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時代背景および家系図
この話の舞台は、12世紀中頃のドイツです。
バイエルン公ヴェルフェン家の城塞であったヴァインスベルク城の伝説を基にしています。
この城でシュタウフェン家とヴェルフェン家が戦争を起こした理由ですが、遠くさかのぼると、ザリエル朝のハインリヒ五世帝が後継者男子のいないまま薨去したことが発端でした。
ハインリヒ五世帝の跡継ぎは、帝の姉妹の息子、つまり甥にあたるシュヴァーヴェン大公シュタウフェン家でほぼ決まりと思われたのですが、選定権を有した諸侯ならびに高位聖職者が揃ったマインツでの会議において選出されたのはザクセン公ロタールでした。
ロタール帝は男子がいないことから娘ゲルトルードをヴェルフェン家のハインリヒ倨傲公に嫁がせ、実質上の後継者とした後で薨去します。
ここでシュタウフェン家が大人しくしているわけがありません。
ほぼ手中にしていながら奪われた皇帝位を今度こそ一族のものとするべく暗躍、ついにコンラート三世がハインリヒ倨傲公を破ってドイツ王(=神聖ローマ帝国皇帝)となります。
そしてその勢いでヴェルフェン家の領地に攻め入って奪い取り、異父弟レオポルト(オーストリア辺境伯)に与えますがヴェルフェン家も黙ってはおらず、一致団結してレオポルト辺境伯を追い出し、伯は異父兄であるコンラート三世帝に助けを求めます。
1140年12月、シュタウフェン家v.s.ヴェルフェン家の決着をつけるべく、ついにコンラート三世帝はヴェルフェン家の領地に南下。
のちに貞女城と呼ばれるヴァインスベルク城での戦争が始まります。
のちにイタリアにおいて教皇党(ゲルフ)と皇帝党(ギベリン)と称する両派閥が都市間で戦争をしたり貴族同士の諍いを引き起こしたりと、ロミオとジュリエットの悲劇の元ネタにもなるほど根深く対立しましたが、この二大勢力の名称は両家の名前が由来です。
◆ハインツ(攻)の両親について◆
両親と設定した二人のうち、母親クニグンデは架空の人物です。
父親としたヴェルフ五世は実在ですが、彼が結婚したのはマティルデ女伯のみで、子供を残した形跡もありません。フィクション設定としてご了承ください。
◆コンラート三世帝について◆
彼は教皇から皇帝冠を授けられていないため、資料によっては「ドイツ王、ローマ王」とあるだけで、Kaiserの称号を併記していないものもあります。
ただまったくの間違いでもないので、文中では皇帝で統一しています。
ちなみに兄であるシュヴァーヴェン大公フリードリヒ二世を差し置いて彼が皇帝になったのは、兄が戦争で独眼になったためです。
兄の才気を知っていたコンラート帝は、後継者に甥のフリードリヒを選びます。
これがバルバロッサ(赤髭)のあだ名で親しまれることになるフリードリヒ一世帝です。
後世で用いられている”バルバロッサ”という単語の由来でもあります。
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