせり上がる。
思わず、そこへと向いてしまった視線を、マコーネルは慌てて、だがさりげなくそらした。
「それでさ、わたしたちは何すんの、マコ?」
ひどくゾンザイに、ナナミが問いかけてくる。
見た目からは、まるで想像がつかないような素っ気ない口調だった。
そりゃ、中身も外側同様、お人形さんみたいだったら、こんな仕事なんて勤まりはしないよな。
マコーネルは、胸の内でひとりごちる。
「……とりあえず文書庫のデータを洗いたいんだが」
マコーネルの言葉に、ナナミがひょいと身軽に立ち上がった。
はずみで瞼に落ちかかった前髪を、ちいさな白い指先で無頓着に払いのけるナナミの様子に、マコーネルの鼓動が、ドキリと弾む。
そんなような、ひどく落ち着かない気分を、マコーネルは奥歯できつく噛みしめていた。
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