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昇降口を出て、遠野くんと並んで歩いた。緑の葉の茂る桜の木が、風にさわさわと揺れている。
二年生の校舎は一番奥にあって、正門までは少し距離がある。まだ明るい空の下を、私たちは門に向かって歩く。
遠野くんの歩く速さは、この前岸本くんたちと出かけた時よりゆっくりだった。もしかしたら歩くのが遅い、私のペースに合わせてくれているのかもしれない。
校舎と校舎の間から、少しだけグラウンドが見えた。運動部が声を上げて走っているのが見える。亜希ちゃんも圭太くんも美織さんも、きっとあそこを走っているのだろう。
私は隣を歩く遠野くんのことをちらりと見上げた。遠野くんはまっすぐ前を向いていて、グラウンドの方を見ようとしない。
私が肩にかけたバッグをぎゅっと握りしめた時、遠野くんの声が少し上から聞こえた。
「重森さんはさぁ、彼氏いないの?」
「えっ」
思わず声を上げ、もう一度遠野くんを見る。遠野くんはにっと笑って、背の低い私のことを見下ろす。
「い、いないけど、なんで?」
「え、いないの? だって重森さんかわいいし。島田と高橋も言ってたよ。重森さんかわいいから、絶対彼氏いるに決まってるって」
私の顔がぶわっと熱くなる。
今、「かわいい」って言わなかった? しかも二回も……。
「そ、そんな。いないよっ、一人もっ」
焦る私を見て、遠野くんは噴き出すように笑う。
「一人も、って……一人以上いたら困るけど」
熱い顔のまま隣を見ると、遠野くんがいつものようにニコニコ笑っていた。
そうか。遠野くんはそういうセリフ、照れずにさらっと口に出せるんだ。冗談を言っているわけでも、おだてているわけでもなく、きっと思ったままを言っているだけ。
「じゃあ好きな人はいるの?」
遠野くんが私に聞いた。私は小さく深呼吸してから答える。
「いないよ。私……好きな人とか、いたことないの」
小学校でも中学校でも、そして高校でも。そんなふうに思えた人は、一人もいない。
強い風が桜の木を揺らした。私は風をよけるように立ち止まる。そんな私の隣で、遠野くんも立ち止まった。
「ねぇ、遠野くん」
風になびく髪を押さえながら、私はたずねる。
「好きな人がいるって……どんな感じ?」
「うーん……」
私のおかしな質問に、遠野くんは真面目に考えて答えてくれた。
「すっごく幸せで、だけどすっごく苦しくなる時もある……かな?」
グラウンドから、野球部の金属バットの音が響いてくる。校舎からは吹奏楽部の演奏が流れる。
「重森さんにも好きな人ができれば、きっとわかるよ」
遠野くんが私に笑いかけた。私の胸がきゅっと痛くなる。
なんだろう、この気持ち。なんだか私、変だ。
遠野くんがまた歩き出した。私も一歩を踏み出す。その時私たちの背中に、女の人の声がかかった。
「柚くん!」
遠野くんと同時に振り返る。そこには制服を着た美織さんが立っていて、私たちの顔を見て少しだけ微笑んだ。
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