《第一章 滅び》

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その七年後、時は二七〇年、劉仁は十四歳になっていた。南蛮の地で関羽や張飛の子孫と、南蛮族共々武人として鍛えられ、諸葛果のもと文学や兵法を教えられていた。関統の子関望は十七歳。関望は、猛虬とその家臣と共に劉仁に稽古をつけている。成長期である三つの差と武人の血とで、力は歴然、 「関兄、手加減してくれよ~。 もう、一つもまともに食らわせらんねぇ」 「仁、体格の差はあるが、前からみると、かなり強くなっておるぞ。槍に、早さがある」 「関兄、俺は、強くなれるかなぁー…」 「フッ…なれるとも。武とは、腕力のみならず。また、初代皇帝劉備玄徳は、武力ではなくその徳を持って大国を創りなさった。遺伝とは、素晴らしいもので、その力は、仁にもあるはずだぞ」 「徳…。武が全てではない…」 「その通り、漢の創設者劉邦もまた、武力で人を掌握した項羽とは対照的に、その甚大な、器で人が寄ってきたという。貴殿もそうなられよ」 「関兄、ありがとう! 頑張るよ」  若き勇者、劉仁と関望はまるで兄弟のようだった。この日、早い初陣が迫っているとは、全く知る由もなく毎日稽古に励んでいた。 「兄者!ただいま帰ったぜ、特に呉や晋の動きに変わりは無いようだった」  張緯は周辺警備、狩猟や開墾などで多忙であった。この時十五歳。劉仁と張緯もまた、寝食を共にし、兄弟として、お互いのこれから等を語り合い、その人なりを理解している中である。  劉仁は、『蜀の再興』の覇業を考えることには遠く及ばず、その日の安らぎを望み、のんびりな性格をしていた。多くの民が、民族を問わず戦の無い平和な世の中を切望し、関望、張緯もまた、その思いに沿うことを夢見ていた。  劉仁と関望、張緯は、戦乱から逃れた山賊などが頻繁に南蛮を荒らすので、猛虬の弟である孟優とともに、山賊討伐に出兵した。学問や軍略は、張紹の知人に教わった。襄陽の県令となっている龐統の孫、龐珍より時々来訪があり、劉仁は兵を統率する力にも長けて成長していった。  諸葛果は、劉仁に、 「五芒星は、守護の象徴です。五つの星が互いに影響を与えている様子を示し、拠点を中心を囲むように並び固い絆が生まれる意味を持ちます。劉仁殿の軍旗に致しましょう」  天は、我らをお守りくださる、そう願いながら劉仁はその旗を握りしめた。  魏は、司馬昭の子、司馬炎が魏皇帝曹奐を排斥し、自ら皇帝を名乗った。二六五年であった。曹奐は、禅譲を迫られ皇帝の座を奪われたのち、陳留王として玉座を追われ洛陽で生活を強いられた。こうして、司馬一族が、中華のすべて実権を握ることとなった。  国の名を『晋』と命名し基盤を固め、国の要職には、司馬一族が多く実権を握り司馬孚、司馬望の一族の者の他、衛瓘や鄭沖、王祥、石苞等が牛耳った。また、外戚として、賈充が中心を担い、蜀を滅ぼした後、彼らの矛先は、呉に向けられようとしていた。  呉は、三代目皇帝孫休が治めていたが、先代から後継者争いにより国力は貧窮していた。孫休の手腕により一旦落ち着きを見せていたが、二六四年病気により死亡した。長男に後を託したが、孫皓と配下により、その座を奪われ、孫皓が皇帝となった。孫皓は、暴君であり、意を唱える配下の顔の皮を剥ぎ容赦なく切りつけたという。内部からの信用もなく、南の地交州では反乱があり、今、晋が蜀を平定し敵は呉のみ。  呉は、限りなく窮地に立っていた。皇帝孫皓は、交州での反乱の平定に軍を向かわせていたが、ほぼ壊滅となる大打撃を受けたと報告があった。交州では、離反した呂興を総大将とする反乱軍が待ち構えていた。配下の無名の軍師が率いたその戦略は少数ながら十倍の力を持つとも言われ呉軍を恐れさせた。  交州と呉の県境での戦は激しかった。丁奉・施績・孫異などの猛将に軍勢を与え、交州城を攻めたが、反乱軍の罠に遭い軍の大勢を失うこととなった。呉軍は、一時態勢を整えるため、大将軍陸抗の指示を待っていた。  反乱軍の陣では、勝利の宴の真最中であった。その中には、反乱軍の総大将呂興と、両脇に老将と若者が座していた。呂興は、その二人に話しかけ、 「本日は、なんと旨い酒である。我が軍の三倍はある呉軍を蹴散らすなど、周大都督には、感謝の言いようもない」  周大都督というのは、呼び名である。その老将は、周胤。呉の大都督周瑜の次男であり、才はあるが、性格に難があり多くの臣と関係性を壊した挙句、孫権から幽閉された。その後、恩赦の声もあったが、受けいれられず牢の中で死んだとされていた。 「あのような、小童の軍など、飯を食うよりもたやすく平らげよう。俺を長く監禁し、名誉を傷つけた恨み、果たしてくれるわ、呉め」 そしてもう一人の若者は、諸葛質と名乗る。あの、諸葛亮孔明の孫であった。ある夜、周胤を牢獄から脱獄を手助けしたのは、紛れもない諸葛質である。 「諸葛の計略でここまで蹴散らせるとは思わなかったがな。お主、さすがあの孔明の血筋じゃ」 「周都督、謙遜いたします。若輩者であり、戦の経験もまだ数度しかありませぬ。実戦でこうして重用してくださり感謝いたします」 「諸葛質よ、我らが周と諸葛が手を組めば、中華統一も夢ではないかもしれぬな…」  そこに割って、呂興が、 「その夢の中には、我もいるのかな?」 「神輿では渡ることはできぬぞ、中華は。呂興将軍は、せいぜい、この城で酒でも飲んでいるがいい。しかし、この周の力、存分に使うには時が遅すぎたわい。諸葛よ、我は、戦に飢えておるのだ」  悔しそうに呂興が唇をかんでいる横で、諸葛質は問う。 「この先は、どう軍を動かしていくか。昨晩、星を見ると機運が変わる星の配置です。周都督、時はもう近づいているかもしれません」 「おう、わかっている。 陸抗が動き出したら、退却する。 呂興を置いてだ」 「なにっ! 我を置いて逃げるだと⁉」 その時、人が諸葛質に書簡を渡し、それを見るなり、悟った顔で、諸葛質は言った。 「呂興将軍、私たちに、陸抗が出てきては勝ち目はありません。勝てない戦いはしない方が身のため。遊軍である私と周将軍は、ここでお暇いただきます」 「せいぜい、城を守るのだな、呂興よ」  周胤、諸葛質は、手勢を連れて落ち延びていった。  晋より、霍弋らの援軍を受けたが、その日から、呉は陸抗が軍勢に加わり数日ののちに城は陥落し呉の勝利となった。呂興は、軍の配下に対する対応が粗暴であったため、部下に殺された。  呉軍の将と陸抗は、 「この戦、何かがおかしいと思わないか?今まで、神の力でも借りてるように、多様な計と武の敵の強さが、いきなり崩壊した。いったい、何者か…」 遠くを見つめた陸抗は、馬に乗って、戦場を背にした。
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